自閉症の兄と家族が幸せになれた家~ボロ屋が離婚危機を救う~
集合住宅の社宅にいた頃
私と私の家族が集合住宅の社宅にいた頃、兄は次の4つのことをやり母がいつも困っていました。
1.集合住宅の公園に遊びに行き、他の子どもが遊んでいる姿を見ると走って逃げます。
他の子どもの親は、子どもが遊ぶ姿を見ながら楽しくおしゃべりしているのに、母だけはいつも逃げ回る兄を追っかけまわしているのでみじめになっていたそうです。
2.自転車のいすの上を飛んでいく、大人が通れない穴を通って道路にでるなどしていました。
集合住宅の自転車置き場に止めてある自転車のいすから自転車のいすの上を飛んでいきました。兄はけがをしなかったのですが、社宅の住民の自転車のいすの上をとんでいくことで自転車を倒し、いつも母は社宅の住民に注意されていました。また、大人が通れない穴から道路に出てよく迷子になり警察のお世話になることがありました。
3.ベランダから排尿をする、植木鉢を投げることをしていました。
母が料理やトイレなどで目を離したすきに、ベランダに出て兄は排尿や植木鉢を投げるなどして母や社宅の住民を困らせていました。
4.どんどん飛び回る、勝手にドアの鍵をあけて廊下に飛び出していました。
嫌なことがあると激しく飛びあがりドンドンする、勝手にドアの鍵をあけて飛び出す、廊下で奇声をあげるなどして、よく近所から苦情がきていました。
4つの困りごとは父の耳にもはいり、世間体を気にする父は常に母を怒りつけ毎日のようにけんかをしていたそうです。ときには母に手をあげることがありました。
集合住宅の社宅に住んでいた時は離婚寸前で、今思えばあの時離婚しなかったことが不思議なくらいと私が大きくなったころ聞かされました。だんだんと母は精神的に病んでいきました。父も神社に怒りっぽくなりませんようにとお願いしていたそうです。
母が精神的に病んでしまった、兄が重度自閉症であると診断が下ったこともあって父は出世をあきらめて、夫婦の実家がある場所から1番近い支店に転勤することに決めたそうです。
引っ越し先の家はボロすぎて
転勤先で住む社宅を決めるときに精神的に病んでいた母は「もう集合住宅は嫌だ。すごくボロ屋で良いので土のついている戸建ての家に住みたい」とわがままを言ったそうです。父の会社から紹介された戸建ての社宅はすごく古くてボロでした。その社宅は平屋で1つの屋根の下に2件の家がありました。同じような家が他に2つあり合計で6件の家がありました。
間取りは和室が2部屋、台所、トイレ、お風呂がありました。洗濯機はお風呂の近くにおき、お風呂から水を引いて、洗濯した水はお風呂に流しました。土間に洗濯機を置いている家もありました。その場合は台所から水を引き使用済みの水は外の排水溝に流していました。
トイレはぼっとん便所で和式でした。私がこの家に引っ越してきたときは3歳直前でこのトイレを見たときは怖くて用ができませんでした。集合住宅の社宅のトイレは水洗で洋式トイレでしたのでなおさらです。だから父はプラスチック性の洋式便器を買ってぼっとん便所の上につけていました。
洋式便器をすけることで何とか3歳直前の私も用をすることができました。
洗面所はトイレとお風呂の間にあり広さは畳半分ほどです。1人入るのがやっとでお風呂のためのお着替えはほとんど廊下でした。お着替え中に来客がきて慌てたことが何度かありました。
お風呂はバランスがま風呂で、屋外に絵のようなバランスがまがありました。
ガスはプロパンガスで、外にガスボンベがありました。ガス屋さんが定期的にガスボンベの中身の確認作業や無くなったガスボンベの交換をしにきていました。
冬は窓と窓の隙間から冷たい風が入ってくるので透明なシートをかけて家に入ってくる隙間風を防いでいました。ホットプレートを使うとブレーカーが1発で落ちます。だからこのボロ屋社宅にいる間はホットプレートが使えませんでした。このボロ屋社宅では何度もブレーカー落ちを経験しました。トイレや入浴中に電気が消えたこともありました。
ご近所さんの温かい視線
私たちが引っ越して少しぐらいたってとなりに私と同じ年ぐらいか私より少し小さい子どもの姉妹の家族連れが引っ越してきました。
よく私は隣の子どもと遊んでいました。私の母も隣の母親と楽しくおしゃべりできたそうです。集合住宅の社宅にいた頃には考えられないことでした。しかし、その家族は家庭内でいろいろあり引っ越してきてから1年後協議離婚になったそうです。その家族の母親は引っ越してきたときは明るい気さくな人だったのですが、協議離婚直前はやせ細って活気がなくなっていたそうです。
そして、次は人工透析をしていた人が引っ越してきました。私の話し相手になってくれました。私がよくお世話になっていたので、あいさつをしにいくようになったことがきっかけでとなりの住人と母は親しくおしゃべりをするようになったそうです。兄のことも温かく見守ってくれました。
ななめ向かいには中学生のお兄ちゃんと母親、向かいには中学生のお兄ちゃんの母親の姉夫婦が住んでいました。よく私が近所の子どもと家の前で遊んでいるとななめ向かいに住んでいた中学生のお兄ちゃんがやってきて一緒に遊びました。私は中学生のお兄ちゃんのことをいつも「学生のお兄ちゃん」と呼んでいました。少し怖いと思っていたのですが、一緒に遊んでみると面倒見がいいお兄ちゃんでした。
その中学生のお兄ちゃんは、将来お笑い芸能人としてテレビで活躍するようになりました。母が兄のお世話が大変で常に放任状態で寂しい思いをしていた私にとって、遊び相手になってくれたことはとてもうれしかったです。そして向かいのおばちゃん(中学生のお兄ちゃんの母親の姉)は、とてもやさしくて私の母とよくおしゃべりをしていました。また兄に中学生のお兄ちゃんの服のお古をいただいたことも何度かありました。向かいの家の住民とななめ向かいの住民は私や私の家族を温かく見守ってくれました。私の自転車の練習も温かく見守ってくれました。
このボロ屋社宅での生活は、精神的に病んでいた母を元気にしてくれました。
戸建ての家だったので兄が奇声をあげながら飛んでドンドンしても近所から苦情がくることはなくなりました。集合住宅の社宅では常に冷たい視線でしたが、ボロ屋社宅の周りの住民は常に私や私の家族を温かく見守ってくれました。母はこのボロ屋社宅で周りの住民も私と同じように苦労しながら生きている。苦労しているのは私だけではないと思えるようになり救われたと言っていました。
近所の視線が温かくて母が元気になった、私や私の家族を温かく見守ってくれたことで集合住宅の社宅では怒りっぽく、ときに手をあげていた父も丸くなり夫婦でけんかすることが少なくなりました。離婚してもおかしくない状態だったのですがこのボロ屋社宅での暮らしが離婚をとどめてくれました。
ボロ屋社宅があった地域の自治体は福祉が充実
1.保育所にすぐ入ることができた
集合住宅の社宅に住んでいたころ、母は兄のお世話が大変で常に私は放任状態だったそうです。兄のお世話が大変ということで保育所に申し込みにいきましたが、仕事をしている人でないと駄目と断られ途方にくれたそうです。
しかし、ボロ屋社宅に引っ越してきて駄目もとで保育所の申し込みにいき、兄のことを話したら仕事をしていなくても快く私を入園させてくれたそうです。おかげで私は楽しく保育所に通うことができました。保育所の給食はおいしかった記憶があります。
2.兄の専門の療育施設が近くにあった
自閉症を専門としている療育施設がボロ屋社宅の近くにありました。兄は18歳が終わるころまでその療育施設に週1のペースで通いました。母は兄の就学前相談や進路についてよく主治医の先生に相談していたそうです。
父はボロ屋社宅の生活が私と私の家族にとって良い影響を与えていると考えていました。私たち家族に何が必要なのか気づけたと言っていました。
しかし、私や兄は成長します。私たちが大きくなるとこのボロ屋社宅で暮らすことが難しいと考えていました。ボロ屋社宅に暮らし始めて5年目に、車で40分ぐらいのところに土地を買いマイホームを建てることにしたそうです。マイホームに引っ越した後も引き続き兄の療育ができることなど、ずっとこの地域に住み続けることが私と私の家族のとって良いと思ったそうです。
私がボロ屋社宅で過ごした6年間
私はこのボロ屋社宅で3歳直前の時から小学校2年生まで過ごしました。
引っ越してきたときは集合住宅の社宅に比べて汚いから嫌だなと思いました。なかでもトイレがぼっとん便所だったことに抵抗がありました。しかし、だんだんと日がたつに連れボロ屋社宅での生活が楽しくなっていった気がします。
家の前に1人で、遊んでいたら私の遊び相手になってくれる人や、話し相手になってくれる人がたくさんいました。山や畑がたくさんあったので、その中をよく探検して楽しく遊びました。このボロ屋社宅で暮らした6年間は子ども時代の中で一番濃い思い出、楽しい思い出のような気がします。このボロ屋社宅での生活は私と私の家族に精神的な豊かさを与えてくれました。
家族にとっての幸せな家
皆さんはどんな家に住みたいですか?
オートロック付き、床暖房、新築、設備が良い家に住みたいと考えるかもしれません。
しかし、設備が良い家に住んでも物質的には幸せかもしれませんが精神的に幸せとは限りません。例えば、設備が良く新しい家に住んでも、ローン返済など家計が火の車になり、常に夫婦げんかが絶えずの家は嫌ですよね。夫婦げんかは子どもに悪影響です。私は母と父が夫婦げんかをするたびに常におびえていたのを覚えています。
私は今、旦那と2人の女の子に恵まれ、私と旦那で購入したマイホームで暮らしています。
築30年以上、坂の上、エレベータ無しのマンションに住んでいます。子育てママにはちょっとキツイと思う家かもしれません。ときになんでこんな不便な場所に住むことにしたのと聞いてくる人もいます。
しかし、私と旦那は今の家に満足しています。築年数は古く、坂の昇り降り、階段の上り下りは少しつらいけど坂の上だけあって見晴らし最高、東南の角部屋で朝日が当たる、子どもが早ね早おきをする、毎日坂の昇り降りをするので子どもの体力が自然に身につくなど悪いことばかりではありません。古い家でもいい所が必ずあります。私と旦那がマイホームを購入する時、私のボロ屋社宅での経験が築年数や設備を重視で家を選ぶことをやめ、家族にとっての幸せ重視の家を選ぶことにつながったのだと考えています。
住む場所を決めるとき、利便性などで決めるのではなく家族にとって何が幸せか考えて住む場所を決めるべきではないでしょうか。私はそう思います。
この経験が少しでも読者のお役に立てればと思い今回コラムを書かせていただきました。最後まで読んでいただきありがとうございました。