父親の役割。母親の役割。
最後の砦となるように
我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。毎日がドタバタで、大きな声で注意、注意の繰り返しです。
男の子だから元気な方がいい、とは言っても異性の私からみたらその生体はわからないことばかりです。何で何度注意されても同じことをするのか。今、お兄ちゃんに注意したことを、見ていたはずの弟が真似をする、または逆もしかり。
いちいち目について怒っての繰り返しに、いつしか子ども達も慣れてしまい私が何度言っても直らないことが出てきます。そんな時はパパの出番です。
鶴の一声ならぬパパの一声。普段は学校のことには一切口を出さないパパからのお怒りの言葉は子どもにとっては恐いらしく、そこでやっと自分の甘さに気がつくようです。
そんなパパの一声ですが、普段から子どもに接していなくては何の効果もありません。子どもからの信頼を得ているからこそ、その言葉が怖いだけでなく、ちゃんとしなくてはという気持ちに繋がるのだと思います。
家族サービスを忘れない
月曜日から土曜日、私たちが朝起きると、すでにパパは出社しています。そして15時頃帰宅をして18時には就寝するためなかなか子どもと関わることはできません。その短い時間でタイミングを見て、わらわらと子どもがパパに群がり、ジャレ合ったりすることはありますがゆっくり話をするわけでもなく土曜日まで過ぎていきます。
貴重な休みの日曜日。本当に疲れている日以外は、さて、今日は何をする?と、お出掛けする気満々なパパ。もちろん毎回行楽地へ行くわけではありませんが、それでも近場のスーパーではなく、子どもも遊べるように大型スーパーに連れていってくれます。
月に1回は大きな公園に行ったり動物園へ行ったり、パパ自身も家にいることよりお出掛けが好きなので色々連れていってくれます。
公園へ行けば子どもと一緒に走り回ったり、キャッチボールをしたり。私では体力が持たない遊びをしてくれるパパに、子ども達も喜んで普段のパパ不足を解消しています。
次の日の、また深夜に起きて仕事に行くパパですが、面倒くさがる訳でもなく家族サービスをしてくれるパパだから、子どももパパの言うことに反感を持つこともなく聞く耳を持つことができるなだと思います。
母親の役割。最後の砦。
普段は学校の事から家でのことまで、把握できるすべてのことを注意するのは私の役割です。叱り方としても子どもの性格を理解した上でお兄ちゃんに対しての言い方、弟に対しての言い方を変えることができるのも、普段を知っている母親ならではだと思っています。
何がどういけないかをしっかり説明しながら、あなた達のことをどうでも良く考えているならこんなに言わないんだよ、と気持ちを伝えながらじっくり叱ることも普段を見ているから言えることです。
ただ、母親の怖さに慣れてしまうのも毎日一緒にいるから仕方がありません。そこで我が家には絶対的な父親の存在は重要不可欠なのです。
怒りかたとしては、ガツン、と言う言葉がしっくりきます。やるべき事はやらなきゃいけないんだ、という正論をガツンと父親から怒られながら言われると子どももこれはヤバい、と聞くしかありません。
勿論、怒る父親が怖いからですが、絶対的存在はあってもいいように思います。それが日々怯えるほどでは問題ですが、間違ったことをしなければ普段は遊んでくれる父親だからこそ信頼関係もでき、怒られたときの効果も絶大なのだと思います。
ただ、なるべくなら私で事を終わらせたい気持ちもあるので、あまりにもひどいときは、パパに言うからね!と存在をちらつかせることもあります。とたんに、子どもは言わないで~!と焦りだします。
普段会社で忙しく働くパパ。たまの休みに疲れた~と寝ている父親だったら、子どももその時は怒られてもただ怖いだけで、大きくなるにつれて反感も持ち始めていたかも知れません。
これから反抗期が始まると子ども達にとっての親の存在がどう変わっていくか全く予想もできません。その時々の母親の役割、父親の役割を見つけながら対応していきたいと思います。