自己肯定感が低日本の子どもたち。改善するために親ができることは
自己肯定感、自己評価という言葉で表現できる指標があります。
文字通り、人が自分自身を高く評価出来ているか、自分に対して否定的な思考を持っていないかを意味します。
この自己肯定感は、日本においてとくに子どもたちの評価が低いこと長年懸念されてきました。
どうして、日本の子どもたちは自分を高く評価出来ないのでしょうか。
そして、自分を肯定的に捉えられる人にするために、親は何ができるのでしょうか。
親が中心の子育てになっている?
伝統的な子どもへの接し方として、日本を始めとしたアジアには「子どもは親の持ち物」とも言えるものがあります。
親は目上の存在、尊敬して敬うもの。それ自体は間違っていません。しかし、当然と思ってもいけません。
親だから、子どもだから、
親に従うべきだから、言うことを聞くべきだから。
家庭や学校でこんな言葉を無意識に刷り込まれています。更に日本人の国民性である、真面目で努力家という気質も合わさり
小さな子でも「言うことを聞かないと」と自分を抑えてしまうのです。
隅に追いやられる子どもたち
子どもの教育に熱心だった親の子ほど、自己肯定感が低くなるという矛盾した研究結果もあります。
子どもとよく接して、一生懸命勉強させた。その結果子どもが自分を否定してしまうのは、一貫して受動的な生活を強いられてきたからではないでしょうか。
1990年代には「お受験」という言葉も広まり、幼稚園や小学校の入試を受けるために過酷な生活を送る幼児の姿がテレビドラマの主題にもなりました。
その子どもたちが今大人になり、引きこもりのように社会に適応出来ない苦しみを抱えてしまっています。
自分の思いを聞いてもらえなかった、親の言うことを聞くしかなかった。
その経験は、幼児期の心に大きな影を落とすのです。
「人間」としてのわが子
私も生意気盛りな中高生の時、自分の親から「誰が育ててやったと思ってるんだ」と言われたことがあります。
腹もたったし、悲しかった記憶があります。
今、自分が子どもを育ててみて、あの言葉は真実ではなかったと実感しています。
親は、子どもの生命力に従って子育てをしているだけなんです。
どんなに心を砕いても、親が自分の命を切り分けて子どもに与えているわけではありません。
生まれ落ちた裸の赤ちゃんのときから、子どもは自分に備わった生命力に頼って生きていくのです。
その意味で、とても主体的な存在です。だから、認めてあげなくてはいけません。ここにいてもいいよ、いてくれて嬉しいよ、と言ってあげなくてはいけないのです。
自分の付属物、所有物という意識が捨てられないご両親が多いのではないでしょうか。
人格を備えた個人として、人間としてのわが子と接するようになっていかなくてはいけないのです。
会話ができる関係を目指しましょう
自己肯定感を育てるには、
「話を聞いてもらえる」
という体験が不可欠です。誰かが自分の話すことに耳を傾けてくれる。返事をしてくれる。
些細でも大切なことなのです。
反対の、無視されることの辛さを考えれば分かるかと思います。学校で、あるいは会社で無視されることは誰にとっても耐え難いことですよね。
だから、小さな子どもにそんな思いをさせないでください。
何でも話し合える関係を作っていきましょう。