蝶のいのちとカマキリのいのち

生き物好きのお子さんは多いですよね。拾ってきた昆虫たちのお世話に頭を悩ませるご家庭も多いかと思います。

特に、男の子はカマキリなど強そうな昆虫に興味を持ち、苦手なお母さんは大変なのではないでしょうか。

実は、私もそういう経験をしたのです。そして、その経験があるからこそ、肉食昆虫の飼育と観察を、男の子とママにはぜひおすすめしたいのです。

カマキリへの愛着

一昨年の夏のことです。
年長組の息子が、カマキリを捕まえてきました。ハラビロカマキリという種類で、大きな成虫です。どうしても飼いたいというので、私も手伝いながら飼育を試みることにしました。
私自身も子どもの頃、蝉やトンボ、蝶などを観察してすぐに元の場所に戻すことは経験していましたし、息子が昆虫に関心を持つようになってからは、金魚やカブトムシ、クワガタなどを一緒に飼育していました。ですから、今度のカマキリについてもあまり構えず、気軽に飼育を始めたのでした。
カマキリは最初、息子や私の手を鎌で攻撃してきました。しかし、息子は私の心配をよそに、辛抱強く遊び続けました。その気持ちが伝わったのか、一週間もしないうちに息子の手から鶏肉やチーズを食べるようになりました。

犬や猫だけではなく、こんなに小さく人間と種がかけ離れている昆虫でさえも、大切に思う気持ちというのは伝わるものなのかと、密かに感動したものでした。

蝶への思い

数日が経ち、二人で虫取りに出かけた日のことです。
息子は公園を駆け回り、苦労して綺麗なモンキチョウを捕まえました。額に汗を滲ませて、息子は得意満面の笑みを浮かべていました。蝶に名前をつけ、帰ったら観察するんだ、と言い嬉しそうでした。元いた場所に帰さなきゃならないけど、お別れが寂しくなるね、とも言っているのを聞き、気持ちの優しい子に育ってくれたことを嬉しく思っていました。

家に帰り、虫かご置き場で複数の昆虫を観察していた時です。息子が急に言い出した言葉に、私は驚き慌てました。
「この蝶、カマキリの餌にちょうどいいね。」
息子はそう言ったのです。私はとっさに、駄目だよ、と言いました。どうして、と不満そうに息子は口を尖らせて私を見据えます。私は、上手に説明できませんでした。そして、明日まで考えさせて、と言い、その場を離れました。
カマキリは肉食の昆虫です。他の生き物の命を奪わずに生きていくことはできません。ですから、生きた餌を与えることそれ自体を否定するのは、カマキリの存在を否定することになってしまうのです。飼うのではなかったと悩みましたが、本質的な解決ではありません

終生飼養から学ぶいのちの重さ

そこで私は、動物園での事例を考えました。動物園でも、終生飼養の努力義務が適応されています。展示用やふれあい用のウサギやモルモットを、肉食動物の餌とすることはできません。

私が最初に感じた違和感とは、一旦愛情を注ごうとした蝶を、他の生き物の餌として再利用することへの罪悪感だったのです。
子どもとは、気まぐれで移り気な存在です。その気まぐれさや行動を嫌悪しているというのでは、決してありません。ただ、導いてやることが必要であると思ったのです。
他の生き物を食べなければ生きていくことのできない性を受け入れつつ、自分の愛情に責任を持ち続けることが、命の重さを知ることであると。

翌日、私は息子に尋ねました。もしもウサギやモルモットを飼っていても、ヘビを飼うことになったらそれまで大切にしていたペットを餌として平気で与えられるのか、と。息子は考えた末に言いました。
「餌用と観察用を分ける。」
こうして、再びカマキリの生餌を探す日々が始まりました。観察用の蝶は私たち親子に見送られて大空へと飛び立ちました。カマキリは息子の手から餌用に捕まえてきた昆虫を食べ、秋に産卵した後にその生涯を全うしました。
この経験から私は、生餌をあげる飼育を否定してはならないことと、終生飼養の考え方を変えないことを学びました。

一年後、息子はそれまで飼育したことのある生き物たちを紙粘土の工作で表現し、夏休み明けに提出しました。その中に、蝶を捕らえようとするカマキリと、餌用に捕まえた白い小さな蝶と、大空をはばたく黄色い蝶の姿が並んで生き生きと表現されているのを見て、一年前の話し合いが無駄ではなかったことを感じました。

おわりに

生餌というだけで、拒否反応を起こすことは簡単です。私もその一人でした。

しかし、そのような感情だけで、肉食昆虫の飼育と観察を、お子さんの楽しみから外さないでほしいのです。私たち人間も、牛や豚から見れば肉食動物なのであり、同時にペットとしての生き物を愛する感性を備えた存在なのですから。

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