満月の夜に
土曜の飲み会の後
私が息子を出産したのはちょうど今頃、5月でした。当時、同じ病院で出産予定の友達と出会い、土曜の夜に家族ぐるみで飲み会をしました。
その日は霧雨が振り、私には少々肌寒い日でした。飲み会にもちょっと厚着で出ました。
帰宅して床に付き、おそらく日付を越えた頃に腹痛に襲われました。初産の私にはこれが陣痛だとは当初、思っておらず「お腹を冷やしてしまった」くらいに思っていました。
しかし、いつまでも痛みは引かず、かと言って妊娠中でむやみに薬も飲めず、じっと痛みに耐えていました。
が、やがて痛みに一定の波があるのに気づきました。「これは」
痛みは激しさを増し、眠ることもできず、トイレに行ってみたりもしてやがてこれは陣痛という確信に変わりました。
さて、どうしよう。
満月の夜は
こうして痛みに耐えながら、とうとう朝を迎えました。私はまだ眠っている主人を起こさないように病院に向かう準備を始めました。
しかし、主人は起きて「どうしたの?」と、私は「どうも、陣痛らしい。病院に行く」、すると「俺も行く」という話になり、駅前からタクシーに乗り病院に向かいました。
その時のタクシーの運転手さんが「満月の夜は出産が多いんだよ」と話してくれました。
そうなんです、この日の夜は満月だったんです。
病院につくと高齢出産だということや日曜日ということもあり、すぐ入院することになりました。
ですが、産婦人科の出産予定者はいっぱいでベットの空きがないので、しばらくは違う病棟にいることになりました。
最初の診断ですでに破水していることがわかりました。
どれくらい経ってから産婦人科に移ったかは覚えていませんが、私の病室はすでにいっぱいでした。
本当は眠りたいのですが、痛くて病院に行っても眠ることはできませんでした。たぶん、しょっちゅう助産婦さんに「痛いです」と言っていたと思います。
朝に入院して、昼食が出されたのですがこれも痛みで食べることができませんでした。
夕食が出される前に私は分娩の控室に移されました。二度目の診察で子宮から髪の毛が見えるようになっていたからです。
いざ、分娩台へ
やがて、分娩室に移されました。
「力んでください」と言われても極度の睡眠不足で力めません。
食事もほとんど口にしていませんでした。
「このままでは自力で産めなくなります。機械を使うようになります。」と言われてもどうすうこともできません。
陣痛の痛みが引くと睡魔が襲ってきます。その繰り返しです。
助産婦さんが「合図するので力んでください」と…。
なんとか子どもはこの世に誕生しました。