子どもが生まれ、そろそろ6年を迎えようとしています。小学校へあがると、子育ても一区切り。久しぶりに、出産当時の記憶を辿ってみることにしました。自分では難産なのかわかりませんでしたが、助産師さんから言わせると、間違いなく難産とのことでした。

出産の痛みが、全く怖くないという方がいたら、超人レベルなのではないでしょうか。もし、男性が出産出来たとしても、痛みに耐え切れず命を落としてしまう…と聞いたことがあります。出産はそれほど、命がけの痛みを伴うものなのです。

出産の痛みに恐怖!無痛分娩を選択した理由

アラフォー出産は、周囲に出産経験者が多くいるので、体験談も豊富に聞くことが出来ます。職場にも先輩ママは多く、お腹の大きい姿を見ると、自分の体験談を話したいという衝動に駆られるようです。ですが、安心させてくれる体験談は少なく、いかに大変な思いをして出産したのかを聞かせてくれます。出産直前にもなると、難産話のオンパレード。ありがたい反面、不安と恐怖でいっぱいになってしまいました。

そんな時、ある先輩ママが、アドバイスをくれました。自分は二人とも無痛分娩で出産し、体も楽だったから、おすすめだという話でした。
そこで、年齢も年齢だから無理は禁物と、無痛分娩を選択することにしたのです。

妊娠高血圧の影響!出産予定日を一週間早めることに

妊婦検診も順調そのもの。つわりも全くなく、仕事もギリギリまで続け、元気いっぱいの妊婦でした。あと数週間後に出産予定日という時期、妊娠高血圧症候群になりかけていることが発覚。母子ともにリスクが高まることを避けるため、一週間出産予定を早め、数日後に入院という予想外の展開になりました。

陣痛初体験!始まりは緩やかに

出産当日の段取りは、陣痛促進剤の投薬し、陣痛が始まったら、無痛分娩の投薬を開始するという流れでした。
付き添いは、病気で来られない両親の代わりに、叔母が来てくれていました。叔母は、三人の男児を産み育てたベテランママでもあります。

投薬してしばらく経つと、これが陣痛なの?と思わしき痛みが発生。ところが、付き添いの叔母は、「そんな痛みはまだまだよ」とベテラン風を吹かせます。

何もかもが初体験なので、そんなものか…と、談笑を続け、何度も痛みがあっても、そんなものじゃないから…といったやり取りを繰り返していました。

数十分後、看護師さんが現れ、子宮口の開き具合を確認。すると、「あら大変!6センチも開いているわ。普通分娩と同じ痛みよ」と、慌てて無痛分娩の投薬を始めました。因みに、子宮口は10センチ開けば、出産が可能になるのだそうです。

投薬のタイミングが遅すぎたせいで、痛みが治まるどころか、増すばかり。痛みに耐えながら、分娩室への移動となりました。もちろん、車いすではなく自力歩行です。意外とスパルタだと思いながらも、なんとか到着しました。

立ち合い出産要員の夫!到着が遅過ぎる…

夫の立ち合いでの出産を希望していたので、看護師さんが会社へ連絡。ところが、一向に現れず。看護師さんにも「だんなさん、遅いですね…」と心配する始末。

立ち合い出産は、陣痛の痛みを和らげる運動を、夫婦で乗り越えるところから、既に始まっています。看護師さんも忙しいので、分娩室に一人で取り残されることもしばしば。初めてだらけで、不安な気持ちを抱えながら耐え続けていました。

しばらくして、やっと到着した夫は、「産まれるまで時間がかかると思って、そのまま仕事していた…」と、ずいぶん呑気な一言。

なるほど、世の中の妻が夫に恨みを抱くのは、こんな瞬間だ!と痛感したのでした。

夫は、ただならぬ空気を感じ取ったようで、看護師さんから教わった陣痛の痛みを和らげる運動を、真面目に手伝ってくれました。意外と上手で、痛みも怒りも和らいでいきました。

それでも、無痛分娩の麻酔の効きが悪く、何度か麻酔を追加してもらい、時を待ちました。後に、追加した麻酔が自分を助けることになるとは、予想もしていませんでした。

自然分娩のはず!まさかの鉗子分娩

お世話になった産院では、陣痛促進剤を始めたら、二時間程度で産まれるのが通例です。ですが、その倍の時間がかかっても、産まれる気配はありませんでした。

当初、助産師さんのみで出産する予定でしたが、急遽、病院の院長と、多くの看護師さんも加わることに。出産が遅れているのは、胎児の頭部が大きすぎて、出てこられないことが原因でした。

すぐに、吸引分娩が始まりました。吸引分娩とは、吸盤のようなものを、胎児の頭にピタッとくっつけて、引っ張り出す方法です。吸引分娩のタイミングに合わせ、何回かいきみましたが、うまくはいきませんでした。

ついに、最終手段の鉗子分娩をすることになりました。鉗子分娩とは、大きなペンチのようなもので、胎児の頭部をしっかり挟みながら、引っ張り出す方法です。後から知ったことですが、鉗子分娩は相当の技術がない限り、危険を伴うので行わないところもあるそうです。

幸い、無事に産まれてくれましたが、鉗子分娩の影響で、頭部の皮膚に少し傷を負いました。万一の場合は、帝王切開の可能性もあったので、院長の腕前に感謝しました。

結果的に無痛分娩で良かったが…

当初、自然分娩かつ、会陰切開しないで産みたいと望んでいました。たまたま、胎児の頭部が大きく、自然分娩が不可能で、吸引分娩から鉗子分娩の流れを辿ったおかげで、麻酔が効くまでの時間を、確保することが出来ました。もし、麻酔なしでの出産を選択していたら、気絶していたのではないかと思っています。

だからといって、無痛分娩を推奨しているかというと、そうではありません。実際には、無痛分娩にもリスクはあります。当時は、比較的安全だという話でしたが、数年後のニュースでは、無痛分娩の危険性について報じていました。

世の中の情報は、時代と共に変化していくものなので、最終的には、今ある情報を頼りに、自分で選択していくしかないようです。

出産は命がけですが、我が子を初めて胸に抱いた瞬間、全世界が塗り替えられ、痛みも全部忘れ、表現しきれない程の感動に包まれます。

出産前は、出産することで頭がいっぱいでした。「産んだ後の方が大変だよ~」と、先輩ママ達が口を揃えて言う理由が、身に染みる今日この頃。

世の中のお母さん全員が、壮絶な経験をしているのに、全くそんな素振りも見せず、日々子育てを励む姿に、心からエールを送りたいと思います。

診断名は時とともに変化するらしい

世間の人は、自閉症スペクトラムと聞けば、「いわゆる発達障害児でしょ。」というレッテルがすぐに思い浮かぶことでしょう。
ですがほとんどの方が、実際に自閉症スペクトラムがどのような特徴を持っているのかまで、よくわからないというのが現実ではないでしょうか。
そして、自閉症スペクトラムは以前は細かく診断名が分かれていましたが、最近では自閉症スペクトラムという一つの名称に吸収されています。
つまり、軽度であっても重度であっても同じ診断名が下されるのです。

我が娘の場合は…

5歳になる我が娘は「自閉症スペクトラム」という診断がおりています。

私は、娘が軽度から重度の間で、いったいどこの位置にあてはまるのだろうかと思い、主治医に尋ねましたが、以前はアスペルガーとか、色々あったけれども、今は一つになっているからという回答で詳しくは教えてもらえませんでした。
釈然としませんでしたが、その後、いろいろな療育を受けたり、周囲の話を聞いたり、実際に経験してきた中で、少し見えてきた部分があります。

軽度と重度の差って何?

自閉症スペクトラム児は整った環境の中では、問題なく過ごすことができます。

言い換えると、環境次第で良くも悪くもなるということです。
例えば、手厚い園で過ごすことができる子どもは、周囲を困らせるほどの事態を起こしにくく、穏やかに暮らすことができます。
反対に、園全体的に知識が乏しかったり、不幸にもブラックな園に登園せざるを得ない子供は、落ち着きを失い、本来よりも悪化してしまうようです。
もちろん園だけではなく、家庭環境においても同じことがいえます。
つまり、暮らしている環境によって、軽度でいられるのか、はたまた重度に悪化してしまうのかということです。
程度が常に揺れ動くため、実際は判断できないのではないか?と考えるようになりました。

理解するのは本当に大変!

自閉症スペクトラムと診断をされても、個々によって実にさまざまな特徴を抱えていて、千差万別という言葉があてはまると思っています。

例えば、この子とこの子はすごくよく似ていると思っていても、実際は、個々の特性が全く異なると言っても過言ではありません。
そのため、一人の子どもを理解するまでには、果てしない時間を要します。
さらにいうと、周囲に理解を求めていく作業も果てしない労力を要します。
一見すると、何も問題を抱えていない元気いっぱいの子供に見えることも、わかりづらくさせる一因です。
まだ幼い2~3歳児の間は、「元気な子」それで十分通用します。
ですが、年齢を重ねていくにつれ、おやおや?と思わずにはいられないことが増えていきます。
そのことが、自閉症スペクトラム児を抱える母親としては、いたたまれない気持ちにさせられます。
私自身、娘と日々接する中で、理解していると思っていたはずなのに、突然の複雑怪奇な言動により、混乱を覚えることもしばしばです。
一番身近な母親でさえ、実際のところ、この子はどんな凸凹があるのか正直言ってわからない!というのが本音です。
ですが、当の娘は何の屈託もなく、無邪気に胸いっぱい夢を抱き、ときに大人顔負けなフレーズを言ってのけたりします。
つまり、少しばかり感情が豊かすぎる人間なのです。
自閉症スペクトラム児たちの行く末に幸あれ!と願わずにはいられません。