親子の時間研究所

流産後の「二人目まだ?」苦しい胸のうちと捉え方

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子どものことは史上最大のプライバシー

こんにちは!北関東のド田舎で子育てをしている新茶です。

流産後に禁句である「二人目はまだ?」

言ってしまった人も言われた側も、双方の気持ちを追っていきたいと思います。

私が住んでいる地域ではお年寄りが多く、すこし散歩していると声をかけられます。一人目の子どもはとてもお外が好きで、天気が良いものなら出ざるを得ませんから、その日も帽子を被って近くの空き地を目指しました。
その頃、心には重たい気持ちがありました。流産したものの流産がしきれず、お腹の中にまだ少し欠片があると言われていた時期だったのです。

外に出ると、すぐ知り合いのおばあさんに出くわしました。

おばあさんは傍らの子どもが大きくなったことを誉めてくれて、そしてすぐ言いました「二人目まだ?」。
ズガーーンと頭を打たれたかのようなショックでした。子どもが一歳半過ぎて、よく攻撃を受け始める時期に来ていました。うまく答えられない私に、おばあさんは第二の矢を放ちました。

「一人っ子は可哀想だぞ!ちゃーんと考えなきゃダメだぞ!」

おばあさんのアタックは二言三言続きました。何と答えたのかを今ではよく覚えていませんが、銃弾に撃ち抜かれたように、心には穴が開いていました。
そこから流産した子への想いが溢れて体を満たしていきました。

私だって、本当に会いたかったと。
数日前まで一緒にいたのにと。

流産したことが無い方は、失恋と想像していただけると分かりやすいです。とても恋しい想いがして、やるせないのです。

おばあさんは何故そんなことを言ったのか?

おばあさんの時代は、長男を産むと云うことは重要な事柄でした。
上の子どもは娘なので、おばあさんにすると、息子も必要だろうと思ったのだと考えられます。

時代は変わって、女の子の方が一緒に旅行に行けるから良いと、女の子を求める人も多いです。

私も女の子、つまり娘が大好きです。でも娘が男の子だとしても、きっと大好きだったと思います。

私はこの流産で、子どもというものは性別に関係なく、とても愛おしく、貴いものであると知りました。
亡くなった子の性別は分かっていませんが、それでもこんなに心が惹き付けられる。それは、子どもって大きなパワーを持っているからです。


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他人は自分が持ってないものを指摘してくる

お年寄りに限りませんが、個人的なことを攻撃する場合はその人の持ってないものを指摘するやり方をするものです。
心配だと言えば何を言っても良いと思っている人も沢山います。

子どもがいない時は、子どもが出来ないな!と言われ、一人の時は二人産め、同性ならもう一人産め、こういう人に関わるとキリがありません。
勝手にこちらの幸せを推し測り、きっと不幸だと思っているのでしょう。
私は有るところで、こういう人を気にするのは止めました。

娘と遊んでると、誰が何と言おうと幸せだったからです。

いっぱいいっぱい遊んでいると他人が勝手に何と語っていても、全く気にならなくなりました。

お年寄りが多いこの田舎にお嫁に行くとき、可哀想と言われたこともあります。でも可哀想と言った人が、誰にも誇れるくらい幸せな人かと言ったらそうではなかった。

他人のことを声高に語っている人ほど、孤独なものです。

誰かがどう話すかよりも
大事なのは自分がどう生きるかということ。

これを読んでいる似たような体験をした皆さんも、自分がいま、そう悪くない暮らしをしていることに気づいて欲しいと思います。

二人目産んだあとの「三人目まだ?」

こうして自分を納得させた私ですが、二人目が無事産まれて一年。
幼稚園にお迎えに行ったら、「もしかして三人目がいる?」とお腹を見ながらママ友さんに言われてしまいました。
この時私が思ったことは、おばちゃんそのもので、「まだ子どもなんて産むように見える?!」と心が華やぎました。最近はめっきり期待されることもなく、おばあさん達がああやって自分に言ってきてたのは、若くて、頼りなく、可愛らしく見えていたからと何年か経て理解しました。
放っておけない気がしたのですね。
ちなみに件のおばあさんは、二人目が産まれて、本当に喜んで可愛がってくれました。

今、苦しんでいる皆さん。
年を取ると、色々な物の見方が出来るようになります。裏側にあるものは、時を経て日の目を見るのです。

苦しんで泣いて、その先に光が見えてくると思います。

大事なことは、幸せであることだけです。皆さんとご家族が健康で、末永く仲良く暮らせますように!
北関東の田舎から、お祈りしています。

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