続いて今回はなんと、「笑顔が生まれるボードゲームを作りたい」をコンセプトに活躍され2020年にキッズデザイン賞を受賞されたボードゲーム作家遠山彬彦さんの、意外な過去についてのお話です。
松倉弥生
では改めて、遠山さんへご質問させていただきます。
実は親子の時間研究所の社内で、遠山さんの経歴が素晴らしいと話題になっていました。
ですがネット検索をしても謎に包まれている部分が多く・・・
遠山彬彦さん
そうですね。
松倉弥生
ボードゲーム作家というお名前は
webサイトで検索しても出てくるのですが
改めてどういった経歴なのか教えていただけますか?
その他どういったことをされているのか知りたいです。
遠山彬彦さん
そもそもゲームを作る作家になりたいなと思ったのは、大学生くらいの時なんです。
ボードゲームの可能性についてと感じていたものもあり、
人生ゲームと(カードゲームの)ウノを遊ぶ人をターゲットにしていました。
実はどちらのゲームもあまり自分は遊んでこなかったということが大きなきっかけでして。
松倉弥生
え!?そうなんですか?意外です!
遠山彬彦さん
その2つのゲームをこんなたくさんの人が遊んでいるのだったら、
もっと面白いボードゲームがいっぱい世の中にあるし、それなら自分でも作れるじゃん!
と思ったのがきっかけで。大学の時なんですけど。
まだ当時、15年前くらいになるのかな。その時にはそんな(ボードゲームの)仕事もほとんどなかったし
個人でやれるという発想もなかったので、自分で作って遊ぶという程度でした。
その時にずっとスープストックトーキョー(Soup Stock Tokyo)で飲食のバイトをしており
そのバイトをしていた流れで大学を卒業してからそのままスープストックトーキョーに就職をして。
飲食畑一本で、たくさんのお客様やアルバイトの子と関わりながら、営業や社員教育、店舗立ち上げで地方を転々と、などなど、色々なことを30歳までしていました。
松倉弥生
ずっとゲームに関係したお仕事をしていたのかと思っていました。
遠山彬彦さん
仕事の内容もすごく性格にも合っていて、
言い方を悪くすると、店舗の売り上げを上げるのも一つのゲームと同じような感覚で仕事をしていたんです。
あれをこうするとここの数字が良くなって、こうしてみたらお客さんが増えて、客席を増やすと回転率が上がって、とか、とても楽しかったのですが、
同等レベルにできる人もいっぱいいたり、更にそれをもっと楽しんでやれている同僚を目の当たりにして。
自分じゃなきゃできないことをやりたいなと思いはじめたのがきっかけです。
じゃあ自分には何ができるだろう?と考え始めると、仕事でいろんな人と関わる中で、言葉が通じなかったり思いが伝わらなかったりといったシーンが結構あって、それって遊びながらコミュニケーションをとることと一緒だなと思いはじめ。
他にも相手の気持ちをあまり読み取らない子も多かったりして。
それも遊びで学んでいたなという思いが強かったので、ならばこれを仕事にしてみたいと思い、(当時)マネージャーをやっていたのですが会社に時短で働けないか、と打診をしました。
いわゆる産休を取った後のママさんが時短で働いていたのでそれを使わせてくれと。
1年間くらい打診し続けて、週4で働いて残り3日はゲームを作るという活動を1年間させてもらえることになりました。。
その時に体当たりで3作品のゲームを作り、そのなかの「かなカナ」というゲームがグッドデザイン賞を頂くことができ、追い風も味方して徐々に販売してもらえる場所も増えてきて。
そうすると営業にいくとか、新しく(ゲームを)作る時間が足りなくなってきたので、
じゃあもう生きていけるか分からないけれども、ゲームを作ることに集中しよう、と一念発起しました。
そういった流れで作りはじめたので、なんのバックグラウンドもなく、教育的なアプローチも一切無かったので
小川先生がおっしゃったように、自分が「頭に良いよ」と言ってもなんの強みもなくて、とにかく楽しいものを作っていこうと。
自分の作りたいものをトコトン突き詰めていこうという思いで、今までゲームを作ってきたという経歴になります。
松倉弥生
ちょっと意外でしたね。
佐藤亜希さん
うんうん。そうですね。
松倉弥生
大学を卒業してから、ゲーム一本といった感じなのかなと思っていました。
遠山彬彦さん
飲食業の店長とかマネージャーって、ある意味ひとつの会社の社長みたいな仕事が多くて。
人を採用したり、評価したり、ボーナスを決めたりと、なかなか経験できない事を、それこそ20代でそういう仕事を経験させてもらえたので、広く社会を感じることができました。
でもそれが自分には合わないんだ、と気付いたんです。
社長がいて、部長がいて、自分がこうしたいという事を、順番に声をかけて顔色うかがって、といったことが自分は苦手だな。
やれないというより、疲れちゃうんだ。というのをとことん知れてしまったので。
今の仕事って全くバランス悪いですし、コロナ禍でどうなるかもわからないない状況で不安はたっぷりなんですけど、会社員に戻りたいとは微塵も思わない、というのが強みというか。
なので大学を卒業と同時に起業していたら、やっぱり会社員になりたかったな、とか、自分の中の後ろ髪引かれる部分があったと思うんです。
完全に背水の陣というか、自分は生きるためにはこれしかない。という立ち位置なので、グイグイとやれているのではと思います。
松倉弥生
なるほど。貴重な経験だったんですね。
遠山彬彦さん
今思うと、本当に時代というかタイミングがバッチリだったというか。
小ロット(少量)でものを作れる時代というか、10年前に同じものを作ろうと思ってももっと(お金が)かかっていた。
今なら言っても300個とか作ればなんとかなるし、それってそんなに高みを目指さなければ
20~30万で一応ものを作ってみることはできるんですよね。
なのでそういった意味では、トライできる時代まで待てたのも良かったなと思います。
松倉弥生
そのタイミングだからこそ、
今回も遠山さんに巡り合えてキャスリングとかなコロンが出来上がっているので、嬉しい出会いだなと思います。
ちなみにゲームを作っている、開発されている中で
大切にされている事とはなんですか?
遠山彬彦さん
何を一番大切にしているかな?
他にない何かがあるものを作るという事は必ず心がけています。
さっきも申し上げたように、誰かがやればいい仕事をするということをしたくなくて
(前の会社を)飛び出した部分があるので、もちろん言葉の遊びもたくさんあるのですが
世の中にあるものの真似っこではなくて、自分が作りたいものを作る中で今までになかったアイディアや発見があるものを作りたい。
というのはゲームというよりはクリエイター、物作りの立場として言える事なのかなと。
ゲームを作る中で大切にしているのは、アナログゲームを作るということは人と人との対面を大前提にして作っていて、
というのは相手の表情が見えるということだったり空気感を感じるというところで。
人が繋がれてコミュニケーションを取りながら、どこかしらで必ず笑顔が生まれるというのを必ず心がけています。
結構笑顔がないゲームというのも多くて、一番代表的なのがスマホのゲーム。
帰りの電車の中を見ていただくとわかると思うんですが、電車の中でゲームをやっている人で
笑顔の人ってほっとんどいないんですよね。
松倉弥生
確かにいないですね!
遠山彬彦さん
でもやっているのはゲームなんです。
だからそういったところを大切してます。
もちろん悔しい体験もあるんですがね。
今回は、遠山さんの本当に意外な過去の一面を教えていただきました。自分がやりたいと思う事に対して、気持ちに正直に突き進めるのもまた大きな勇気と決断だと思います。
次回は、遠山さんと小川先生に「もし自分の子どもに、親としてキャスリングとかなコロンで遊ばせるとしたら?」という質問をしてみました。
次回もぜひお楽しみください。