つわりの始まり

つわりは5ヶ月くらいで治まる。と聞いていたのですが、一人目妊娠中待てども待てども終わりは見えませんでした。
妊娠発覚から程無く、少しずつムカムカが始まりました。
それからすぐに、朝起きてから夜寝るまで、とにかく何をしても気持ちが悪い日々が続きました。

食べられるもの

私の場合は、朝が勝負。午後に向けてどんどん調子が悪くなるので、とにかく朝食べられるものを食べなくてはいけませんでした。
食べられるものは、リンゴとゼリーのみ。量は食べられないものの、吐かずにいられる大切な栄養源でした。

終わらないつわり

妊娠5ヶ月を過ぎてもつわりは終わりません。水も軟水しか飲めず、外で買うのも確認しながらと非常に気をつかいました。
なんとか夕飯の準備をするものの、カレーを作るために切った玉ねぎの匂いで1日中苦しんだり、ご飯が炊ける匂いでぐったりしたり。
少し食べれるものができたところで、気休め程度。温かいものは全てダメで、お味噌汁を冷蔵庫で冷やして飲んだこともありました。

妊娠後期

8ヶ月に入り、終わらないつわりに続き問題となったのがお腹の張り。前々から張りやすいのかなと思っていたのですが、診察で張り止めの服用と安静を言い渡されました。

そして迎えた9ヶ月目。早くもおしるしの出血。
慌てて産院に連絡をして診察後、そのまま入院となりました。

1日中点滴。長々と続くつわりのせいか血管が狭くもろくなっていて、2日同じ場所での点滴ができず、夜中に漏れて助産師さんに度々お世話になりました。
そしてここでも続くつわり。産院の食事を吐いてしまうため、主人が果物やヨーグルト持参で通ってくれました。

出産

赤ちゃんが小さめだからと、点滴が抜けないまま迎えた37週。

正規産だからと点滴を抜いた後薬が切れ、待ってましたと言わんばかりにお腹の中でパンッという音がして破水。

その後バタバタと3時間程で出産となりました。

出産後は今までのつわりが嘘のように気持ち悪くなることもなく、母子共々健康に退院できました。
つわりによる体重の変化は、妊娠前の体重に戻ることなく出産となったため、産後はマイナス7キロでした。

あんなに辛かったつわりでしたが、苦しみと痛みを乗り越え赤ちゃんに会えた瞬間、心から頑張って良かったなと思うことができました。

卒乳時期

小学6年生、2年生の男の子のママです。

お兄ちゃんは1歳3ヶ月ですんなり卒乳しました。次男は、私も最後の子どもと思い自然にやめるまで飲ませてみようと思いました。
2歳が過ぎましたが、まだまだやめる気配はありません。

幼稚園のプレ保育

次男は3歳になり、プレ保育に通い始めました。
好奇心旺盛の我が子。プレ保育でも興味津々楽しそうにしていました。
プレ保育の運動会の日、あいにくの雨でホールでの競技。だんだん眠くなり、イライラも募り、満を持しておっぱい星人の登場でした。
競技の合間にホールでの隅っこでゴクゴクとおっぱいを飲み、安心して最後まで運動会を楽しんでいました。

この頃は、落ち着かないときの安定剤だったのだと思います。

その日は突然に

年少さんになっても、ことあるごとにおっぱいを飲んでいた次男。
日中も夜も変わらず、落ち着かないことがあるとゴクゴク、夜寝るときもゴクゴク。やめる気配もないまま迎えた年の瀬。そのときは突然訪れました。

12月30日。「もうお兄ちゃんだからおっぱいやめる」と言い出したのです。

4歳6ヶ月でした。

そうかそうかと半信半疑で聞いていたのですが、その日を境にすっぱり卒乳をしました。

その後

大分長らくおっぱいを飲んでいた我が子。ただいま元気な2年生です。虫歯もなく、すくすく元気に過ごしています。
卒乳を本人に任せた方が自立に良いとか、悪いとか、様々な意見があります。

我が子に関しては、長く飲んでいたからと言って人よりも出来ないことが多いことはなく、むしろ負けず嫌いで一度決めたことは毎日やり通す頑張り屋さんになりました。

卒乳に関しては様々な意見があると思いますが、私は次男との4年間、子どもと少しでも長く触れ合えるとても幸せな時間でした。

あれれ?

小学6年生と、2年生の男の子の子育てをしている母です。
上の子が年少さんの頃、一人黙々とひらがなを覚えるおもちゃで遊び、教える間もなくひらがなを読めるようになりました。
性格は物凄くマイペース。人の話を聞いているのかいないのか。それでも自分が興味を持ったものはすぐ覚える子どもでした。そしてなにより優しく、怒らない子どもでした。

小学校に上がり、多少の心配はしていたものの皆と同じように過ごせるものだと漠然と思っていました。

問題発覚まで

1年生になり、ひらがなを書いたり、宿題をしたり、全てが初めてのことでした。もともと、書くことが苦手だった長男。やはり字も汚く、それでもなんとか頑張っていました。

問題としては、鉛筆、消ゴムが全てなくなって帰ってくることが何度もあること、学校のプリントを持って帰らないことがありました。
それも、まだ一年生だからと大きく考えていました。

何で?どうして?

段々と学年が上がり、周りの子どもが当たり前に学校のことをしているなか、長男の出来ないことが目について来るようになりました。

字に関しては、漢字がとことんできないこと。夏休み、宿題のプリントをコピーして毎日繰り返しても、明けのテストは散々ということが続きます。
苦手だからか、宿題もやっていると嘘を付き学校から電話がくることも毎回。
その度に怒られ泣きながら宿題の残りをしていました。

持ち物に関しても忘れ物、なくしものが多く、リビングの隣の部屋でスペースを作って管理するようにしました。

そんなことが続いた5年生のある日、自分の子どもから学校の様子を聞いて心配してくれたママ友達からお誘いがありました。

ごめんね

学校での我が子の様子は、宿題をしないことで怒られ、持っていてもマスクをしないことで責められ、かつての穏やかな我が子の姿はありませんでした。

何か立候補したくて手をあげても、宿題をちゃんとしない人はだめ、と先生に言われ自信をなくし。さらに家でも私に怒られる毎日。逃げ場がありませんでした。

そんなとき、ママ友の子どもの言葉に救われました。

長男君は、「優しくお願いすると気持ちよくいいよ、ってやってくれるのに、先生もみんなも間違ってる。」と、言ってくれていました。

誰にでも優しく、お手伝いも進んでしてくれる長男。

そんな我が子に私は笑うことも忘れ、怒ってばかりいました。

一緒に頑張ろう

その日の夜、
「怒ってばかりで応援することもしないでごめんね。きみは、やればできるんだからね。わからないことがあったら一緒にがんばろうね。」と、二人で泣きながら話し合いました。

それ以降少しずつではありますが、担任の先生もわかるほどに息子の取り組みかたが変わっていきました。

6年生の今、字は汚いままです。それでも宿題をしなきゃいけないと思うことへの自覚はついた気がします。
そして長男君の優しい性格はそのままに、洗濯物を干してくれたり、食器を洗ってくれたり、他のママからびっくりされるほどのママ思いに育っています。

一人一人できることが違うのに、皆と同じようにできないことにプレッシャーを感じていたのは、誰でもなく親の私の方でした。
何でできないの?みんなできてるのにと言い続けると、子どもも自分はできないと思い込んでしまいます。

できるんだから頑張ろう、と言い方を変えるだけで私の意識も、子どものやる気もこんなにも変わるものだと実感しました。

まだまだ悩むことの方が多いけど、親子で頑張ろうと思います。