私を変えたママ友のひと言~食物アレルギーに悩む私を救ってくれた言葉~
食物アレルギーの発覚
下の娘が生後11カ月の時、食物アレルギーがあることがわかりました。
自分はアレルギーとは無縁の人生を送ってきたこと、また長男もアレルギーが出たことがなかったことから
小児科の先生にその事実を告げられた時、頭が真っ白になってしまいました。
その後の先生のお話もどうやって聞いていたのかあまり覚えていません。
とにかく、なぜ?なぜ?とそればかり自分に問いかけていたことだけが記憶にあります。
泣いてばかりの1週間
生後10カ月ごろから1歳の卒乳を目標に私と娘は、夜中闘い続けていました。
長い長い夜を何度も過ごし、やっとのことで「食べることが楽しい!」と食にも興味が出始め
卒乳が見えてきていた矢先、私たちは食物アレルギーを告げられました。
いろんなものを沢山食べてほしい、美味しいものを美味しく食べてほしい、
食べることを楽しむ人生を送ってほしい、子どもたちにそう願っていた私は
その事実をすぐに受け止めることができず、これからどうしたらいいの?と頭を抱えて泣いてばかりいました。
ケーキにクッキー、天ぷらにコロッケ、私たちと一緒にこの子は食べられないの?
お友達が出来て、お誕生日会に行ってもこの子だけケーキ食べられないの?
無知だった私は、”食べられないものがある”ということだけにとらわれ、
この先何をすればいいのかさえ分からなくなっていました。
何も変わらない日々
それでも子どもたちにご飯を作って食べさせなければなりません。
これまで、出来るだけ栄養を!といろいろなものを使って作っていた娘のおかゆも
食物アレルギーが発覚してからというものの、積極的に新しい食材を使うことができなくなってしまいました。
ご飯と人参や玉ねぎなどの野菜だけを柔らかく煮て、毎食毎食それだけを与える日々が続いていきました。
私が勝手にふさぎ込んでいたことが、娘が新しい味に出逢うきっかけを奪ってしまっていたのです。
ママ友との再会
食物アレルギーがわかってから、毎日泣いてばかりいた私ですが
長男が赤ちゃんの時から通っていた支援センターで出逢ったママ友に再会したことで私の日々は変わりました。
久しぶりの再会でしたが、とても信頼しているお友達なので
彼女に食物アレルギーのことをすがるように話してしまいました。
すると、彼女は特に驚いた様子もなく、よちよちあるく娘に向かってこう言ったのです。
「よかったね~ママがママで。頑張ってくれるよー!」と。
そして私を見て、
「食物アレルギーの子のお母さんってみんなすっごい頑張ってるよ!だから私本当に尊敬してるの。
あなただったら、いつも頑張ってるんだからそのままでいいじゃない!」と言ってくれたのです。
私を変えた言葉
彼女が言ったその言葉に私は気が付かされました。
私は何て無知で愚かだったのだろう。
これまでアレルギーがあることが可哀そうなことだと思っていたのかもしれないと。
それと同時に、これまで泣いてばかりで何をしていたの?と自分が情けなくもなりました。
私は長男を妊娠したころから、自分の趣味、そして将来の我が子のためにとずっとパンとお料理の教室に通ってきました。
それってなんのためだったの?今それを発揮するときじゃないの?と気が付かされたのです。
食物アレルギーがあるからと言って何も食べられない訳じゃない。食べれるものから栄養は十分取っていける。
それをやっていけるのは母親の私じゃない!と奮い立つことができました。
信念を持って行動を起こしましょう
幸い、娘は食べ方を工夫すればアレルギー反応が出たものも食べることができる体質でした。
そして、これも幸い、好き嫌いなく何でも興味を持って食べてくれる子です。
今は食べながら治していく方法が主流だと知り、自分なりに勉強しながらやっていこう!と前向きに考えられるようになりました。
大切なのは、自分の信念をひたすらにやっていくことだと思います。
私は子どものころ、欲しいおもちゃは買ってもらえなくても、食べたいといったご飯はいつでも両親がお腹いっぱい食べさせてくれたことに感謝しています。
どんなにお金がなくても、洋服やおもちゃを買ってあげられなくても、
子どもたちがいつもお腹いっぱいの幸福感に満たされている人生を送ってほしい!
子どもを授かった時、そう願いました。
私はこの信念を貫いていきます。
最初は娘に食物アレルギーがあるのは自分のせいだと責めてばかりいました。
お母さんならみんなそう感じられると思います。
だけど、この事態を変えていけるのもお母さんである自分しかいないのです。
悩むことも多いですが、食物アレルギーは子どもたちに向き合い、頑張るきっかけになります!絶対に。
改善を目指して子どもたちのために頑張っていきましょう!