うちの子どんな子?遊びで才能診断シリーズ【キャスリング】と【かなコロン】の発売を記念し共同開発者でもある、
子育てや受験の分野で数々のテレビ出演や本の出版をされている「教育家」小川大介先生
2020年にキッズデザイン賞を受賞された「ボードゲーム作家」 遠山彬彦さん
そして、ママ代表として手形アートなどで 広く活躍している
「mamaniyell」 佐藤亜希さんをお迎えして
気になる幼少期や遊びについて、インタビューをさせていただきました。
今回全12話にわたって、親としてとても勉強になる話、意外な小川先生と遠山さんの一面などをお届けしようと思います。
松倉弥生
それでは改めまして、
親子の時間研究所編集長の松倉です。
今回はママ代表としてママニエールの佐藤亜希さんと、私で
『遊びで才能診断!キャスリング、かなコロン』の共同開発者でもある
「教育家の小川先生」と
「ボードゲーム作家の遠山さん」
にたくさんお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
それでは早速ですが、会社に属さずフリーで大変ご活躍されています小川先生と遠山さんに、私も1児の母として”一体どのような環境で幼少期を過ごしたのか”お伺いしたいと思っていました。
お2人はどんなお子さんだったのか教えていただけますか?
遠山彬彦さん
私は小学校受験をするために、いわゆるお受験塾のようなろことに通い始めて、慶応の幼稚舎に入った以降はずっと遊んでいた記憶があります。
お受験塾に行くにも、「今日は遊びに行くよ」と言われていたので、ありがたいことに意識としてはずっと遊んでいた、という記憶しかない幼少期でした。
最近自分の幼少期を感じる出来事があったのですが、私の母がお受験塾から帰ってきた姪っ子に対して、「今日も楽しかった?」と声をかけていて、一般的にイメージする、どれだけできたのか?という、お受験=厳しいといったイメージとは異なった環境だったのだなと懐かしく思いました。
もっぱらどんな場所でも遊びに行くよと言われていたので、楽しみながら過ごせていたのだと思います。
松倉弥生
それは楽しいですね。
遠山彬彦さん
私には姉がいるのですが、姉のやっていることを真似したがる子で、幼稚園の年長さんくらいの時に、姉がやっていた迷路だとかを姉と同じように一緒にしていました。
いろいろなことを経験させてもらいつつ、遊んでいたという印象が強いです。
佐藤亜希さん
当時では自分がすごく教育をさせられていたというよりも、遊びに行っていたという感覚が強いですか?
遠山彬彦さん
無理やり(お受験塾に)行かされていたというイメージは一切なかったです。
大変だったという記憶はないのですが、遊んだという記憶もあまりなく、すごく自然に日常に組み込まれていました。
そんな経験を元に、遊びの中にあたりまえに頭を使うきっかけが練りこめたら、子どもにストレスなく頭を使う習慣をつくれるのではと考えたのが、このような木製のゲームを作った背景にあります。
佐藤亜希さん
遊びが一番自然に身近にあったんですね。
小川大介先生
うちはお金がなかったので。
サラリーマン家庭で、僕の下には年子が2人いて。
双子なので、3人まとめて生まれてきたようなもので。
結果的に僕は小さいころから割としっかりしていて、4歳くらいの時には3歳の2人を連れて、20分くらいの保育園に歩いて連れて行って…
松倉弥生
佐藤亜希さん
えっ!3人でっ!?
小川大介先生
そう。
田舎でみんな顔見知りだったから。そういうことがありました。
遊びも、ないなりに遊ぶということが多かった。
裏紙に迷路を書いたり、折り紙が好きだったので折り紙をしたりして遊んでいました。
おじちゃんおばあちゃんと一緒に3世代7人家族で。母親も父親も忙しくておばあちゃんに育ててもらっていたので、わらべうた、手遊びなんかをしていた。
松倉弥生
おじいちゃんとおばあちゃんが一緒なのは安心ですね。
小川大介先生
父親はちょこちょこと作ることが好きな人だったので、割り箸でゴムでっぽうを作ってくれて遊んでいたかな。
勉強にかかわることは気が付いた時にはもともとできたので、そういう面では親も熱心だった。
(勉強を)教えてもらったというよりは、小学校入る前に平仮名だとか漢字に触れられるもの触れていて。
掛け算や九九も年長さんにはわかっていたから、分かるものはどんどんと「これは?」「これは?」という感じでいろいろ教えてくれていた。
父親が物知りで身の回りの科学的なことも教えてくれたりしていた。
母親は琴と三味線の師匠だったこともあって
家の中でお稽古をしているから、大人の人の出入りもあり邦楽が流れている環境でした。
そういうことに囲まれていたから、いろいろと考えるための刺激はあったし
大人の世界に触れる機会が他の子よりも多かったので、考えが”ませて”いた。
だから同世代の子と話が合わない事が…
松倉弥生
佐藤亜希さん
(笑)
小川大介先生
あとは新聞を読んだり、父親と議論したり…
松倉弥生
へー!
もう小学生の時から議論を?!
小川大介先生
そう、けっこうそんな環境でした。
短気だったし、意見を言い合うといったことが多かったですね。
あとは親が自分を大人扱いしてくれていたし、いろんなことを任せてくれたので、自分の責任で考えるという癖ができていました。
サラリーマン家庭で食べられないわけではないけれど、何か習い事ができるほどの余裕がないことを子どもの頃から知っていたんです。
小学生の時から母親の家計簿つけを手伝っていたので。だから家の収入と支出を知っていた。
なので自分に余計なお金を使わせたくないという思いが強かった。
(勉強は自分でできるから)塾などで勉強をするためにお金を払うことが理解できなかったし…
松倉弥生
そんなことを小学生の時に思っていたのですか?
小川大介先生
そうそう。
だからそろばんだとかも(塾などで)したことはなかった。
なので、遊びもシンプルなダイヤブロックをいろいろ組み合わせて何かを作ったり、回転させてみたりだとかをずーっとしてきた。
そういった工作が好きだったので。
きっとそれが僕のベースでしょうね。
ただ、本当に気が短いし、気が強いので問題児で。
松倉弥生
気が強い子だったんですね!
(い、印象と違う!)
小川大介先生
そう。気が強かった。親の言うことも聞かないし
指示されることが大嫌いだった。
だから・・・僕みたいな子は・・・しんどいと思う(笑)
松倉弥生
佐藤亜希さん
(笑)
小川大介先生
小6の時に塾にやっと行ったんですけど
地元の中学に行って坊主にするのは自分に合わないなと思ったし、部活なんかをやらされるのも絶対に合わないと思っていたから。
指示されたくなかったから。
「じゃあ(指示されない環境に行くために)受験するか」という考えになって塾へ。
ただ、自分の勉強のために余計なお金は使わせたくなかったので…
次回へ続きます。
※今回の取材に使用した透明のパネルはコロナ防止のため親子の時間研究所が作成したものです。
さて!次回小学生時代の小川先生は、子どもの頃に塾に通うため「え!本当にそんなことしちゃうの?!」と思わず感じてしまうほどの
考えと行動を実行します!!
次回もぜひお楽しみください。