親子の時間研究所

25年前の阪神大震災から子どもやみなさんに伝えたい事

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もうすぐ阪神大震災から25年です。遠い昔の話もうそんな風に思われる年月かもしれません。
しかし、被災者には今でもその時の恐怖や傷が心に残るのです。現在、私たちが暮らす地域も大変な状況だったそうです。今回は神戸生まれ神戸育ちの旦那から聞いた阪神大震災の体験談、私が読んだ、小学校で読まれる、阪神大震災の被災当時の様子が描かれている絵本、毎年1月17日にかならず小学校や神戸市で行われる阪神大震災のイベント、阪神大震災から子どもに伝えたいことを4点お話ししたいと思います。

阪神大震災とは

1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、M7.3の兵庫県南部に発生した地震です。

近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受け、特に震源に近い神戸市市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、当時東洋最大の港であった近代都市での災害として、日本国内のみならず世界中に衝撃を与え、犠牲者は6,434人に達しました。

旦那から聞いた阪神大震災体験

阪神大震災がおこる前の夜、寒い夜でした。旦那の母はその日夜遅くまで起きていたそうです。いつものように旦那は自分の部屋のうすい布団で寝ていたのですがあまりにも寒すぎたので、途中で起きて母の布団に移どうして寝ていたそうです。母と一緒に寝ることはもうとっくに卒業していた旦那でしたがきっと自分の布団はその日寝心地が相当悪かったのだと思います。

そして、5時46分多くの人が眠りについていた早朝「ドーン」と上下に揺れる爆発音がしたそうです。「地震よ。」父、母、旦那とお互いの無事を確認しました。余震が続く中旦那が自分の部屋に行ってみると、普段旦那が寝ていた布団の枕元に人形ケースのガラスの破片が飛び散っていたそうです。もし、いつものように自分の布団で寝ていたら大けがになっていたのです。その日たまたま母の布団に移どうして寝たことが幸運で、傷1つなかったそうです。

旦那が当時暮していた区では死者が1人で、被害がひどかった街にくらべて軽い方でしたが、ライフラインがとまる、学校が休校になる、家にヒビが入るなど考えただけでも鳥肌が立ちそうなくらい大変な生活をしていたそうです。あと、旦那は2カ月で小学校卒業、卒業直前に神戸市の小学校はスキー教室に行くのですが、震災の影響で中止になりました。今でも旦那の実家に行くと阪神大震災の後が残っていて、地震の影響でドアが閉まらないお部屋が存在します。

その当時の経験から旦那は地震がおこると普段あまり見ないニュースに必要以上に耳を傾けてしまうと言っています。

私が当時、住んでいた地域も震度4でかなり揺れました。被害はなかったのですが今までに経験したことがない揺れでしたので、地震後は放心状態でした。地震から何日かして、神戸の方から親戚を頼って神戸の小学校が地震で休校になっている間、私が住む地域の小学校へ神戸からきた子どもが通っていた時期がありました。


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絵本『おひさまいろのりんご 有希の阪神大震災』

私が読んで涙した本、長女の通う小学校で読まれている本で、阪神大震災の当時の様子が詳しく描かれている本があります。なぜ、長女の通う小学校で読まれているかと言うと、この本に小学校2年生の男の子が出てくるのですが、震災当時小学校2年生だった男の子が通っていた小学校に現在長女が通っているのです。神戸市のすべての図書館においています。

本の題名 おひさまいろのりんご 有希の阪神大震災
著者 堀口 清志
絵 堀口 久子
印刷所 神戸新聞総合印刷

私の子どもたちは阪神大震災を知らないし、私も阪神大震災がおこった当時は遠い場所に暮らしていたのでテレビでみた被害状況しかわかりません。

そんな、私たちでも読んだだけで被災当時の様子がわかりやすく書かれた本です。現在、私たちが生活している場所がどんな悲惨な状況だったのかこの本が語っていました。

子どもでもわかるようにひらがなで書かれています。この本を書かれた「堀口清志さん」は当時、中学校の教諭をして、神戸市の自宅で震災の被害に遭われました。地震の時に胸を骨折する、地震の次の日コンビニエンスストアでインスタントラーメンを買うのに2時間も並ぶ、子どもが40度の熱を出し、りんごをたべさせてやりたいと、ひっしにあっちこっちの救援所をひたすらかけめぐり、ようやくある救援所でボランティアさんからりんごをもらって、だいじに手に持って帰る様子、りんごを持って帰る途中ボランティアさんから優しくしてもらい涙することなどテレビで見るだけではわからなかった当時の被災地の様子がこの本には分かりやすく描かれています。

『おひさまいろのりんご 有希の阪神大震災』は、もともと震災の年の、1995年6月に1人でも多くの子どもたちに震災を伝えようとモノクロ版で自費出版した絵本です。その後、震災2周年を期に、中学・高校性向きに英語副読本として、おひさまいろのりんご、英語版『AN APPLE SHINING LIKE THE SUN』を発行しました。そして、1997年9月に念願のフルカラー日本語改訂版を出版しました。今回のコラムで私が紹介している『おひさまいろのりんご』は改訂版です。この本を読んだ皆さまが、あの阪神大震災での出来事や体験をたとえかすかであっても共感していただきたいという筆者の思いが込められています。

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1月17日におこなわれるイベント

学校での追悼式

『おひさまいろのりんご 有希の阪神大震災』で出てくる小学校2年生の男の子のお友達がなくなったように、現在長女が通う小学校でも何人かの児童が阪神大震災で命を落としました。そこで毎年1月17日になると、神戸の各小学校で朝一に追悼式が行われるのです。そして『しあわせ運べるように』が歌われます。この歌は小学校だけではなく、神戸市の幼稚園や保護者のPTA活動でも歌われます。私も小学校でPTAの役員をやった時に歌いました。

1番
地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう

傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に

響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに

届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

2番
地震にも 負けない 強い絆(きずな)をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう

傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み

響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに

届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

3番
地震から10年 苦しい事ものりこえ
当たり前のようにすぎていく 毎日を大切に生きてゆこう

これからの神戸を ぼくたちが支えてゆこう
次はぼくらが支えて行く 神戸のまちを

響きわたれぼくたちの歌
生まれ変わる神戸のまちに

届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

○しあわせ運べるように
『しあわせ運べるように』は、 1995年に発生した阪神・淡路大震災後に臼井真が神戸復興を願い、作詞・作曲した楽曲です。当初の歌詞は2番まででしたが、2005年に3番が作詞されました。この3番は神戸市立夢野中学校の生徒たちが、自分たちの思いを込めた3番を新たに創作し、合唱コンクールで披露したそうです。同楽曲は原曲の「神戸のオリジナルバージョン」のほか、2011年に発生した東日本大震災後に制作された、歌詞中の「神戸」を「ふるさと」に置き換えた「ふるさとバージョン」があります。

英語、中国語、フランス語、ペルシア語、アラビア語、トルコ語、カンボジア語、イタリア語、ハンガリー語にも訳され、それらは日本国外で広く歌われています。

1番と2番の作詞者の臼井真も、1995年、阪神・淡路大震災で自宅が崩壊しました。震災から約2週間後、身を寄せていた親戚宅で、生まれ育った街の変わり果てた姿をニュースで見て衝撃を受け、わずか10分で同楽曲を作詞・作曲しました。

阪神淡路大震災1.17のつどい

1月17日は小学校以外でも阪神大震災のイベントが神戸各地で行われますが、その中で最も1番ポピュラーのイベントが阪神淡路大震災1.17のつどいです。阪神淡路大震災1.17のつどいは、震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくための目的でおこなわれます。時間は5時~21時で、地震がおこった5時46分になると、黙とうなどがささげられます。

会場は神戸だけではなく、東京にもあります。阪神淡路大震災1.17のつどいの詳細は下記のサイトを参考にしてください。

阪神淡路大震災1.17のつどい

1月17日に以外におこなわれる阪神大震災にちなんだイベント

ルミナリエ

神戸ルミナリエは、神戸市の旧居留地において、1995年から毎年12月に行われている祭典、または電飾されている場所を示します。阪神・淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年開催されるようになりました。

ルミナリエ

○ハートフルデー
このルミナリエの展示開催期間中、地元市民はもとより国内外から多くの観光客が訪れるため、混雑が発生しやすいです。そのため、障がい者、ハンディキャップを持つ人と介護・付き添いの人々に、ルミナリエのイルミネーションをゆっくりと鑑しょうしていただくという趣旨のもと、事前の試験点灯数日後に「ネスレ・ハートフルデー」と題したイベントが行われています。事前の予約や申し込みは必要無く、当日、障がいなどの有無の確認はないため、良識に委ねられています。

阪神大震災から子どもやみなさんに伝えたい事

阪神大震災から25年たとうとしている今、人々の記憶の中からも、この時の衝撃を忘れてしまった人がいるのではないのでしょうか。

被災者にとって震災とその後の生活は、たいへん過こくなもので、その大変な生活が昨日のことのように思い出されるのだそうです。この震災の中で、死と隣り合わせの命のこと、生きていくことの大切さを被災者みなが感じたそうです。

欲しいものが簡単に手に入る今だから、被災当時りんごを求めて何時間も歩きまわってやっと手に入れた時のうれしさ、苦労して欲しいものを手に入れた時の感動を忘れないでほしいです。今、あるものに感謝して水、電気、ガスの無駄遣いをやめる、物を大切に使うことなどを子どもに教えていきたいです。

また、必ず人生には苦しいときがあります。しかし、そんな苦しい今が過去になる日がやってきます。この『しあわせが運べるように』の3番の歌詞のように、私の子ども、長女、次女がみらいの神戸のまちを支えていきます。その日のために、どうか今を精一杯生きてほしい。10年後の子どもたちに、しあわせが運べるようにと願わずにはいられません。

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