親子の時間研究所

《連載コラム》夏の記憶

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こんにちは。
イラストレーター、絵本創作家のはっとりまりです。

朝夕涼しくなり、夜にはこおろぎの鳴き声が聞こえるようになりました。

長女は夏休みが終わるのを嘆いていましたが、新学期が始まるやいなや、「学校、楽しかったー!」と言いながら帰ってきたので、一安心。

赤ん坊は、はいはいができるようになり、「おかあしゃーん」のような喃語で、私を呼ぶようになりました。私には「おかあしゃーん」、夫には「おとうしゃーん」、長女には「あーたん」(長女のあだ名)に聞こえるようで、家族みんなで「はーい。」と返事をしています。

さて。

長女が小学生になって、初めての夏休みが終わりました。
夏休みの間、子どもたちと一緒に過ごしながら、自分が子どもだった頃のことをたくさん思い出しました。

夏は、お盆があるせいか、死者や子どもの頃の自分と隣り合わせのような、不思議な感覚がまとわりつくように思います。夏休みという長い休みも、現実と切り離されたどこか夢の世界を生きているような気にさせるのかもしれません。

現実と過去を行き来した夏の記憶をお話します。

盆踊り

盆踊りの日、はしゃぐ長女に浴衣を着せながら、わたしは母に浴衣を着せてもらった小さい頃の私のことを思い出しました。

母の手順を思い出しながら娘に浴衣を着せていると、私は私の母になり、娘はあの頃の私になったような気がしました。

そうしたら、慣れない下駄を履いて、せっせと盆踊りの会場まで歩いたことや、家に帰ってきて下駄を脱いだ時に床が柔らかく感じるあの不思議な足の裏の感触がふと蘇ってきました。

私の姉は痩せていて、帯を締めてもらう時に「ゆりちゃんは細いね〜。」と、よく言われていました。私はふっくらしていて、細いねとは言われないけれど、いつか大きくなったら、そう言われるものなのだ、と思ったこととか。

私の目の前で、にっこり笑って立っている娘が着ている浴衣は、30年以上前に姉や私が着たものです。
私もこの浴衣を着て、嬉しくて笑ったに違いありません。

セミとり

以前にもおはなししましたが、長女は大のいきもの好きです。夏休み中はいろいろな虫を探し、もちろんセミとりにも行きました。

娘は、虫捕り網を片手に意気揚々と出かけ、木の上の狙ったセミを見事な網さばきで捕まえます。

そして、雄と雌の違いを2匹のお腹を見せながら語る娘。その語り口がNHKのEテレ、香川照之さんのカマキリ先生さながらで、思わず吹き出してしまいました。

「見てくださいよ。このお腹の違い!」といった具合です。

その時も、幼い頃、夏といえば近所の原っぱにセミとりをしに行ったことを思い出しました。

かまきりやバッタもよく捕まえました。
隣に年の離れたいとこ(双子の兄弟)が住んでいて、その2人が私や弟とよく遊んでくれました。

セミとりも彼らに連れられていって、覚えたのだと思います。

毎日暑くて、太陽が眩しかったこと、空が高かったこと、同じ原っぱで、夜には肝試しをしたこと・・・。

あまりに遠い記憶で、娘とセミとりに行かなければ、思い出すことはなかったかもしれません。


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記憶の匂い

またある時は、洗濯物を干そうと家の階段を上ったら、もわっとした懐かしい匂いが立ち込めていて、よくよく思い出してみると、それは実家の太陽の熱で温められた床の匂いと同じだと気付きました。

そうしたら、実家の2階のいちばん日当たりのよい部屋でごろごろ寝ていた小さな私を感じました。

実家は数年前に建て壊してしまって、今はもうないのですが、記憶の中に生きているものだ、と思いました。

実家を思うとき、幼い私が不安だったことや、心配で泣いたりしたことも思い出します。

そんな時は記憶の中で、幼い自分を今の私が抱きしめます。
もう、不安に思わなくていいんだよ。心配しないで。と。

このことは、
「子どもと生きる・あまえ子育てのすすめ」澤田敬 童話館出版
という本に書かれていて、感銘を受けました。
本には、虐待を受けていた人がトラウマを解消するための手段として書かれていました。そうすることで、過去のいろいろなことを許したり、受け入れたりできるというのです。

私は虐待の経験はありませんが、両親が喧嘩をするので、不安になったり、心配したりしたことを覚えています。自分の子どもを抱きしめるのと同じように、記憶の中で幼い自分を抱きしめることは、今の私の心を落ち着かせ、優しくしてくれる力があると感じています。

親になるとは・・・。

子どもの頃の記憶は、子育て中だからこそ思い出しやすいのだと思います。あの頃は楽しかったな、あれは大変だった、などと思い出しながら、自分の子にはどんな経験をしてほしいかを考えます。

それは、子どもと一緒に未来に向かいながら、同時に自分の過去を見つめ直す作業をしていると思うのです。

親になるということは、そういうことなのかもしれません。先人たちも、少し先の未来を見据え、過去や現在をぐるぐる行き来して、考えて、よりよいものを選んで子どもに残そうとしてきた、そう思います。

今回は随分観念的な話題になりました。

涼しくなって、季節の移ろいを感じ、なんとなく内省的になっているのかな。

本を読んだり、絵を描いたり、自分の内面と向き合ったり、静かに過ごすよい季節が訪れましたね。

 

 

 

*イラストの無断転載を禁止致します。

 

 

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