就学前、子どもはきちんと小学校でやっていけるのか不安になったことがありますよね。

人見知り、こだわりが強い、発達障がいなど人それぞれ悩みがつきものです。子どもによっては配慮が必要な子どももいます。そのような子どもが少しでも快適に小学校生活が送れるように親は子どもの就学先を考えなければいけません。

就学先には普通級、通級、特別支援学級、特別支援学校などがあり、就学先の選択の仕方によって先生が子どもへの配慮の仕方が変わってきます。
普通級、通級、特別支援学級、特別支援学校はどんな場所か、それぞれのメリットとデメリットを体験をもとにお話ししたいと思います。

普通級

〇特徴
1クラス児童40名学級(第1学年は児童35名学級)で先生が1人の学級です。長女が通う小学校は4年生まで児童35人学級で5年生から児童40人学級です。小学校の普通級とは、ほとんどの子どもが通っている小学校の教室のことです。知的な遅れがほとんどなく、言葉中心に進む授業が理解できて、教室移動や着席などの集団生活がスムーズにできるお子さんが通われています。

〇メリット
1.人数が多い分、授業に幅が出ます。いろんな考えを比べる学習ができます。集団遊びもできます。
2.大人数になれているので、たくさんの人がいる場でも、生き生きと活動できる子どもさんが多いです。
3.自分で友だちが選べます。人数が多いので、気の合う友だちもいれば、苦手な友だちもいるのが普通です。誰と仲良くなるか、自分で考えて決めることができます。

〇デメリット
1.担任が、1人1人に目を配る時間が少ないです。集団に埋もれて目立たなくなる子どもさんも出てきます。
2.団体で動くことを要求されます。1人1人の体調や都合はあまり配慮されません。
3.待つ時間が増えます。人数が多いので仕方のないことです。

通級

〇特徴
通級とは、普通学級に通う小学生のうち、言葉や発達に遅れがある子で市に認められた子で親が希望する子は、小学校の授業の時間帯に授業を休み、通級指導教室で訓練する療育制度です。

通級指導教室が通っている学校にない場合は、通級指導教室がある近くの学校にその時間だけ通う形です。また通常の時間割内で行われるケースと、放課後など常の授業外の時間に行われるケースの2パターンがあります。

通級による指導の内容は「自立活動」が中心です。自立活動は障がいによる様々な困難を改善・克服することが目的で、「健康の保持」「心理的な安定」「人間関係の形成」「環境の把握」「身体の動き」「コミュニケーション」の6つの区分で指導が行われます。

また自立活動のほかに、特に必要がある時には教科の指導を行います。これは単なる学習の遅れを取り戻すためにするものではなく、障がいの状態に応じた補充指導で、個別指導が中心です。

〇通級の例
長女の通う学校には通級クラスがなく、隣の小学校の通級クラスに通っています。普段は普通級で授業を受け、発音の療育の時間だけ授業をぬけて通級します。通級で授業を抜けても欠席にはなりません。療育は45分ぐらいで個別指導が多いです。教室までの送迎は必ず親がしなければいけません。

〇メリット
1.普通級の子どもとコミュニケーションがとれる機会が多い、刺激があります。
2.学習面での遅れがない、普通級の子どもと同じ授業が受けられます。

〇デメリット
1.通っている学校に通級指導教室がない場合、他の学校へ通わなければなりません。
2.通級指導教室との行き来がストレスになる場合もあります。
3.学級数や対応の地域差が大きいです。
4.高校では通級制度が整っていません。

特別支援学級

〇特徴
特別支援学級は言葉や発達の遅れがあって、小学校の普通級の一斉授業が難しい子のために設置された、普通級とは別の、少人数の学級のことです。

障がいの種別ごとに学級が用意されており、知的障がい、肢体不自由、病弱・身体虚弱、弱視、難聴、言語障がい、自閉症・情緒障がい学級があります。

〇特別支援学級の例
普通級との大きな違いは1クラス8名定員という少人数学級であることです。少人数のため、1人1人の個性に合わせたきめ細かい配慮がされます。必要に応じて授業のレベルを下げるなどの配慮や、1人1人のもっている部分(身体的な動きやコミュニケーション面など)の支援が行われます。教室内は安全面が配慮され、学習に集中しやすいように環境面も工夫がされています。
長女が通う小学校の特別支援学級は2クラスあり、1クラスに先生が2人います。児童は1クラス5人から6人だそうです。私が通った小学校の特別支援学級は1クラスで、先生1人に児童が2から3人でした。特別支援学級の教室は普通級の教室にくらべて広々としています。遊ぶおもちゃもたくさんあります。

〇メリット
1.1クラス8名までの少人数クラスで、発達に合わせたカリキュラムで学習できます。
2.給食や昼休み、ホームルームなどは普通級の子どもと触れ合うことができます。
3.大人数の中では落ち着かない、集中できない子どもさんのために、基本的にマンツーマン学習です。子どもさんに合わせたスピードで学習が進みます。学習内容は、普通級と同じものであることが多いです。
4.1人の空間が保証されます。特別支援学級には仕切りで区切られた小部屋がたくさんあることが多いです。そこで気持ちをクールダウンさせたり学習したりします。
5.学級の人数が少ないので、担任と保護者の距離が近いです。毎日綿密に連絡を取り合い、その日の体調に合わせた学校生活が送れます。
6.特別支援学級は独自の行事があります。特別支援学級は他校とのネットワークが綿密です。近くの学校の先生と情報交換をしたり、一緒に活動したりします。自然に特別支援学級の子どもさん同士も仲良くなったりします。

〇デメリット
1.校区の学校に特別支援学級がない場合、遠くの学校へ通学しなければなりません。
2.普通級や通級に比べて、普通級の子どもとの触れ合いが少ないです。
3.普通級との行き来がストレスになる場合もあります。
4.学級数や対応の地域差が大きいです。
5.高校では特別支援学級の設置がありません。
6.マンツーマン学習が多いので、いろんな考えに触れて、違う角度から考えたりする学習が苦手です。大人数の中で手を挙げて発表したりするのには慣れが必要です。
7.特別支援学級以外の友だちを増やすために、いろんな場を設定してあげる必要があります。教室が違うので、自然に友だちの輪が広がることは難しいと考えておかなくてはいけません。いろんな学級と交流する場が必要です。
8.いつもは静かな少人数で過ごしているため、全体に合わせて動くことが要求される学校行事などでは、いつも以上に疲れるみたいです。

特別支援学校

〇特徴
特別支援学校とは、身体的な障害や、言葉や発達の遅れがあって、地域の小学校の授業に参加することが困難な子どもや、机に向かっての学習が困難な子どもが、地域の小学校とは別に学ぶための学校です。クラスが6人程度の少人数で、一般的に、担任と副担任の2人態勢で行われます。お勉強が中心の小学校とは違い、遊びや集団活動、身辺の自立を中心としています。通園バスがある場合もあります。

〇特別支援学校の中
私の兄が通った学校は、通園バスがありました。クラスの人数は5人で先生が3人ぐらいいたような気がします。校舎の中にはトランポリンなどの遊具がありました。私が通っていた小学校とは比べものにならないくらい設備がよくきれいだった気がします。

〇メリット
1.自分のペースが許されます。
普通学校だと、特別支援学級であっても運動会などの行事は集団行動が必要です。しかし、特別支援学校では集団に合わせるのではなく自分のペースにあった方法で過ごすことができます。
2.子どもに無理をさせないですみます。
特別支援学級でも学習指導要領に基づいた指導がされることになっていて、普通級と同じようにテストもありますし、音楽会や運動会も健常児のレベルに合わせて無理をしなくてはいけません。子どもに無理をさせたくないという思いから特別支援学校を選択されている人は多いです。
3.自己否定をするのを防げます。
大勢の健常児に囲まれ自分と比べることで自分はダメな人間だと、自己否定をするのを防げることもあります。こうした本人の意識をいくら家族や先生が違うよ、大丈夫だよと言っても、実際に普通にできる子どもに囲まれると普通にできない子どもはつらいです。特別支援学校では同じように障がいを持った子どもが多いので、自分はみんなと違うといった劣等感を感じる自己否定をすることも無くなるようです。

〇デメリット
1.他の子ども達からいいかげんに物事をするように扱われてしまうことです。
大人数の健常の子ども達の中で圧倒的に少ない人数の障がい児のコミュニティを作ることになるので、どうしても他の子ども達からいいかげんに物事をするように扱われてしまいます。
2.子ども同士だけではなく、親同士でもやはり健常児の子どもの保護者とは壁のようなものを感じることです。特別支援学校に移ったことで、態度を変えた保護者がいて変えられた保護者にとってショックは大きかったと話を聞いたことがあります。

就学先の選択例

私→小さいとき構音障がい
普通級
小学校のとき普通級は大変でした。勉強についていけない、音読が上手にできないなど苦しいときがありました。低学年のときに通級で発音の療育に通わせてほしかったです。普通級で周りの子ども達に対して自分はみんなより劣っている、迷惑をかけているといった劣等感を強く持っていました。中学校以降、塾の先生との愛称が良かった、母が少し勉強を見てくれたことで普通級にいることの苦痛はなくなりました。

兄→重度自閉症
特別支援学校
入学前の年、特別支援学級と特別支援学校の両方を検討したそうです。母は兄が言葉を話すことができないので特別支援学級も厳しいと考え特別支援学校を選択しました。
実際、小学校のとき兄と同じような重度自閉症の子どもが特別支援学級にいましたが、あわず特別支援学校に転校していったことがありました。

長女→構音障がい療育中
通級
通級をしていなかった私にくらべて、7歳で発音がほぼできるようになりました。もうすぐ卒業します。入学前相談で特別支援学級はもったいないと言われました。
今のところ勉強の目だった遅れは感じていません。勉強面は出来るほうではないでしょうか。今後は普通級で大変と感じたら特別支援学級を検討する予定です。

次女→構音障がいでこれから療育
来年度、年長です。今のところは特別支援学級ではないと言われていますが来年度は慎重に検討する予定です。

普通級から特別支援学級、特別支援学級から特別支援学校の編入は割とハードルが低いと言われていますが、特別支援学校から特別支援学級、特別支援学級から普通級への編入はハードルが高くて難しいと言われています。

軽度の場合はまずは普通級に入れて、大変そうなら特別支援学級に選択を考えても大丈夫だと思います。また、通級と選択もあります。

親の期待が子どもを苦しめる

子どもに発達障がいがあるならば通級、特別支援学級、特別支援学校の選択を考えなければいけません。しかし、親は障がいがあっても少しでも普通級や特別支援学校以外で頑張って通ってほしいと思うものです。そのような親の期待が子どもを苦しめます。無理やり普通級に入れた結果、集団の中での教育についていけなく、どんどん学校生活が苦しくなっていくことが多いのだそうです。結構重度障がいで無理やり特別支援学級に入れて、なじむことができず特別支援学校に転校した子どもも見てきました。
先生から子どもの、通級、特別支援学級、特別支援学校入りを勧められた時、親として面白くないかもしれません。なにかのレッテルを貼られているように感じになる人もいるでしょう。大事なのは子どもにとって1番ベストな学校生活の環境を考えてあげることだと私は思います。
最後に決めるのは親です。学校は勧めることはしても強制はしません。子どもが行きたがっていても親が決めなければ行くことはできません。そして、学校生活を実際に送るのは子どもです。親が学校生活を送るのではありません。なので、親の見栄は出来る限り取り払い、目の前の子ども気持ちを優先させて就学先を決めてほしいと思います。

1人で決めることが難しいと思ったら先生や子ども家庭センターなどに相談してください。きっと適切なアドバイスをしてくれるはずです。

「おギャー」赤ちゃんが産声を上げた瞬間、先ほどまでの陣痛の痛みを忘れママは歓喜にいたります。わが子が生まれた瞬間苦しみから喜びに変わります。そんな喜びを絵本にしてみませんか。

絵本の特徴

産院から退院する時にたくさんのギフトをもらうのですが、ギフトの1つに出産の感動を絵本にするものがあります。ベネッセさんの提供でお金はかかりません。

この絵本の特徴は表紙に自分の子どもの生年月日と名前、物語の中に自分の子どもの名前がでてきます。種類は2つあり、主人公を赤ちゃんにした絵本と上の子どもが登場する絵本があります。

申し込み方法は産院からもらった申込用紙やインターネットから申し込みができます。産院からもらった申込用紙から申し込みをおこなった場合子どもを出産した産院名が入ります。

インターネットからは下記のサイトから申し込みができます。

絵本の申し込み

長女が生まれたときに作った絵本

主人公を赤ちゃんにした絵本
物語の中の主人公は長女で、長女の名前が何度も物語中に出てきます。おなかの中にいるときから誕生までの様子を、長女の目線で描いた絵本です。
自分の子どもの名前が入るので世界でたった1つだけの本をつくることができます。
性別に応じて女の子は「ちゃん」、男の子は「くん」と入ります。

次女が生まれたときに作った絵本

上の子どもが登場する絵本
次女が生まれることで赤ちゃん返りがひどかった長女、長女に読み聞かせるのに上の子どもが登場する本がぴったりだと思いました。長女が生まれたときも同じように嬉しかったこと、大切にされていることをわかってくれました。物語中には長女の名前と次女の名前がでてきます。

上の子どもが登場する本は、上の子どもの名前を2人まで入れることができます。人数や性別によりイラストが変ります。

男女各1名、男子2名、男子2名と女子1名、女子2名、女子2名と男子1名のバージョンがあります。
名前はひらがな、漢字どちらでもいけます。

パパとママのあつかい

主人公を赤ちゃんにした絵本と上の子どもが登場する絵本、両方にママは必ず登場します。希望を出せばパパも登場させることができます。私は上の子どもが登場する絵本にパパを登場させました。

絵本のメリット

1.イライラした気持ちが笑顔に変わります。
子育ては楽しいことばかりではありません。子どもが成長すると我が出てくるなどでイライラすることが多くなり、日々の生活に追われ子どもが生まれたときの感動を忘れていませんか。
私は子どもが言うことをきいてくれないでイライラしたときにこの2つの本をひらいて、さっきまでイライラした気持ちを落ち着かせています。
子どもに対して生まれてきてくれてありがとうと思えるようになるのです。

2.出産の思い出がかたちあるものとして残ります。
わが子が生まれた瞬間感動しますよね。感動が絵本という形あるものとして残ることは嬉しいですよね。

3.世界に1つだけの本
絵本1つ1つに子どもの名前が入るので、誰もが持っていない自分だけの本です。

ぜひ、出産の感動を絵本にしてみてはいかがでしょうか。

【構音障がい】と言う言葉を皆さん聞いたことがありますか?

構音障がいとは、話し言葉の特定の音が正しく発音されない状態をさし、話し言葉を構成している1つ1つの音が、正しく音を構成することができないことを【構音障がい】と言っています。
例えば「せんせい」が「ちぇんちぇい」、「つき」が「ちゅき」、「いす」が「いしゅ」と言うような発音になってしまいます。私も構音障がいの1人でした。構音障がいだったために、小学校で冷やかしからかいの対象となりすごい嫌な思いをしました。

私の経験を通して、構音障がいの苦悩や発音異常を指摘されたときの対応について話したいと思います。

構音の発達の順番

母音5つの発達についての研究によると、1歳では「あ」はよく聞き取れますが、「い」「う」は不明瞭、「え」「お」は40%くらいしか聞き取れません。それが3歳を過ぎると「あいうえお」の母音5つの85%が正しく聞き取れるまでに発達してきます。5歳になると、母音は3歳児とそれほど変化しませんが、子音がはっきりとしてきます。
つまり、2歳・3歳では発音ははっきりしなくても障がいではないのです。

問題は4歳半になっても「せんせい」が「ちぇんちぇい」、「つき」が「ちゅき」、「いす」が「いしゅ」などの発音が続いているかどうかです。

構音障がいの原因

構音障がいはさまざまな原因によって生じますが、大きく分けると、形の問題によるもの、運動の問題によるもの、明らかな問題のないものに分類できます。

1.形の問題によるもの→品質性構音障がい
病気やけがのために、音を作る時に使う器官が欠損、形の異常のために起こる発音の問題で、器質性構音障がいと呼ばれます。
先天的なもの・・・舌小帯が短いなどの舌の形態の異常
口蓋裂(口の天井の部分が開いている状態)、粘膜下口蓋裂(口蓋垂、いわゆる「のどちんこ」が割れている状態)、鼻咽腔閉鎖不全(話をするときにことばが鼻に漏れたり、抜けたりする状態)
後天的なもの・・・がんなどの切除手術によるもの
舌がん術後に舌の1部がなくなり、発音がおかしくなります。
顎がん術後に口腔と鼻腔の境目である上あごが1部なくなり、発音がおかしくなります。

治療・療育
品質性構音障がいの場合は、原因となっているからだの部分の治療が優先されます。耳鼻咽喉科や口腔外科において、必要な治療を終えたあとに正しい発音の仕方を学びます。

2.運動の問題によるもの→運動障がい性構音障がい
脳卒中やパーキンソン病など、発音に関わる動きをコントロールする神経の病気が原因で起こる発音障がいです。思い通りに舌や口を動かせず、発音に異常がでます。

治療・療育
運動障がい性構音障がいの場合は全身の動きが関連しますので、体の使い方を学ぶとともに、多少不明確な話し方であっても、相手に伝わる工夫をすることでコミュニケーションという本来の言葉の機能を果たすことができます。

3.明らかな問題のないもの→機能性構音障がい
1や2のような明らかな原因はないのですが、発音に誤りがあるタイプを「機能性構音障がい」と言います。小学校入学間近なのに赤ちゃんことばが治らない(「カ行音」が「タ行音」になる、「サ行音」が「タ行音」になる)、子どもの頃に身に付けた発音の誤り(くせ)が大人になっても治らないといったように、脳や神経、聴覚などに異常がないにもかかわらず発音がうまくできない場合には、機能性構音障がいの可能性を疑います。

治療・療育
機能性構音障がいの場合は言語聴覚士などの専門家から、適切な指導を受けることにより、ほとんどの場合は比較的短時間に改善し、将来的に何の問題も残さなくなるものです。

私は3にあたりました。

構音障がいを指摘され苦悩の日々

私は10歳まで「せんせい」が「ちぇんちぇい」、「つき」が「ちゅき」、「いす」が「いしゅ」などの発音が続いていました。
私が発音のことを言われたのは小学校1年生の1学期でした。国語の時間に音読をさせられました。その時に、あなたの言葉は「つ」が「ちゅ」、「す」が「しゅ」など赤ちゃん言葉になっていると言われました。
クラスメイトの前で言われ私はとても傷つきました。音読を何回もクラスメイトの前でやり直しをさせられました。
そんなこともあって「赤ちゃん言葉」と冷やかしからかいを受けるようになりました。

わたしは「つき」と言っているのに、聞く人にとっては「ちゅき」に聞こえてしまうのが恥ずかしくなり、授業で音読をする、人前で話すことが恐怖に感じ嫌になりました。
母にも私の発音がおかしいことは伝わっていましたが、重度自閉症の兄にくらべたらおしゃべりができて、きちんと皆にあわせて行動ができていたので、私の発音がおかしいことはあまり気にしていませんでした。

結局私は、発音の療育を受けていません。

さらに3年生、4年生になると構音障がいによる冷やかしからかいが激しくなりました。「もう1度1年生に戻ってあいうえおの勉強しなおせ」、「お兄ちゃんと一緒の学校へいったら」などひどい言葉をあびました。
私の家の近所に住む子が、重度自閉症の兄のことを知っていたので、その子を中心に私の兄のことや私の構音障がいの冷やかしからかいはエスカレートしていきました。
勉強にもついていけれてない時があったのでなおさらです。

さすがに、耐えきれなくなり4年生の2学期に担任の先生に「もう学校に行くことが嫌だ。私がまともに発音できないことを面白おかしくからかわれることがつらい」と泣き泣き訴えました。

すぐさま学級会が開かれ、私の構音障がいのことの話し合いが行われました。それ以来、構音障がいによる冷やかしからかいがなくなりました。
私も成長とともに構音障がいが自然に治癒したのか、環境が変わっても発音がおかしいと言われることはなくなりましたが、いまだに私は活舌がよろしくありません。

構音障がいの経験を通して

私は構音障がいだったので、音読で冷やかしからかいを受けたため音読をすることが嫌いになった影響が大きかったかもしれませんが、他の家庭にくらべ子どもにあまり絵本を読んであげられてないような気がします。
そのため、長女も次女も言葉の出だしがとてもゆっくりでした。
もっと赤ちゃんの時にしっかり本を読んでいれば良かったと後悔しましたが、3歳で急にべらべら話だしたときはほっとしました。

幼稚園から指摘があったわけではありませんが、長女が小学校入学の前の年に子ども家庭センターで発達検査と発音の検査をしました。言葉の出だしが遅かったので言葉の発達が気になっていました。
小学校で私みたいに構音障がいで冷やかしからかいを受けることによって、私みたいにつらい思いをしてほしくなかったという思いが大きかったです。

検査を受けて正解でした。
発達検査の結果、言葉で表現することが苦手なことが判明し、発音の検査では「サ行」、「ザ行」、「つ」が「ちゅ」、「す」が「しゅ」、ラ行とダ行の聞き分けができていないことがわかりました。
その時に、ことばの教室に通級をすすめられ、すぐ申し込みをしました。迷いはなかったです。
ことばの教室に通い始めてもうすぐ2年です。長女は現在2年生ですが、ほぼ発音は上手になりました。
もうすぐ卒業です。

長女の申し込みと同時に、次女もことばの教室の申し込みをしました。
次女も言葉が遅かったので、おそらく発音の発達も遅いと考えていました。申し込みをしたときまだ次女は3歳で、ことばの教室に通うのには早すぎたので5歳になって発音が気になるようだったら通うことにしました。

今年5歳になった次女、意識してきくとやはり「サ行」、「ザ行」が言えていないことが目立ちます。長女がことばの教室に通級していたので、長女の言葉の相談をするついでに次女の言葉の相談をしました。
先生からの答えは長女がもうすぐ卒業だから、長女が卒業したら次女がことばの教室に通うというように話が進みました。
自治体によるかもしれませんが、私たちが暮らす自治体では発音の訓練は小学校入学前の年から(年長)はじめます。来年次女は年長です。

長女が通っている、次女が通う予定のことばの教室は現在待機が多くなかなか入ることができません。
他の言語訓練施設も半年待ちとかよく耳にします。発音の訓練は個人の指導が主なので、そのような事態になるのだと思います。

結局療育を受けられないまま小学校中学年になってしまうこともあります。早めに動いたことが長女や次女の言葉の発達のために適切な時期に適切な療育を受けることができたと考えています。

発音異常を指摘されたら

幼稚園や保育園で発音異常を指摘されたら、すぐさま療育センターや子ども家庭センターに相談しましょう。指摘されなくても子どもの発音が気になりましたらすぐ行動しましょう。

子育てはやり直すことができません。時間は決して戻らないのです。

小学校にあがりあの時、発音療育を受けておけばよかったと思った時では遅いのです。

構音障がいに障がいとついていますが、障がいとつけるのには違和感があるという意見が多いようです。
私が成長とともに自然に治癒したように、小さい頃の構音障がいは自然とともに治癒すると考える人が多く、発音の療育を受ける必要がないと考える人が多いように思えます。
だからといって、きちんと音を組み立てられないと子どもは、私がされたように周りの人から冷やかしからかいを受けるようになります。なので、こういった課題を先送りせずに、適切な時期に適切な療育を受けさせましょう。

明らかな問題がない構音障がいは、療育に通うことで小学校低学年までに正しい発音を身につけることができます。幼稚園や保育園で指摘されたけど、まだ小さいから様子を見ようと考え、小学校になってやはり発音が気になるから療育しようでは遅いのです。

構音障がいをを直してあげたいと考えるならすぐに動きましょう。迷っている暇はありません。

『サンタクロースからのプレゼントで欲しいもの。タケコプター』私は子どものころ空を自由に飛びたくて、ドラえもんに出てくるタケコプターがどうしても欲しかったです。
親や先生からタケコプターのプレゼントは無理でも、サンタクロースなら絶対タケコプターをプレゼントしてくれると思っていました。

皆さんはサンタクロースをいつまで信じていましたか?
私は小学校低学年まで信じていたような気がします。

サンタクロースは魔法使い

サンタクロースは魔法使いと思っていました。12月24日の夜から25日の朝にかけて世界中の子どもの家をまわるのだから、なにか魔法を使って子どもたちが起きるまでにプレゼントを配り終えるものだと思っていました。
私にとってサンタクロースは憧れでした。

タケコプターが欲しいと思っていたのは私が小学校低学年のころでした。タケコプターはスーパーやデパートでは売っていなかったので手に入れることができませんでした。
そこで、子どものころサンタクロースは魔法使いと信じていた私は、サンタクロースなら絶対タケコプターを手に入れてプレゼントしてくれるものだと思いました。
しかし、タケコプターをお願いしたのに、12月25日朝起きてみたらプレゼントはタケコプターではありませんでした。

『ごめんなさい。タケコプターは手に入りませんでした。代わりにあなたのお道具箱が古くなったとあなたのお母さんが言っていたので、お道具箱をプレゼントします。 サンタより』

期待していただけにショックでした。
タケコプターで空を自由に飛んで周りの人に自慢したい気持ちもあったので、どうしてもタケコプターが欲しかったからです。サンタクロースにも手に入らないものがあると、少し現実を思い知らされました。
だけど、サンタクロースからの手紙があったので、サンタクロースの存在を信じ続けました。

私自身、夢を持ち続けたかったかもしれません。

サンタクロースの存在を疑い始めたころ

小学校3年生のときのことでした。
クリスマスの時期になるといつものように同級生に「クリスマスにサンタクロースから何をもらうの」と質問した時に、「サンタクロースを信じているの、いないよ。クリスマスに朝起きておいてあるプレゼントは親が置いているのよ。いつも何が欲しいか絶対きいてくるでしょ。」と言われました。
そう言われたとき、タケコプターが欲しいと願ったのにタケコプターでないものが届いた時のことを思い出しました。

プレゼントを置いているのが親ならばタケコプターのプレゼントは不可能だと思いました。
他にもサンタクロースなんかこない家がある、クリスマスのプレゼントは親から直接もらうなど話を聞いたので、サンタクロースが本当にいるのかいないのか小学校中学年ぐらいから疑いがでてきました。
私も親に疑いを入れるようになり、ついに親は「サンタクロースはもうこなくなった。あなたが信じないならサンタクロースは信じない人の家にはこない」と言われました。

そう言われて以来、私のところにはサンタクロースがこなくなり、クリスマスになってもプレゼントをもらえなくなりました。

サンタクロースを信じなくなってから

サンタクロースを信じなくなってからクリスマスが寂しくなりました。
サンタクロースからのプレゼントをもらうことを楽しみにクリスマスツリーを飾る、お部屋をクリスマスモードにするため飾り付けをしていたので、サンタクロースの存在を信じなくなってからはクリスマスの準備をすることが虚しくなりました。

正直私は、サンタクロースを信じていたことが子どもじみていて恥ずかしいとさえ感じました。今思えば、サンタクロースを信じなくなったことも心の成長の一部であったような気がします。
しかし、サンタクロースにタケコプターをもらって空を自由に飛ぶという夢は、子どもだったから想像できた夢だと思います。大人になった今そういう発想ができなくなりました。

子どもが思い描くことはメルヘンチックで素敵だなと気づかされたのはだいぶ先のことです。

思い出のクリスマスのうた

サンタクロースは魔法使いで、サンタクロースからのプレゼントを楽しみにしていた私にとって『あわてんぼうのサンタクロース』は1番好きな童謡でした。
ジングルベルや赤鼻のトナカイ、きよしこの夜などクリスマスの歌はいろいろいい歌があります。

なぜか私は『あわてんぼうのサンタクロース』にひかれます。私の子どもが飾り付けをしたクリスマスツリー、つくったクリスマスの作品、私と旦那がクリスマスにデートした場所の写真を集めて動画をつくってみました。
空を自由にタケコプターで飛びたいと私が子どものころ想像したように私の子どもは何を想像しているのでしょうか。

考えると楽しくなりました。

子どもに夢を

私がタケコプターを欲しいと言った時、私の親はすごく困ったと思います。
私の夢を壊さないように、サンタクロースからの手紙を書くなど工夫があったから、私はサンタクロースを長い間信じることができ、楽しいクリスマスがやってきたのだと思います。

私の子どもは、私が子どものころと同様にサンタクロースを信じ、クリスマスツリーを飾る、カレンダーにクリスマスの絵を描いてクリスマスがくることを楽しみにしています。

現実は親がプレゼントをしますので、家によっては初めからサンタクロースを否定する家庭もあります。考えは人それぞれかもしれませんが、私は子どものころサンタクロースの存在を信じる時期があってよかったと思っています。
もし、子どものころサンタクロースを信じてなければ空をタケコプターで自由に飛ぶ、ソリに乗って鐘をリンリン鳴らしながらサンタクロースがやってくるようなメルヘンチックの想像はしなかったと思います。
子どもの時にサンタクロースの存在を信じ、メルヘンチックの想像があったからこそ楽しいクリスマスがやってきたのだと思います。

だから、私の子どもがサンタクロースを信じている間、メルヘンチックの想像をたくさんさせ、クリスマスがくることを楽しんで欲しいと思っています。

私は子どもがクリスマスを楽しみにしている姿をみると、思わず楽しくなります。
イライラしている気持ちも無くなります。子どもがサンタクロースを信じている間は、私の親が私にしてくれたように子どもの気持ちを大切にしたいと思います。

たくさんメルヘンチックのことを想像して想像力が豊かになって欲しいです。

モンテッソーリ教育の幼児教室の延長で、私は長女をモンテッソーリ教育の幼稚園に通わせることにしました。

皆さんも幼稚園選びには、かなり慎重になるのではないでしょうか?
私も近くの幼稚園に入園させるか、家から自転車で30分もかかるモンテッソーリ教育の幼稚園に入園させるか、かなり悩みました。

今までお友達に手を出すなど、お集まり拒否の長女がモンテッソーリ教育の幼児教室に通い始めて、お友達に手を挙げることが減った、きちんとお集まりをするようになったなど、かなり成長が見られました。
だから、前期でやめるのはもったいないと思い、送迎が大変なことを覚悟でモンテッソーリ教育の幼稚園を選択しました。

 

モンテッソーリ教育後期

長女が通った、次女が通っている幼稚園の特徴をまとめました。
幼稚園でのモンテッソーリ教育は、3歳から6歳の後期にあたります。後期モンテッソーリ教育は5つの分野に分かれます。

1.日常生活の練習
日常生活の練習の目的は、運動の完成です。
運動の感性とは、自分の身体を思う通りにコントロールする力を身につけることです。子どもはやりたい願望が強いのですが、やり方がわからないことが多いです。やりたいのにうまくできなくて癇癪をおこすことは少なくありません。
発達段階に応じて課題を設定し、1つずつ課題をクリアしていくことで子どもは自信を持つようになります。
子どもに正確にやり方を伝え、自分のことが自分でできるようになった子どもは、自立に向けて大きな1歩になります。

実際の活動には、歩く、はさみで切る、コップに水を注ぐ、ボタンをかける、室内を掃く、洗濯をする、排せつの後始末などがあります。

代表的な教具
・シンメタリック図形切り
指先を器用に使い、はさみを思い通りに使えるようになります。
・ミニほうき
小さい子どもでも簡単に使えます。整理整頓心を芽生えさせる目的があります。
・縫いさし用紙
自然に3本の指で針を持つことができるようになります。両手の指先をなめらかに動かせるようになり、鉛筆の正しい持ち方につながります。
・機織り機
両手を器用に使い、縦糸を通す動作をなめらかにできるようにします。

 

2.感覚教育
人間は外の世界の情報を5感(視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚)によって収集します。
3歳過ぎの子どもは、5感の発達がほぼできあがります。感覚が最も発達する時期でもあり、この時期を利用して、意識して5感を使って練習するのが感覚教育です。
また、感覚教育の教具には、くらべる、段階づける、わけるという、3つの操作が必要とされています。

モンテッソーリ教育では、感覚教育は言語・算数・文化教育という知的教育分野の基礎となる重要な役割をはたしています。

代表的な教具
・新円柱さし用紙
円柱のつまみを利き手の3本の指で持てるようになります。教具を目で見る、持つ、大きさや重さを体験することで数値以前の量の体験をします。
・長さの棒
教具を見て、持って1次元の大きさの変化をとらえます。長いといった数値以前に量を経験します。

 

3.言語教育
文字を書くこともまた、日常生活の練習や感覚教育で学んだ手や腕をコントロールする力をつかいながら、自然に身につくような工夫がされています。
子どもが文字に関心をもつ時期に自然と文字を書く、読めるようにする教育です。話す、書く、読むだけではなく、文法や文章構成、表現も早い時期から学びます。

0歳から3歳までの前期で言葉を増やし、3歳から6歳までで文法、読み書きを学んでいきます。

代表的な教具
・壁掛け砂文字板
ひらがなの五十音配列を認識します。砂文字板で練習中の文字がどこに位置するか確認します。
・移動五十音カード
音と文字の結びつきを強化します。単語を理解し読み書きの準備をします。

 

4.数教育
教具はただ単に数を唱えるものではなく、数量が具体物で表され、手で扱えるようになっています。十進法は、1、10、100、1000の「金ビーズ」を用いて、視覚、重さなどで数を体感しながら学びます。

代表的な教具
・十進法の教具
1,10,100,1000の量と数字、数詞の関係を理解し、10進法における位置取りを理解します。量と変化と点、線、面、立体の変化についても視覚的に経験します。
・奇数・偶数練習紙
数だけシールを張っていきます。
・算数棒
1から10までの量と数詞の一致ができるようになります。10進法が理解できます。

 

5.文化教育
文化教育は、ことばと数以外の子どもの興味を対象とした幅広い分野です。歴史、地理、地学、動物・植物など、小学校の社会科、理科に相当する分野を扱います。生命のふしぎや美術、音楽に関する表現力など、広い範囲にわたった能力を育みます。

代表的な教具
・時計
時計の部分の名前、時刻の表し方を学びます。
・地図パズル
オーストラリア、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、アメリカ合衆国、国名や国の位置、首都などを学びます。

 

モンテッソーリ教育の幼稚園のクラス

モンテッソーリ教育の幼稚園は縦割りクラスが特徴です。満3歳、年少、年中、年長組み合わせによる縦割りクラス編成です。小さいお友達はお兄ちゃん、お姉ちゃんの良いところを見習い、大きなお友達は小さなお友達のお世話をします。

〇幼稚園入園前のクラス
モンテッソーリ教育の幼稚園の多くでは、縦割りクラスに入る前のお子さまを対象としたクラスがあり、ニドクラスとインファントクラスに分かれます。

1.ニドクラス
0歳から通います。長女と次女の幼稚園では、0歳から通える保護者と一緒に通うニドクラスがあります。

2.インファントクラス
両手でものを持って歩けるようになった1歳半~2歳半頃から通います。長女と次女の幼稚園では、2歳から通う保護者分離のインファントクラスがあります。
満3歳になったら縦割りクラスに入ります。
長女は年少の縦割りクラスから通いましたが、次女がニドクラスとインファントクラスも通い現在、モンテッソーリ教育の幼稚園の縦割りクラスに在園中です。

 

縦割りクラス以外のモンテッソーリ教育幼稚園の特徴

1.お仕事の時間がある
独特のモンテッソーリ教材、道具を使った活動、おもちゃを自由に選択する活動は、モンテッソーリ教育ではお仕事と呼ばれます。長女が通った、次女が通っているモンテッソーリ教育の幼稚園は、毎日1時間から1時間30分ぐらいお仕事をしています。

2.行事が控えめ
モンテッソーリ教育の幼稚園は、運動会、遠足、クリスマス会や豆まきなどの行事は控えめである傾向です。お子さまの日常生活を大切にしているため、発表するための練習などはあまり行わないのが特徴です。
長女が通った、次女が通っているモンテッソーリ教育の幼稚園は、運動会、遠足、クリスマス会(生誕劇)の行事はみっちり行い、親のお手伝いは結構多いです。
しかし、他の幼稚園には必ずある、夏祭りがありません。遠足は近場ですませることが多く、校外学習の回数も少ないです。お泊り保育も他の幼稚園は、幼稚園の郊外に泊まりにいきますが、長女が通った次女が通っている幼稚園は幼稚園でお泊りをすませます。

 

こんな人にお勧めします。モンテッソーリ教育の幼稚園

教育方針や行事は幼稚園によることが多いので、入園前に1度幼稚園を見学しておくことをおすすめします。

1.行事より基本的な生活習慣や自然に学習する習慣を身に着けてほしいと考える人におすすめします。
2.自然に学習をする癖を子どもにつけさせたい方、小学入学前に自然に文章を書くようになってほしい方、計算が自然にできるようになってほしいと考えている方におすすめします。
3.モンテッソーリ前期課程を修了、修了予定者は、引き続きモンテッソーリ後期の課程を幼稚園で学ぶことをおすすめします。モンテッソーリ教育前期でつんだことを無駄にせず後期で積み重ねてみてください。前期で見られなかった複雑のお仕事が上手にできるようになりました。
4.縦割りクラスなので、一人っ子でもっと周りのお友達にもまれながら育ってほしいと考える親子にもおすすめです。小さい子どもは大きい子どもを見習い、大きい子どもは小さい子どものお世話を自然とするようになります。

大きい子ども、小さい子どもともにお互いに影響を大きく受けますよ。

きっかけは、モンテッソーリの幼児教室で学んだクッキング

モンテッソーリ教育のプログラムにはクッキングがあります。

モンテッソーリ教育の幼児教室に通っていたときに、長女と一緒にサツマイモケーキを作りました。

サツマイモケーキは、長女が幼児教室の先生に教えてもらい、とても楽しんでクッキングをしました。

モンテッソーリ教育のプログラムは、『イヤイヤ期を有意義に。モンテッソーリ教育との出会い。』で紹介しています。

 

サツマイモケーキの作り方

・材料
ホットケーキミックス・・・1袋
サツマイモ・・・1本
牛乳または水・・・150ml
卵・・・1個 *卵アレルギーのある子どもは、卵の代わりに絹豆腐をうらごししたものを使って食べると美味しいです。
砂糖・・5gから10g なしでも美味しいです。好みで調節してください。

・道具
ボール
おたま
計量カップ
耐熱皿(銀紙でもよい)

・事前準備
子どもと一緒にサツマイモケーキを作る場合は、サツマイモの皮をむいて短冊切りにしておきましょう。
牛乳や水の分量を事前に計量カップで測っておきましょう。

・つくり方(子どもと一緒に)

1.短冊上に切っているサツマイモを、サイコロのように四角に切ります。子ども用の包丁がある場合は、子どもにも切らせてみましょう。
ない場合は、子どもの手の上に大人の手を添えて一緒に切りましょう。

2.ボールに牛乳、卵、ホットケーキミックスを入れてしっかりまぜましょう。
水や絹豆腐をうらごししたものを入れてもいいです。

3.2がなめらかになったら四角に切ったサツマイモを入れて混ぜます。
砂糖を使う場合は砂糖を入れましょう。

4.混ぜ終わったら耐熱皿にうつし(銀紙でもよい)、オーブン200度で20分から40分焼いたら出来上がりです。

 

サツマイモケーキの応用

サツマイモケーキの応用で、サツマイモをカボチャに変えたカボチャケーキ、ニンジンに変えたニンジンケーキが作れます。事前準備として子どもが切りやすいようにカボチャ、ニンジンは上記の図のように切っておきましょう。砂糖は好みで調節してください。

子どもが野菜を食べてくれなくてお困りの方はいませんか。
野菜嫌いな子どもでもケーキにすればペロリと食べてくれます。子どものおやつにも最適です。

 

子どもとどうすごすか悩んでいる方

子どもが幼稚園や保育園に入るまでは、毎日子どもと一緒に過ごさなくてはいけません。正直大変です。
どうやって子どもと過ごそうか悩んでいる人が多いのではないのでしょうか。

私は児童館が苦手だったので児童館にはいかないで、週2回モンテッソーリ教育の幼児教室に子どもを通わせました。
しかし、モンテッソーリ教育の幼児教室に毎日行くわけではないので、行かない日は子どもとどう過ごすか考えなければいけませんでした。

そこで子どもと一緒にサツマイモケーキを作って過ごすことにしました。
それから私は、幼児教室がないときは子どもと一緒にサツマイモケーキをよくつくるようになりました。
サツマイモケーキの材料を買う、子どもと一緒に作る、片づけをしたらあっという間に1日が終わります。回数を重ねるうちに、サツマイモだけではなくカボチャやニンジン、ホウレンソウケーキも作りました。
作り方は複雑ではなく簡単です。

子どもと1日どう過ごそうか考えている人、1度野菜を使ったケーキ作りに挑戦してみてはいかがでしょうか。きっと充実した1日になるでしょう。

「ロタリクスのワクチンのお会計は1万3000円です。」この言葉をきいた時、値段の高さで目から火が出るようでした。

しかし、ロタウイス性胃腸炎にはもう2度とかかりたくなかったので、値段がどうであろうと妹を妊娠したときから絶対ロタウイルスワクチンの予防接種をしようと心に決めていました。

 

ロタウイルスワクチン

ロタウイルスワクチンは、ロタリクスとロタテックの2種類があります。
ロタリクスは、1番流行して重症化しやすい1種類のロタウイルスを弱毒化したワクチンで、2011年11月に販売されました。1回の接種につき、お値段は1万3000円前後で接種回数は2回です。生ワクチンなので4週間隔で2回接種します。
遅くても生後14週6日(生後3カ月半過ぎ)までに1回目を受け、生後24週(168日)までに接種しなければいけません。生後24週以降は接種ができません。

ロタテックは、流行して重症化しやすいウイルスを含む、5種類のロタウイルスを弱毒化したワクチンで、2012年7月に販売されました。1回の接種につき、お値段は8000円で接種回数は3回です。ロタリクスと同様、生ワクチンなので4週間隔で3回接種します。
遅くとも生後14週6日(生後3カ月半過ぎ)までに1回目を受け、生後32週(224日)までに接種しなければいけません。生後32週以降は接種ができません。

ロタウイルスワクチンは、けして安くないので任意接種です。接種をするかしないか悩む人が多いのではないでしょうか。
また、接種できる期間が乳児期の前期と決まっている、予防接種のスケジュール調節が難しいなどで、ロタウイルスワクチンの接種をやめる人が多いのではないでしょうか。

しかし、ロタウイルスワクチンの効果は抜群です。
ここでは私の実体験を踏まえて、ロタウイルスワクチンを接種しなくてロタウイルス性胃腸炎にかかった姉と、高いお金を払って接種した妹を比較して、ロタウイルスワクチンの接種の重要性をお話ししたいと思います。

ロタウイルス性胃腸炎とは

ロタウイルス性胃腸炎は、乳幼児をはじめ子どもに多い急性胃腸炎を引き起こす感染症で、2月から3月にかけて最も多く発生します。潜伏期間は2日から3日です。
他のウイルス性胃腸炎にくらべて下痢や、嘔吐の症状がはげしいことが多く、入院が必要となることがあります

生後6カ月から2歳の乳幼児に多くみられ、5歳までには大半の子どもがかかると言われています。

 

ロタウイルスワクチンを接種しなかった姉

〇なぜ接種しなかったか?
1.ロタウイルスワクチンが販売されたときは、もう接種できる期間が過ぎていました。
姉が生まれたのは2011年3月で、ロタリクスが販売されたのは2011年11月です。姉は生後24週を過ぎていたため接種ができませんでした。
2.ロタウイルス性胃腸炎という病気を、私がまだ理解できていませんでした。
姉が嘔吐を繰りかえし、病院の先生からロタウイルス性胃腸炎ですと診断されて始めて、こどもの病気にロタウイルス性胃腸炎があることを知りました。
3.まだ、あまりロタウイルスのワクチンが知られていませんでした。
ロタウイルス性胃腸炎を予防するためのロタウイルスワクチンがあることを知ったのは、妹を妊娠したので役所に母子手帳と予防接種の助成券をもらいに行った時(2012年10月頃)でした。その時いただいたチラシにロタウイルスワクチンのことが書いていて、はじめてロタウイルスワクチンを知りました。

〇姉がロタウイルス性胃腸炎にかかった時
●かかった時期
1歳になったばかり 3月下旬

●症状
1.嘔吐の繰り返し
何度も嘔吐を繰り返します。水分をほしがるので、水分を1度にあげるとまたすぐ吐きます。
2.38度の熱
嘔吐から始まり、だんだんと熱が出てきました。1日から2日続きます。
3.黄白色の便
嘔吐がおさまると、次はおなかを下します。たくさんの水分をとると、すぐおなかを下し黄白便となり出てきました。
4.1週間ぐらいぐったり
1週間は食欲がなく、食欲が戻ってもおなかを下した状態が続きます。1週間ぐらいは1日のほとんど寝ていてぐったりしていました。

●小児科での対応
1.経口補水液(以下オーエスワン)を、スプーン1さじで5分おきに飲ませてくださいと言われました。
かかりつけの小児科も救急外来も、根気がかなりいるオーエスワンをスプーン1さじで5分おきに飲ませてくださいという対応です。しかし、1歳になったばかりの子どもに、根気よくオーエスワンを5分おきに飲ませることは困難です。
水分が欲しいと姉は泣きますがたくさん水分を与えると吐くし、与えなかったらワーワー泣き散らします。ワーワー泣き散らすことで私は近所迷惑を気にします。ワーワー泣きに心が折れ水分をたくさん与えてしまい、嘔吐を繰り返す悪循環になりました。

2.熱が出て水分が全く取れなくなってようやく点滴になりました。
夜中長女の対応で全く寝られなくて私はフラフラ、長女は朝になって熱が38度になり、そして黄白色のやわらかい便がでました。とにかく小児科側になんとかしてほしかったので、再び小児科を受診しました。ようやく小児科側は点滴をしてくれました。

3.吐き気がおさまると整腸剤を処方されました。
吐き気がおさまると整腸剤が処方されましたが、あまり効いていなかったような気がします。整腸剤を飲んでもおなかを下していました。

 

ロタウイルス性胃腸炎にかかり病院を4回も受診しました。
私自身の初めての子育てということもあり、ロタウイルス性胃腸炎という病気を全く知らなかったことが心配をあおり、何度も病院を受診する結果になってしまったのではないでしょうか。オーエスワンをスプーン1さじで5分おきに飲ませることが苦痛で、病院側に助けを求めていたのだと思います。

長女がかかって3日後に、私もロタウイルス性胃腸炎にかかりました。
吐く、おなかを下すことはなかったのですが胃が常にむかむかして食欲がなく、1日中長女と一緒に寝ていたような気がします。旦那も長女がロタウイルス性胃腸炎にかかって1週間後におなかを下したそうで、かなり苦しみました。

家の中でロタウイルス性胃腸炎が落ち着いて、インターネットでロタウイルスの治療を調べると、効果的な治療法がなく脱水防止のために5分おきにオーエスワンを飲ませるしかないそうです。病院にもよりますが、吐き続けるからすぐに点滴するようなことはありません。

ロタウイルス性胃腸炎と診断されて、マスクをかけゴム手袋をして家の中に塩素系漂白剤を水で薄めて、床や服などを消毒しましたが、タイミングが遅すぎて結局家族全員が感染する最悪事態を招いてしまいました。

 

ロタウイルスワクチンを接種した妹

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ワクチンの値段を聞いてとてもびっくりしましたが、ロタウイルス性胃腸炎にかかるよりは高いお金を払って接種した方が良いと思いました。
妹がロタウイルスワクチンを接種したことで私自身も、ロタウイルスから子どもを守れるという安心感が生まれて良かったです。

ロタウイルスワクチンはとても高いですが、値段にためらわずなるべく接種したほうがよいワクチンです。任意接種ではなく定期接種にしても良いワクチンであると私は思います。
ほとんどの子どもが5歳までに、必ずロタウイルス性胃腸炎にかかるといわれてます。
実際、子どもがロタウイルス性胃腸炎にかかると、洗濯、汚物の処理、オーエスワンを根気よく飲ませるなど思っている以上に大変です。

接種できる期間も限られているので迷っている暇はありません。さぁ、ロタウイルスワクチンを接種して、子どもをロタウイルス性胃腸炎から守ってあげましょう。

集合住宅の社宅にいた頃

私と私の家族が集合住宅の社宅にいた頃、兄は次の4つのことをやり母がいつも困っていました。

1.集合住宅の公園に遊びに行き、他の子どもが遊んでいる姿を見ると走って逃げます。
他の子どもの親は、子どもが遊ぶ姿を見ながら楽しくおしゃべりしているのに、母だけはいつも逃げ回る兄を追っかけまわしているのでみじめになっていたそうです。
2.自転車のいすの上を飛んでいく、大人が通れない穴を通って道路にでるなどしていました。
集合住宅の自転車置き場に止めてある自転車のいすから自転車のいすの上を飛んでいきました。兄はけがをしなかったのですが、社宅の住民の自転車のいすの上をとんでいくことで自転車を倒し、いつも母は社宅の住民に注意されていました。また、大人が通れない穴から道路に出てよく迷子になり警察のお世話になることがありました。
3.ベランダから排尿をする、植木鉢を投げることをしていました。
母が料理やトイレなどで目を離したすきに、ベランダに出て兄は排尿や植木鉢を投げるなどして母や社宅の住民を困らせていました。
4.どんどん飛び回る、勝手にドアの鍵をあけて廊下に飛び出していました。
嫌なことがあると激しく飛びあがりドンドンする、勝手にドアの鍵をあけて飛び出す、廊下で奇声をあげるなどして、よく近所から苦情がきていました。

4つの困りごとは父の耳にもはいり、世間体を気にする父は常に母を怒りつけ毎日のようにけんかをしていたそうです。ときには母に手をあげることがありました。
集合住宅の社宅に住んでいた時は離婚寸前で、今思えばあの時離婚しなかったことが不思議なくらいと私が大きくなったころ聞かされました。だんだんと母は精神的に病んでいきました。父も神社に怒りっぽくなりませんようにとお願いしていたそうです。

母が精神的に病んでしまった、兄が重度自閉症であると診断が下ったこともあって父は出世をあきらめて、夫婦の実家がある場所から1番近い支店に転勤することに決めたそうです。

引っ越し先の家はボロすぎて

転勤先で住む社宅を決めるときに精神的に病んでいた母は「もう集合住宅は嫌だ。すごくボロ屋で良いので土のついている戸建ての家に住みたい」とわがままを言ったそうです。父の会社から紹介された戸建ての社宅はすごく古くてボロでした。その社宅は平屋で1つの屋根の下に2件の家がありました。同じような家が他に2つあり合計で6件の家がありました。

間取りは和室が2部屋、台所、トイレ、お風呂がありました。洗濯機はお風呂の近くにおき、お風呂から水を引いて、洗濯した水はお風呂に流しました。土間に洗濯機を置いている家もありました。その場合は台所から水を引き使用済みの水は外の排水溝に流していました。

トイレはぼっとん便所で和式でした。私がこの家に引っ越してきたときは3歳直前でこのトイレを見たときは怖くて用ができませんでした。集合住宅の社宅のトイレは水洗で洋式トイレでしたのでなおさらです。だから父はプラスチック性の洋式便器を買ってぼっとん便所の上につけていました。
洋式便器をすけることで何とか3歳直前の私も用をすることができました。

洗面所はトイレとお風呂の間にあり広さは畳半分ほどです。1人入るのがやっとでお風呂のためのお着替えはほとんど廊下でした。お着替え中に来客がきて慌てたことが何度かありました。

お風呂はバランスがま風呂で、屋外に絵のようなバランスがまがありました。

ガスはプロパンガスで、外にガスボンベがありました。ガス屋さんが定期的にガスボンベの中身の確認作業や無くなったガスボンベの交換をしにきていました。

冬は窓と窓の隙間から冷たい風が入ってくるので透明なシートをかけて家に入ってくる隙間風を防いでいました。ホットプレートを使うとブレーカーが1発で落ちます。だからこのボロ屋社宅にいる間はホットプレートが使えませんでした。このボロ屋社宅では何度もブレーカー落ちを経験しました。トイレや入浴中に電気が消えたこともありました。

ご近所さんの温かい視線

私たちが引っ越して少しぐらいたってとなりに私と同じ年ぐらいか私より少し小さい子どもの姉妹の家族連れが引っ越してきました。
よく私は隣の子どもと遊んでいました。私の母も隣の母親と楽しくおしゃべりできたそうです。集合住宅の社宅にいた頃には考えられないことでした。しかし、その家族は家庭内でいろいろあり引っ越してきてから1年後協議離婚になったそうです。その家族の母親は引っ越してきたときは明るい気さくな人だったのですが、協議離婚直前はやせ細って活気がなくなっていたそうです。
そして、次は人工透析をしていた人が引っ越してきました。私の話し相手になってくれました。私がよくお世話になっていたので、あいさつをしにいくようになったことがきっかけでとなりの住人と母は親しくおしゃべりをするようになったそうです。兄のことも温かく見守ってくれました。

ななめ向かいには中学生のお兄ちゃんと母親、向かいには中学生のお兄ちゃんの母親の姉夫婦が住んでいました。よく私が近所の子どもと家の前で遊んでいるとななめ向かいに住んでいた中学生のお兄ちゃんがやってきて一緒に遊びました。私は中学生のお兄ちゃんのことをいつも「学生のお兄ちゃん」と呼んでいました。少し怖いと思っていたのですが、一緒に遊んでみると面倒見がいいお兄ちゃんでした。
その中学生のお兄ちゃんは、将来お笑い芸能人としてテレビで活躍するようになりました。母が兄のお世話が大変で常に放任状態で寂しい思いをしていた私にとって、遊び相手になってくれたことはとてもうれしかったです。そして向かいのおばちゃん(中学生のお兄ちゃんの母親の姉)は、とてもやさしくて私の母とよくおしゃべりをしていました。また兄に中学生のお兄ちゃんの服のお古をいただいたことも何度かありました。向かいの家の住民とななめ向かいの住民は私や私の家族を温かく見守ってくれました。私の自転車の練習も温かく見守ってくれました。

このボロ屋社宅での生活は、精神的に病んでいた母を元気にしてくれました。
戸建ての家だったので兄が奇声をあげながら飛んでドンドンしても近所から苦情がくることはなくなりました。集合住宅の社宅では常に冷たい視線でしたが、ボロ屋社宅の周りの住民は常に私や私の家族を温かく見守ってくれました。母はこのボロ屋社宅で周りの住民も私と同じように苦労しながら生きている。苦労しているのは私だけではないと思えるようになり救われたと言っていました。

近所の視線が温かくて母が元気になった、私や私の家族を温かく見守ってくれたことで集合住宅の社宅では怒りっぽく、ときに手をあげていた父も丸くなり夫婦でけんかすることが少なくなりました。離婚してもおかしくない状態だったのですがこのボロ屋社宅での暮らしが離婚をとどめてくれました。

ボロ屋社宅があった地域の自治体は福祉が充実

1.保育所にすぐ入ることができた
集合住宅の社宅に住んでいたころ、母は兄のお世話が大変で常に私は放任状態だったそうです。兄のお世話が大変ということで保育所に申し込みにいきましたが、仕事をしている人でないと駄目と断られ途方にくれたそうです。
しかし、ボロ屋社宅に引っ越してきて駄目もとで保育所の申し込みにいき、兄のことを話したら仕事をしていなくても快く私を入園させてくれたそうです。おかげで私は楽しく保育所に通うことができました。保育所の給食はおいしかった記憶があります。

2.兄の専門の療育施設が近くにあった
自閉症を専門としている療育施設がボロ屋社宅の近くにありました。兄は18歳が終わるころまでその療育施設に週1のペースで通いました。母は兄の就学前相談や進路についてよく主治医の先生に相談していたそうです。

父はボロ屋社宅の生活が私と私の家族にとって良い影響を与えていると考えていました。私たち家族に何が必要なのか気づけたと言っていました。
しかし、私や兄は成長します。私たちが大きくなるとこのボロ屋社宅で暮らすことが難しいと考えていました。ボロ屋社宅に暮らし始めて5年目に、車で40分ぐらいのところに土地を買いマイホームを建てることにしたそうです。マイホームに引っ越した後も引き続き兄の療育ができることなど、ずっとこの地域に住み続けることが私と私の家族のとって良いと思ったそうです。

私がボロ屋社宅で過ごした6年間

私はこのボロ屋社宅で3歳直前の時から小学校2年生まで過ごしました。
引っ越してきたときは集合住宅の社宅に比べて汚いから嫌だなと思いました。なかでもトイレがぼっとん便所だったことに抵抗がありました。しかし、だんだんと日がたつに連れボロ屋社宅での生活が楽しくなっていった気がします。
家の前に1人で、遊んでいたら私の遊び相手になってくれる人や、話し相手になってくれる人がたくさんいました。山や畑がたくさんあったので、その中をよく探検して楽しく遊びました。このボロ屋社宅で暮らした6年間は子ども時代の中で一番濃い思い出、楽しい思い出のような気がします。このボロ屋社宅での生活は私と私の家族に精神的な豊かさを与えてくれました。

家族にとっての幸せな家

皆さんはどんな家に住みたいですか?

オートロック付き、床暖房、新築、設備が良い家に住みたいと考えるかもしれません。
しかし、設備が良い家に住んでも物質的には幸せかもしれませんが精神的に幸せとは限りません。例えば、設備が良く新しい家に住んでも、ローン返済など家計が火の車になり、常に夫婦げんかが絶えずの家は嫌ですよね。夫婦げんかは子どもに悪影響です。私は母と父が夫婦げんかをするたびに常におびえていたのを覚えています。

私は今、旦那と2人の女の子に恵まれ、私と旦那で購入したマイホームで暮らしています。
築30年以上、坂の上、エレベータ無しのマンションに住んでいます。子育てママにはちょっとキツイと思う家かもしれません。ときになんでこんな不便な場所に住むことにしたのと聞いてくる人もいます。
しかし、私と旦那は今の家に満足しています。築年数は古く、坂の昇り降り、階段の上り下りは少しつらいけど坂の上だけあって見晴らし最高、東南の角部屋で朝日が当たる、子どもが早ね早おきをする、毎日坂の昇り降りをするので子どもの体力が自然に身につくなど悪いことばかりではありません。古い家でもいい所が必ずあります。私と旦那がマイホームを購入する時、私のボロ屋社宅での経験が築年数や設備を重視で家を選ぶことをやめ、家族にとっての幸せ重視の家を選ぶことにつながったのだと考えています。

住む場所を決めるとき、利便性などで決めるのではなく家族にとって何が幸せか考えて住む場所を決めるべきではないでしょうか。私はそう思います。

この経験が少しでも読者のお役に立てればと思い今回コラムを書かせていただきました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

「この列車はワンマン運転です。後ろのドアは開きません。お降りの際は先頭車両の前側のドア横のボタンでドアを開けてお降りください。運賃は運賃箱にお入れください。」列車に乗っていてこのようなアナウンスを聞いて戸惑ったことはありますか?列車のドアは自動的に開くものだと思っていませんか?

長期休暇になると子どもと一緒に行楽地などの遠方にお出かけすることが多くなりますよね。行楽地に向かう途中にワンマン列車に乗る可能性はゼロではありません。私は昔ワンマン列車に戸惑う家族を何組か見かけたことがあります。ワンマン列車の乗り降りに戸惑ったことで子どもの機嫌が悪くなりせっかくの旅行が台無しになる事態は避けたいものです。ワンマン列車を利用する場合少しでもスムーズに子どもと旅行ができるように、ワンマン列車の基本的な乗り方と降り方についてお話ししたいと思います。

ワンマン列車とは

ワンマン列車とは車掌が乗務しないで、運転士1人が旅客列車を運行する方法です。車掌の業務である運賃受け取りや発車時の安全確認など運転士が兼務します。
主に列車では乗客が少ない線区で、人件費削減のために実施されています。このため複数による分業よりも運転手にかかる負担が大きいです。ワンマン列車のメリット、デメリットは次の通りです。

メリット
1.コスト削減につながります
利用客の少ない線区では、ホームの乗客が少ないほか、列車の編成両数が少ないため、ドア開閉時の安全確認が、運転士1人でも行いやすいです。もし車掌を乗務させてしまうと、コストが高くついてしまいます。廃線にさせないため、乗客の便利を確保するためにも、ワンマン列車は必要だと思います。

デメリット
1.運転士の負担が大きくなります
乗客が少ないからといって、基本ドア開閉などの操作は行わなければならないことや、車内アナウンスも録音されたものを放送するだけであっても、ボタン操作などが必要になってきます。
2.緊急時に他の乗務員が乗っていないこと
運転士は定期的な健康診断を受けています。しかし、突然体調が悪くなることが絶対にないとは言えません。車掌がいれば、もし運転士が倒れてしまった時でも、車掌が列車を緊急停止させるなどの措置をとることができますが、ワンマン運転だと、自動制御装置などの力を借りないと、列車は緊急停止ができません。

ワンマン列車の乗り方

1.乗車券
駅に自動券売機(もしくは切符売り場)があれば切符を買います。
乗車証明書の発行機がある場合は、ボタンをおして乗車証明書をとります。
自動券売機や切符売り場がない場合や乗車証明書の発行機がない場合は、ホームに行きます。

2.列車に乗る
基本、先頭車両の2つのドアしか開きません。乗るときは「入口」の表示のある、先頭車両の後ろのドアから乗ります。
他のドアから乗ることはできません。切符や乗車証明書がない、お持ちの切符以外の区間から乗車される場合は、乗車証明書をとります。基本はバスと同じ乗り方です。
乗車証明書がない場合は必ず乗車証明書を取りましょう。乗車証明書がないと始発駅から運賃を払うこともあります。

1.乗車券
駅の自動券売機・みどりの窓口で切符を購入します。

2.列車に乗る
ホーム側のすべてのドアが開きます。乗りたい場所から自由に乗ることができます。

ワンマン列車の降り方

1.アナウンス
降りる駅のアナウンスは駅名、降り口、切符や運賃はどこで支払うかを告げるアナウンスがながれます。たいがい乗車券の場合は「乗車券・運賃は運賃箱にお入れください」というアナウンスです。

2.列車から降りる
基本、先頭車両の2つのドアしか開きません。降りるときは先頭車両の前のドアから降りてください。他のドアから降りることはできません。

3.運賃支払い
切符を持っている場合は、運賃箱に切符を入れます。乗車証明書の場合は、まず先頭車両最前部の運賃表と乗車証明書番号で金額をお確かめて、乗車証明書に加えてお金をいれます。定期券は運転士に見せます。

1.アナウンス
駅名、降り口、切符や運賃はどこで支払うかをアナウンスがながれます。たいがい乗車券の場合は「乗車券・運賃は駅の係員にわたしてください」というアナウンスがながれます。

2.列車から降りる
ホーム側のすべてのドアが開きます。降りたい場所から自由に降りることができます。

3.運賃支払い
駅の改札で、駅員に切符をわたします。整理券や乗車証明書の場合はお金もわたします。定期券は駅員に見せます。

ワンマン列車の乗り方、降り方を分かりやすく紹介したYou Tubeがありました。

半自動ドア・手動ドアを取り扱う列車

冬場は社内温度を快適に保つため、ドアの開閉はドア横のボタンや手で開閉を行う場合があります。主要駅では列車は何分か停車することがあります。この方法はワンマン列車以外にも取り入れられている方法です。

ドアのランプが点灯時に、ドアの横のボタンを押すとドアが開きます。ドアのランプが消灯時は開きません。動き出す列車やまわりのお客様にドアを閉める際はご注意してください。車内温度を保つために、乗車したら、乗車客を確認してドア横のボタンを押して閉めましょう。

<降りる時>
ドアのランプが点灯時に、ボタンを押すとドアが開きます。ドアのランプが消灯時は開きません。乗車客がいなければドア横のボタンを押して閉めましょう。

最近では少なくなりましたが、手動でドアを開ける場合があります。「シュー」という音の合図でドアの開閉を手でしていた時もありました。

ワンマン列車のポイント

1.乗る駅の場所が有人駅か無人駅か確認します
切符の買い方や列車の乗り方が変わってきます。無人駅の場合は列車の乗る場所を確認しましょう。乗る場所が分かっていなくて駅に置いてきぼりにされた家族連れを見たことがあります。

2.自動ドアなのか半自動や手動ドアなのか確認をします
自動にドアが開くなら開いたドアが乗車、降車の手がかりですが、半自動や手動ドアではそうはいきません。
すべてのドアが開くというアナウンスで降りたいドアの前に立っていたと思われるのですが、ドアが自動で開かないで困った家族を見かけたことがありました。結局、その家族は私がボタンで開けたドアからホームに出ていました。

3.降りる駅の場所が有人駅か無人駅か確認します
列車の降り方や運賃の支払い方が変わります。無人駅で降りる場合は降りる場所を確認しておきましょう。降りる場所が分からないで主要駅(有人駅)まで行ってしまい、駅員に降りたい場所でドアが開かなくて降りれなかったと文句を言っていたお客を見たことがあります。

子どもは列車に乗ることが大好きですので、列車でお出かけしたいと言ってきます。長期の休みを利用して子どもとお出かけしたときにワンマン列車や半自動ドア・手動ドアの扱う列車に出くわすことがあるかもしれません。3つのポイントをしっかりおさえておけば、ワンマン列車に乗り降りすることがスムーズにできるようになり子どもとの快適な旅行になるでしょう。

モンテッソーリ教育ってなに?

モンテッソーリ教育てどんな教育か皆さんはご存知ですか?
私は、リフレッシュ目的のためにモンテッソーリ教育の幼児教室に入れたので、長女がモンテッソーリ教育をはじめた頃はどんな教育なんか全く知ろうとはしていませんでした。しかし、モンテッソーリ教育の幼児教室に通い始めて、やりにくかった長女がどんどん成長をしていったので長女とのかかわり方を考え直したいと思い調べてみました。
モンテッソーリ教育とは0歳から6歳までの乳幼児期の時では、発達段階を考えて0歳から3歳までの前期と3歳から6歳までの後期に分かれるそうです。
前期は無意識にたくさんのことを吸収する時期で、後期は無意識に吸収したこと意識的に整理、調整していく時期です。今回は0歳から3歳までの無意識で吸収していく前期を紹介したいと思います。

0歳から3歳までの前期モンテッソーリ教育

1.粗大運動の活動
跳び箱、なわとび、リレーなどの学校の体育の授業である運動ではなく、全身を使った運動です。主に感覚統合を整えます。粗大運動の例は、歩く、走る、泳ぐ、自転車に乗るなどです。
赤ちゃんのずり這いから歩行は粗大運動の一つで、歩く、走る階段の昇り降りなど体全身を使う運動が粗大運動にあたります。私の子どもたちが通った幼児教室では階段の昇り降り、マットなどを使ったサーキットが用いられていました。

2.微細運動の活動
手、指(手先)を使った運動です。握る、落とす、たたくなどの動きをおこないます。微小な筋肉のコントロールができるようにします。微細運動の例は、字を書く、絵を描く、パズル、ボタンつけなどです。日常で、はさみやのりを使う工作、お絵かき、ひも通しは微細運動にあたります。

3.日常生活の練習
粗大運動+微細運動が合わさった活動です。お着替えや植物のお世話など普段日常生活で人が当たり前にやっていることを1人でできるようになるように練習をします。トイレトレーニングも日常生活の練習の1つです。ズボン、パンツを脱ぐ→トイレに座る→用をする→ズボン、パンツをあげる動作は、体全身やを動かすことや、手首の筋肉のコントロールが用いられます。

4.言語教育
0歳から3歳まで話しことばが最も発達する時期で、自分のまわりで話されている母国語を話すようになります。
実物本物を見る、触れる、匂うなど(五感を使う)、または、絵カード、写真、本を使って言葉を増やす活動です。周りで日本語が話されているならば日本語、周りで英語が話されているならば英語を話すように導かれます。

5.感覚教育
0歳から3歳は、無意識にまわりの出来事をどんどん吸収する時期です。感覚の敏感期であり、発達段階に合わせて感覚教材や道具に触れることにより、感覚を身につけます。例えば大きい小さい、丸、三角、四角、重い軽いなどの感覚を身につけます。

6.音楽
歌う、楽器遊び、多種多様な曲を聴く、音に合わせて体を動かすリトミックなどで、自分の内面を豊かにします。子どもが通った幼児教室ではリトミックが行われていました。リズムに合わせて体を動かすなどリズム感を身につけます。

7.アート
粘土やクレヨン、絵の具、シールなど様々な画材を使って絵で表現を豊かにします。

1歳から3歳で子育てに行き詰ったらモンテッソーリ教育へ

いかがでしたか?難しい話になりましたが、我が強くてやりにくかった長女が先生の話を椅子に座ってきちんと聞き、集中して課題を取り組む、私がトイレに誘わなくても自分からおまるに座り、用をするようになりました。
モンテッソーリ教育をはじめて長女は集中力がすごくあることに気づかされました。特にひも通しのお仕事が大好きだったみたいです。
0歳から3歳までの幼稚園入園前の子どもをもつ保護者に伝えたいことは、子育てに困りましたら是非モンテッソーリ教育の幼児教室のドアを叩いてみてください。もちろん、子育てに困ってなくてもドアを叩いてみてくださいね。きっと、新しい子どもの可能性が見つかるでしょう。

 

イヤイヤ期を有意義に。モンテッソーリ教育との出会い。