慣れるまでは気が立っています

新しいクラスに慣れるまでは、どんな子どもでも不安になったり落ち着きがなくなったりしますよね。我が家の小学6年生と2年生の兄弟の弟は、幼稚園の頃からそれが顕著に出ていました。

弟はどちらかと言わなくても元気で活発です。ただし、暴言を吐く事や自分から相手を悪く言うことはありません。

そんな弟ですが、幼稚園の頃からクラス替えや進学時期になると心が不安で落ち着かなくなります。チックの症状が出たり、お友だちから執拗にちょっかいを出されると我慢できなくなり、手が出たりしてしまいました。

2年生の現在、私もどこか生きづらさを感じずにはいられない弟を心配に思っていました。そこで色々調べ、医師に相談したところHSC(ひといちばい敏感な子)ということにたどり着きました。

担任の先生との相性

小学1年生の時担任の先生に、新しいクラスに慣れるまで時間がかかり、お友だちとトラブルになることがあると思います、とお伝えしました。
案の定、何回か先生からお電話を頂くようになりました。お友だちがちょっかいを出すことで我慢が出来ず手が出てしまう。
弟の言っていることは正しいのですが手が出てしまうので注意をしましたと言う内容のものがほとんどでした。
ちょっかいを出された時点で先生に言いに行くことができれば良いのですが、どうしてもその場で我慢ができないのです。先生も、ちょっかいを出してくるお友だちもちゃんと注意をして、弟にも手を出すことがいけないことをしっかり怒ることなく注意をしてくれました。

また、弟の口癖として、絶対!と言うものがあります。例えば家に宿題のノートを忘れてしまっているのに絶対持ってきた!プリントがなくなり、学校の机を探したけど絶対ない!などです。宿題をやったこととランドセルに入れたことの記憶がごちゃごちゃになっているのか、忘れたことを素直に認められないのです。プリントに関してはただただ、低学年なら良くあるのですが探すのが下手なのです。

結局宿題のノートは家にあるので、次の日冷静になれば先生に謝ることができます。プリントに関しては先生が一緒に机の中を見て、あるじゃーん!と叱るのではなく軽く言ってくれる先生だったので弟もすぐ謝ることができたそうです。

弟は強く言われるより優しく言われたほうが話をよく聞きます。なので先生も大きな声で怒るのではなく諭すように言い聞かせてくれました。弟も担任の先生に対する信頼は大きく、家でも先生の話を楽しそうにしてくれていました。

3学期になり、もうすぐ2年生になること、クラス替えがあることを先生から言われるようになると弟のチックの症状が目立つようになりました。それにつれて、お友だちとのトラブルも出てきました。弟が落ち着かなくなるように、落ち着かなくなるお友だちももちろんいて、些細なことでトラブルになるようです。
なので、先生から連絡がきたあと何が不安なのかを聞きました。弟は、2年生になることでクラス替えが不安。お友だちと離れてしまうのが不安と言っていました。

進学時のお願いとして、来年の担任の先生にも弟が慣れるまでは時間がかかることを引き継いでいただけるようにお願いをしました。

先生の不理解とストレス

弟が2年生になり担任の先生が変わりました。
最初に提出する調査書にも弟は慣れるまで時間がかかるとこ。慣れるまではお友だちとのトラブルがあるとこ。神経質であることを書きました。

しばらくして先生からお電話を頂くことが増えました。弟がお友だちとのトラブルで手が出たというものです。
弟のクラスには幼稚園の頃から何故か、弟に対してのライバル心が強いお友達がいます。弟はやってもないことを、大声でやったー!と叫んだり、鬼ごっこの時そのお友達とは違うお友達にタッチしただけで、叩いたー!など叫んだりするのです。もちろんタッチされたお友達も普通に遊びを続けています。つまりは弟のやることなすこといちいち文句を言ってくるのです。
他のママに聞くと前からそういう傾向はあったらしいのですが、頭のいい子で先生にわからないようにするのです。
今でも弟が100点をとると、本当に100点なの?嘘じゃないの?と、先生の見ていないところで言ってくるそうです。

電話の内容は、その子が見てもないのに弟が触っちゃいけないものを触ったと言い、近くにいた子どもも騒ぎだし、いくら否定しても信じてもらえず手が出たというものでした。

もちろん手が出たことはいけないことですが、弟に聞くと先生は2人も言ってるんだからと弟の言うことを信じてくれなかった様でした。
また、1年生の頃のようにプリントがないという話になり、探しても出てこないと先生に相談したそうなのです。結局は机の奥にあったのですが、弟は見つけられずにいました。

弟は家で泣きながら、先生、相談したのに聞いてくれないと話していました。その後、しばらくたってから先生が机の中を探して見つかったものの、どうして始めから一緒に探してはいただけなかったのだろうと私としてもモヤモヤしていました。

高学年になっても物がなくなれば先生が机の中を一緒に確認してくれます。ママ友に相談をしても低学年で先生が一緒に探してくれないのはおかしいと言われました。

そして、弟も整理整頓ができないのがいけないのですが、またプリントがないとなり、先生が机の中を確認して見つけたとき、クラス皆の前で大きな声で怒ったそうです。後日同じクラスのママ友から、弟の様子は大丈夫?と、とても心配されました。

もともと大きな声で怒る先生で、その先生に連絡帳を書いても軽く流されるというママ友も多く、あるママ友は自分の子どもに、先生がみんな味方ではないんだからね、と伝えたと言うほど淡白な感じの先生でした。

運動会の前、先生からお電話で運動会の練習の時後ろからずっとちょっかいを出してきた子どもとトラブルになったと連絡がありました。慣れるまではと言っていたのですが先生から、弟の落ち着いたところを見たことがないのでそういう子だと思っていました、という言葉を言われ、私の心も限界でした。

弟はストレスで1ヶ月以上下痢が続いていて、そのことで病院へ通っていました。私も今回の電話で子どもたちの前で泣いてしまい、去年の担任の先生にすべてのトラブルは弟だけが悪かったのか相談のお電話をさせてもらいました。
去年の担任の先生は、そんなことはないと言ってくださり、弟のいいところはたくさんあります。もう少し担任の先生を信じて頑張りましょうと言ってくれました。

お兄ちゃんの奮闘

運動会当日、幼稚園の年少、年長時の担任をしてくださっていた先生が見に来てくれていました。お話をする時間があり、少し相談をしたところとても驚いていました。
弟のいいところをこれから担任の先生がきっとわかってくれると言ってくださいました。
そんなトラブルをずっと側で見ていたお兄ちゃんが、僕、明日教頭先生に相談してみるよ!と言い出したのです。誤解されてる弟も、泣いているお母さんもこのままじゃかわいそうだと、普段頼りないお兄ちゃんが怒っていました。
お兄ちゃんは、何故か教頭先生や校長先生とよく話すそうで、仲良いから大丈夫!と意気込んで学校へ行きました。
教頭先生が来る授業の時、後で大事な相談がありますと伝えたところ、作業が終わったお兄ちゃんを廊下へ連れ出し話を聞いてくれたそうです。そして、校長先生へ相談しますと約束してくれたと言っていました。

その後、担任の先生の対応はすっかり変わりました。他のクラスの子どもがあのクラスの先生は怖いと言うほど、声を荒らげて怒っていたのがなくなったそうです。怒るのではなく言葉でちゃんと注意をするようになったと弟が言っていました。

お兄ちゃんの頑張りのお陰で、薬の力もありますが2ヶ月弱ほど続いた弟の下痢もやっと治まりました。

その後

2学期、弟に対して頭が悪い、足が遅い等、悪口を言う子がいて消しゴムの投げ合いになったそうです。先生が消ゴムを投げることは悪いことを注意しつつ、弟はそのお友達よりお勉強を頑張っているからそれはおかしいと話していたと言っていました。
弟も今回は認めて貰えていたことにほっとしていました。

そして、この後先生にHSCであることを伝え、理不尽なことが起きると我慢ができないこと、我慢できるようになるには心の成長を待つしかないと医師に言われたことを伝えました。すべてのことに我慢ができないのではなく、理不尽なことのみに対してのみ抑えがきかなくなるので、先生もそこで初めて弟の性格を納得してくださったようでした。

トラブルが起きたときの対応は先生によって全く異なります。子どもに合わせた対応を、といっても全ての先生に求めるのは無理があるのかも知れません。しかし、誤解され苦しんでいる子どもを黙ってみていることはできませんでした。

色々な経験を通して強くなる子どももいますが、気にしすぎて潰されてしまう子どももいます。
HSCを知ることで、先生への説明も分かりやすくできるようになった気がします。
弟の心が大きく成長するまでできる限りサポートしていきたいと思います。

 

 

 

慣れるまでは時間がかかります

我が家には小学6年生と2年生の男の子がいます。弟はママ友も認めるほどの神経質です。2年生の現在は、神経質というだけではなく、HSC(ひといちばい敏感な子)ということがわかりました。

ただ、普段は元気で言いたいことも言うため神経質そうは見えません。担任の先生も一緒に過ごすなかで段々と神経質さに気がついてきます。

そんな弟が年長さんになってしばらく、男の子の輪に入らず女の子とばかり遊んでいました。男の子と遊びたくないわけではなく「入れて」が言えないのです。

意見の食い違いで言い合いが始まると、女の子には口ではかないません。思わず手が出てしまうことがあり、そんなことが少し続きました。内容は些細なことですが、当時は本当に悩み、私も送り迎えに行くのが辛くて先生を前に泣いてしまった日もありました。

しばらくすると、弟も女の子たちも落ち着き仲良く遊ぶようになりました。

先生の手を借りて

女の子とばかり遊んでいた弟ですが、担任の先生も気になっていた様子。年長の担任の先生は、弟が年少の時にも担任をしていただいていた先生でした。なので、元気に男の子と遊ぶ弟の姿を知っています。

先生が手を繋ぎ、男の子の和の中に弟と一緒に入って遊ぶようになると、それからは男の子と遊ぶようになりました。
人見知りというのか、臆病というのか、2年生の今でも1人で場馴れしない所に行くことは苦手です。
例えば知ってる人の中に最初からいるときは良いのです。ですが、通っていた幼稚園の運動会で卒園児が走るプログラムがあるのですが、1年生の時に行ったときも当時のお友達とは話さず。終われば「ママ、もう帰ろう」となるのです。結局2年生の時は何度誘っても行きませんでした。

慣れているお友達がいるかいないかではなく、普段と違う空間に疲れてしまうのだと思います。

発表会とチック

年中時も、真面目にやらなきゃいけない時は笑わない、とかたくなだった発表会。今回も弟は笑いません。周りも緊張して笑わないのでそれほど目立ちませんが、弟は笑いたくなっても、真面目な時は笑わないと決めているので、笑いそうな顔を我慢して直してまで笑わないのです。

そして、この頃から少しずつチックのような症状が出始めました。

当時の症状は鼻をムズムズ動かすものでした。発表会の時もしていて、鼻が痒いのかな?アレルギーかな?と思っていました。
弟に鼻が痒いの?と聞くと、鼻がムズムズしてきて動いてしまうようでした。止めようとしても止められるものではなく、幼稚園のDVDを見ても目立つほどでした。

もうすぐ卒園。プレッシャーの感じ方

卒園が近づくと先生からも、もうすぐ卒園だよ。1年生になるんだからしっかりしなくちゃ。と言われることが増えます。わくわくする子どももいるでしょう。不安に思う子どももいるでしょう。
弟の場合はどんどん心が落ち着かなくなっていきました。

チックの症状が目に見えて表れてきました。謝恩会の練習で壇上に並んでいると鼻がムズムズ。目がパチパチと瞬きが増えてきたり。お友だちとふざけていたことで先生から注意をされると、その時も瞬きが多くなって先生も気になっていましたと言われました。

弟にとって、先生や私からの、もうすぐ卒園だよ、1年生になるんだからね、という言葉がとてもプレッシャーだったのです。

ただでさえ環境の変化に弱い弟にとって、新しい環境に向かうことは、嬉しさよりも不安だらけだったのでしょう。

嬉しそうに自分で選んだ新しいランドセルにワクワクしつつも、これから始まるお勉強やテストに不安を感じていたのでしょう。お兄ちゃんが私に怒られている姿を見ていたからだとも思います…。

弟は年長の2学期までひらがなが書けなかったのですが、突然毎日練習を始めました。
元々数字は好き数字のでドリルをしてはいたのですが、算数のドリルも欲しがり、卒園までに2年生のドリルを何冊か終わらせました。算数に関しては好きだからと言うのもあるのですが、わからない問題をやめてもいいよ、と言うと泣きながらやるよ!と怒りやっていたこともありました。毎日自分で決めてことをやらないといけないという不安があったのかもしれません。

続けていくことで自信がつけば落ち着くかな?と思ったもののやればやるほど不安になるのか、年長の終わりの頃には、1年生になって英語ができないと不安だから、英語を習いたいと言い出しました。

環境の変化に弱い子どもはいますが、弟は過敏に反応してしまうのです。この頃は家にいると私にべったりで、もともと甘えん坊でしたが、1日中くっつくようになりました。
私にできることは話をしながら不安を受け止めてあげることだけでした。上手な対応とは何か、いまだにわかりません。担任の先生のお力を借りながらその都度問題解決をしています。

 

 

 

通学路の確認

ランドセルや文房具、手提げ袋に上履き袋。春から始まる小学校生活に向けて準備はどんどん進んでいきます。物の準備が大体終わると、ちゃんと歩いて学校まで行けるのかしら…という不安が出てきます。

狭い道や横断歩道のない道、前からも後ろからも自転車が通ります。これまで自転車の後ろに乗せて幼稚園まで送り迎えをしていたのに、行きも帰りも、何が起きても側にはいられないことにとても不安になりました。

入学までに親も子どもも、少しでも不安がなくなるように我が家で実践したことをお話したいと思います。

お兄ちゃんの場合

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。

お兄ちゃんは、実はそれほど心配はありませんでした。それは、お兄ちゃんの通う幼稚園の場所にありました。
お兄ちゃんの幼稚園は、小学校より遠くにあります。お兄ちゃんはバス登園だったのですが年中さんの途中から、早く行きたいと、朝は小学校の前を通り越して30分ほど歩いて登園していました。
そのおかげか体力もあり、小学校までおよそ1キロの道のりは疲れることもなく歩けていました。

幼稚園の間に何度も何度も自然に練習をしていたので、お兄ちゃんは安心して、とまではいきませんがそこまで不安もなく送り出すことができました。

弟の場合

問題は弟です。お兄ちゃんはいますが、すぐ部活で朝早く出てしまうことになるのであてにはできません。
弟は、お兄ちゃんの運動会に、歩いて小学校まで行ったことはありますが、必ず毎回疲れた~抱っこ~となるほど体力がありません。
幼稚園も毎日自転車で、雨の日歩いての登園は、危ないから前向いて!横に寄って!傘ちゃんとさして!と注意ばかり…。

そんなすべてが不安な弟が、小学校まで1人で行けるように練習をすることにしました。

春休み、お買い物に行くとき自転車に乗らず、小学校まで歩いて行くようにしました。
横断歩道は青になっても走ってくる車がいるから、車が来ないことを確認してから渡ること。後から自転車が来るから、はじを歩くこと。横断歩道がない場所は、突然車が来たり、自転車が飛び出してくるから飛び出したりしないこと。
1つ1つ教えながら歩きました。
パパがお休みの日、弟の後をついて1人で歩かせる練習をしました。

弟も、小学校に1人で行くことに不安なのか、幼稚園の時より真剣に歩いていました。

何度か練習をして、それでも、ママも一緒に行こう?と言う弟に不安は拭えませんでしたが入学式を迎えました。

実際は…

さて、それほど心配をしていなかったお兄ちゃんですが、1度水筒が車にひかれてへこませて帰ってきました。
お隣の子どもと帰っていてT字路のはじっこに2人でしゃがんでいたそうです。車が曲がる際、子どもがしゃがんでいて見えなかったのか、お隣の子どもとお兄ちゃんを巻き込み倒しながら曲がって行ったそうです。お隣の子どもは足首の辺りに小さな怪我をして、お兄ちゃんは水筒がひかれたということでした。

1人の時はふざけることもなく帰ってきますが、何人かになると周りが見えなくなってしまいます。

またお兄ちゃんですが、前から来る自転車とお互いに避けようとして、ぶつかってしまい泣きながらその自転車の人に送られてきたこともありました。

家の近くのT字路で低学年の子どもがひかれて、警察が来て、お兄ちゃんがその子どものお母さんが来るまで付き添っていたということもありました。幸い怪我は大したことがなかったようですが、履いていた靴が壊れてしまうほどの事故でした。
曲がろうとした車に、1度は止まった子どもが突然動き出したことにより起きた事故でした。

行ってきますと家を出て、ただいまと元気に帰ってくるまで本当に心配です。少しでも危ないことに巻き込まれないように、子どもと一緒に通学路を歩きながら危険な場所、歩き方を教えることも子どもを守るために大切だと思いました。

少しずつ、少しずつ

我が家には小学6年生と2年生の男の子がいます。

弟は、元気で声も大きな子どもです。その一方物凄く神経質で敏感な子どもなのです。そして、ただの神経質だと思っていたのですが、2年生の今はHSCという「ひといちばい敏感な子」ということがわかりました。

幼稚園の面談で言われたことでは、とにかくすぐに手を洗うということ。外から戻ったあと、トイレの後は当然ですが、床を少しでも触るとすぐ手を洗いにいく。気がつくと手を洗いに行っているようでした。

そんな弟も、年少さんの頃は訳もわからず行事の一つ一つを先生に言われるがままこなしていました。しかし、年中さんになると、少しずつ周りの刺激に反応するようになりました。成長として見ることもできるのですが、少し、敏感すぎるかなと思うくらいでした。

絶対に笑わない発表会

年中の2学期に仲良しのお友達のお引っ越しがあり、とても切ない思いをした頃から少しして、発表会の練習が始まりました。
弟は危険なもの意外の好奇心が強く、主役に立候補してじゃんけんの結果やりたい役に決まりました。

初めて聞いたときは弟にそんな大役が務まるのか心配していたのですが、本人も頑張っていると先生から聞きました。ただ、練習の間一切笑わないと言っていました。

家で何で笑わないの?と聞くと、真剣なときは笑わない、とかたくなに決めていたようでした。

こだわりなのか、笑えないのか…。家でも何度も真剣な顔で練習をしていました。そして結局一切笑わないまま発表会を終えました。周りも緊張しているのか、笑わない子どももいたのですが、笑わない!と決めてる子どもはきっと弟だけだったのではないかと思います…。

普段はうるさいくらいに元気な男の子です。でも、こう!と決めたらテコでも動かないのです。

言葉によるプレッシャー

3学期に入ると、先生からももうすぐ年長さんだよ。このクラスで過ごせるのもあと少しだよ。と言われることが増えました。

その頃から家のなかで落ち着かなくなってきた弟。そわそわするのか、イライラするのか、普段より気難しい様子です。その割には私にはべったりで、家にいる間中、寝るときもくっついていました。

そんなある日、お兄ちゃんの小学校の行事で、幼稚園のお帰りの時間を延長してもらった日、先生から呼ばれてお話がありました。

みんなで紙の棒を使ってチャンバラをして遊んでいたのですが、そこからだんだんと雲行きが怪しくなり、近くにいたお友達を巻き込んで叩いてしまったと…。幸いお友達に怪我もなく、ごめんなさいをして終わったと言われましたが、最近幼稚園でも過敏な感じだと言われました。

家に帰り、お友達を叩いてしまったことがどれだけいけないことなのかを叱り、自分で何がいけなかったのかを聞くと理解はしていました。

そして、最近何か不安なことがあるのかを聞くと、年長さんになることや、それについて先生が話すことに不安を感じていたと言うのです。

お兄ちゃんは、クラス替えに不安になることはあっても、誰と一緒になるんだろう?くらいな気持ちなのですが、弟は違うのです。私も小さい頃そうだったのですが、学年が上がること、クラスが替わること、先生が変わること、全てに気持ちが焦ってしまうのです。ただ、私は不安を内に秘めてストレスを溜めてしまうのに対して、弟は表へ出てしまうのです。

先生とも注意をして対応していきましょうと話し合いました。

弟の神経質で敏感な性格が少しずつ頭角を現してきたこの時期。これから毎年同じような悩みに直面することになります。そして、今ももちろん続いています。

年齢が高くなるにつれて、その症状は目に見えてわかるようになり、その度に対応をしていますが終わりはまだまだ見えません。

 

 

 

変な音の咳に注意!

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。

弟は病院に行くと毎回の様に扁桃腺が大きいと言われます。そのせいで風邪をひくと40度近くの高熱が出やすく、声も出しにくくなります。
また、大きくはないですがイビキをかくこともあり、これも大きすぎる扁桃腺が原因かもと言われました。寝入りばなに突然咳き込むこともあり、続くときは気管支を拡げるお薬をいただきしばらく飲み続けます。

弟は扁桃腺が大きいせいか、よく風邪をひいていました。風邪を引いたときに注意しなくてはいけないのは咳の音です。弟は風邪のひき始めからゴホゴホ言うのではなく、ゼロゼロと乾いたような、痰が絡んだような変な音がしだすのです。その咳が出ると嫌な予感を抱きながら小児科へ向かいます。

大きな病院へ紹介状。

乾いた咳が出て小児科へ行き、胸の音を聞いていただくと、ここにはレントゲンがないから大きな病院へ行ってくださいと毎回言われてしまいます。
移動が車ならいいのですが、自転車と徒歩だと、遠くの病院へは公共の交通機関を使わなくてはいけません。それだけでも大変です。

次の日、電車とタクシーを乗り継いで大きな病院でレントゲンを撮っていただきます。結果は毎回気管支炎、または少し酷くなると気管支肺炎と言われます。
治るまでは保温と保湿をして安静にしてくださいと言われ、お薬をいただき、経過をみるために次回の予約をして帰宅します。
具合の悪い子どもを抱っこしながらの移動はとても大変です。小さな小児科でレントゲンがないことは仕方ないのですが、近くの内科と提携をしてレントゲンだけでも撮らせていただけたらと、常々感じていました。

体はいつから強くなる?

風邪をひく度に大事になっていた弟ですが、3歳を過ぎる頃には咳が出ても気管支炎になることはなくなりました。もちろん全然咳が出ないわけではないのですが、小児科でいただける気管支を拡張するテープやお薬で対応できるようになりました。

1年生の頃までは季節の変わり目毎に風邪をひいては病院に通い、先生からも中学生になるまで体の弱い子はしょうがないよねと言われていました。体力もなく、1回熱が出ると平熱になるまで2,3日はかかっていました。
でも、2年生の今はまだ1度もお休みをしていません。食べる量も増え、体力もついたことで少しずつですが体が強くなってきているのかなと期待をしています。
病気で苦しんでいる子どもは見ているこちらも辛くなります。咳き込んで吐いてしまうこともありました。夜も何度も目が覚めてしまうので、親も寝不足にもなります。ベッドに座りながら抱っこで寝させたこともありました。咳が出てると寝ていたとしてもかわいそうで、枕を高くして少しでも楽になるようにしていました。

小さいうちは自分で辛さを伝えられません。子どもの咳の変化や呼吸をチェックして、症状が重症化しないようにしていくことが大事だと思いました。

4年連続インフルエンザになった弟

これからの時期、胃腸炎も怖いですがインフルエンザも避けたいですよね。

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。幼稚園や保育園、小学校等の集団生活が始まると、どんなに気を付けていても何かしらの病気をもらってきます。感染ってしまう側になることも、もちろんあります。

弟は幼稚園の年少から1年生まで、4年連続でインフルエンザにかかっています。予防接種を打っても打たなくてもかかるのです。
予防接種を打つと軽くなると聞きますが、もともと弟は高熱を出しやすいため、軽かったと思えた年はありませんでした。

インフルエンザA型とB型

これまで弟はインフルエンザA型に3回、B型に1回かかりました。
インフルエンザA型はとにかく高熱が出ます。40度程の高熱が出ました。熱が出始めると一気に上がるため子どももぐったりします。しかし、発熱後すぐに病院へ連れていってもインフルエンザの反応が出ない場合もあるので要注意。私は何度か失敗しました…。
夜に高熱が出て、慌てて朝1番に病院へ行き、結局午後もう1度行くなど、二の足を踏んでしまいますので気をつけてください。

そして弟の場合、高熱が出て次の日わけのわからないことを言い出したのもインフルエンザA型の時でした。
日中寝ていて、ふと目が覚めた時でした。喉乾いた?ジュース飲む?と聞いたら、
「ここにはえてたママのジュースがなくなっちゃった…」
と、布団を指差して言うのです。目線もうつろで何かおかしい様子です。話を合わせて今、ママがはえていたのを取ったから飲む?と聞くと、でも、ママのジュースが…とまだよくわからない様子。
やっとのことでジュースを飲ませ、もう少し寝られる?と聞くと、
「ママと3人なら寝れる…」
と言い出しました。もちろん、お兄ちゃんは学校でいません。パパもお仕事です。家には私と弟の2人きり。もう1人は誰だろうと思いながら寝かしつけました。

インフルエンザB型は、私とお兄ちゃんと弟でかかりました。A型のように高熱は出ませんでしたが、とにかく食欲が戻らないのが印象にあります。
お兄ちゃんは比較的早く回復したのですが、私も弟もしばらくの間食べれたものはそうめんを温かくしたもの位でした。とにかく1日中ムカムカして気持ち悪いのです。
また、弟の熱が下がって2日経った時、熱がでました。インフルエンザをぶり返してしまったのです。
病院へ行くと吸い込む方法の薬が上手に吸い込めなかったのかも、と言われました。当時弟は年中さんでした。
結局2週間程度幼稚園をお休みすることになりました。本格的に食欲が戻ったのは熱が下がった後5日ほど後でした。

その後

インフルエンザA型はお薬を服用した後、回復するのが早かったです。私はなかなか回復しなかったのですが、子どもは3日目には解熱し家の中で元気にしていました。
インフルエンザB型は、私と弟は味覚が変わりお水が美味しくなくなったり、味が変化したりと色々辛かった記憶があります。解熱した後も味覚が戻るまで何日かかかりました。

お兄ちゃんも私も2年連続インフルエンザにかかった後、2年間はかかっていません。弟は今年かかると5年連続となってしまいます。

毎年マスクをしてうがい手洗いをしていてもかかってしまうので、今年もいつかかるかドキドキしています。

かかってしまったときは家族や周りの人に移さないように注意をして、不要な外出を控えなくてはいけません。とは言っても具合が悪いと不安になるのか、いつも以上に私にべったりになるので毎回気合いをいれながら乗りきっています。
周りのママ友からも、高学年で階段を走った子どもがいたり、不可解な行動を取った子どものお話を聞いています。弟もそうでしたがママ友の子どもたちも、日中ふと目が覚めたときに訳がわからなくなるようでした。
インフルエンザの時は日中、普段寝ている2階では寝させず、リビングにお布団を敷いて寝させています。
弟が訳のわからないことを言っていたのは1年生の時です。高熱で体力がなくなっていたため走り出すこともありませんでしたが、年齢が上がると体力もつきます。突然走り出した時、窓から外に飛び出しても落ちることの無いようにリビングで様子をみています。
解熱するまでは寝ていても子どもから目を離さず、常に注意してあげることが子どもを守ることだと思いました。

神経質?気難しい?敏感?

息子は寝ているときでも、ママが少しでも離れると気がついて泣き出す赤ちゃんでした。
朝起きてきて、リビングの電気がついているだけで眩しい~!と目が開けられず、ぐずることがありました。
動物園は匂いがダメで、嬉しさよりも鼻をハンカチで塞いでいました。
これは、我が家の小学6年生と2年生兄弟の、弟のことです。

赤ちゃんの頃の少しの育てにくさから始まり、幼稚園の集団生活での扱い辛さを経て、小学2年生で悩んで行き着いた答えがHSC(人一倍敏感な子)でした。

赤ちゃんの頃は、この子は少し手がかかる子どもなのかな?と思っていました。
物心ついた頃には、小さい子どもたちの中にいて気難しくも、わがままにも、神経質にも見えました。

全てに全力で遊びがない

幼稚園の頃、これは絶対ここに片付けなくてはいけない。このおもちゃは、こう片付けなくてはいけない。と、弟の中にきちっとしたルールがありお友だちと喧嘩になることが何度かありました。
確かに弟が言ってることがあっていることもありますが、ただ単に弟が思い込みでこうしなきゃ!と思ってる時もありました。

ある時は、鬼ごっこをしていて、小さい子どもには良く有りがちですが、タッチされると今はバリアしてるからダメー!と言われたり、鬼じゃないー!と言われたりすることがあります。弟は、タッチされても鬼ごっこのルールなので楽しく鬼になります。でも、ルールを守らないで鬼にならない子がいたりするとそれがどうしても許せないのです。

かけっこをしていて、勝てなくても怒りませんが、線をはみ出して内側から走って『ずる』をしてるお友達に負けるのは許せないのです。

このように、ルールと違うことをすることに対して、とても強く拒否反応がでてしまうのです。

それが間違っているとは言いませんが、許せない気持ちが強すぎるのです。

年長さんのとき、卒園前最後のクラス対抗のリレーがありましま。1度目、走り始めたものの、アンカーまできて他のクラスの人数が1人足りずやり直しをすることになりました。

運動会では弟のクラスは最下位で悔しい思いをしたのでみんな頑張っていました。やり直し前のリレーでは、このまま行けば4クラス中2位か3位となるはずで、みんなとても喜んでいました。しかし、やり直しをしたら最下位となり負けてしまい、悔しくて泣き出す子どもも多くいました。
そんな中、弟は周りの子どもより号泣していて、その後の写真撮影の時も泣いていました。クラスの悔しさを直に感じ取ってしまったのです。

これは小学1年生の運動会でもありました。白組が勝ったのですが弟は赤組でした。負けちゃったーと帰ってくるのかと思えば、泣きながら帰ってきたのです。白組のお友達に白組の勝ちーと言われ、悔しかったのです。

皆にとって楽しい行事も弟にとっては真剣そのもの。遊びも行事も、全てに全力なのです。遊びなんだから…となれない弟は頑固にも見え、これからの生き辛さに心配にもなりました。

HSCとは?

以前、HSP~繊細さんの子育て~というコラムを書かせて頂きました。
HSCは、HSPと気質は同じで、とても敏感で繊細さや感受性の強い、子どものことをいいます。

判定としては、エイレン・アーロン博士の日本語のホームページにセルフチェックがあります。

23項目中13個以上「はい」なら、おそらく敏感力をもつ子(HSC)と言えるそうです。

しかし、12個以下でもものすごくあてはまるならHSCであるとされています。

弟は15項目当てはまりました。子どもの頃の私の場合は19項目当てはまりました。弟も私もひといちばい敏感な子ども(だった)と言えますが、タイプはまったく違います。

私の場合、活発ではあったものの、親にも気を遣い、学校が辛くても楽しかったよ、と言う子どもでした。低学年の頃、夜ベッドの中で、明日お母さんが死んだらどうしよう…とわけもわからず不安になり泣いていました。
人の顔色を伺い、機嫌の悪い空気を感じてしまうとそれだけで居たたまれなくなっていました。もちろん、言いたいことなど言えません。
1年生の頃嘔吐が続き病院へ行ったところ、疲れからくるものと診断されました。
慣れない場所へ行くとそれだけで神経を使うのか、次の日熱を出すことも多々ありました。

弟の場合は、ルールに反したことや理不尽なことがあると言わずにいられないのです。また、悪口を言われたり、しつこくちょっかいを出されるとスルー出来ず、言い合った後、手が出てしまうのです。
先生にも話を聞くと、自分から喧嘩を持ちかけることはなく、弟から相手を悪く言ったりすることもありませんと言われました。完璧主義のところがあり頑固なところはありますとも言われます。
ただ、言いたいことを言っているようでもストレスが体に現れるので、じんましんが出たり、熱が出たり、下痢が続いたりすることもありました。

このようにタイプは違いますが、同じ、HSCなのです。

HSCは病気でも障害でもありません。その子の生まれもった気質なのです。
今子育てをしていて、もしかして、と感じることがあれば少し調べてみると気持ちが楽になるかもしれないと思い今回書かせて頂きました。
コラムのなかで少しずつ、弟の性格で困ったこと、トラブルになったことなど紹介させていただけたらと思っています。

 

 

 

花粉症は大変です

我が家は主人、私、小学6年生と2年生の兄弟の4人家族です。両親がアレルギーの場合60%の割合で子どもに遺伝するそうです。
私も主人も花粉を始め様々なアレルギーがあります。そして、主人には昔から喘息がありました。
残念なことにアレルギーは子どもたちにも遺伝してしまいました。

その中でも花粉症は兄弟2人とも本当に小さいうちから症状が出てしまいました。弟は赤ちゃんの頃から花粉の時期になると目を掻いたりくしゃみをしたりしていました。
お兄ちゃんは花粉眼鏡をかけて小学校に行っていた時期もありました。
しかし、普段は眼鏡をしていないため見慣れない姿にからかわれたりすることから、今はもうかけなくなってしまいました。

花粉の時期は洗濯物も布団も外には干さず、なるべく家に花粉を持ち込まないようにしています。それでも、子どもたちは学校でおもいっきり外で遊んで帰ってくるので、日中たくさん吸い込んだ花粉のせいで帰宅後目が痒い~となってしまいます。
毎年お薬をもらうのですが花粉の力にはなかなか勝てません。

止まらない咳

お兄ちゃんが1年生の時、年が明けて花粉の季節がきたので病院へお薬をもらいにいきました。
毎日飲み続けていたのですが、だんだんと咳が出るようになってきました。日中は全然気になりません。学校でも元気に遊び、お兄ちゃんも咳で辛そうにしている雰囲気はありませんでした。

ところが、夜の仕上げみがきのため寝る姿勢になってもらうと一気に止まらなくなるのです。ゴホゴホと乾いた咳がずっと出ます。なんとか仕上げみがきをして起き上がると、咳は出なくなります。

夜寝るときや朝方起きてきた時も少し出ていたのですが、もともと鼻炎もあり普段から鼻水も出ていたので風邪かな?と思っていました。

咳も気になっていたのですが、それよりも目が痒い!と掻いてしまうため、目が真っ赤になってしまい眼科に行ったりしているうちに2週間ほど経過していました。その間なかなか咳は治まらず病院へ行くことにしました。

花粉症からの喘息

鼻炎もあったことから普段は耳鼻科でお薬をいただくことが多かったのですが、今回は小児科で診てもらうことにしました。

診察室で、横になると咳が止めらなくなること、朝晩も咳が少し出ることをお伝えしました。その結果、花粉症から喘息になっていると言われました。
主人が喘息持ちのため幼児期は気にかけていたのですが、喘息の気配がなく安心していました。今回もヒューヒュー、ゼーゼー言っていないか様子をみていたのですが、どうやら咳喘息と言うものらしくそのような症状は出ないようでした。
喘息のお薬をいただき飲み続けると少しずつ咳も治まってきました。

それからは少しでも咳が出ると、すぐに病院へ連れていくようにしました。

1年生以降、お兄ちゃんの喘息は酷くなることはありませんでした。アレルギーの薬も検査により秋花粉もあることで1年を通して飲んでいます。
そのため1か月に1回病院へ行くので毎回胸の音を聞いていただき、咳が出ていなくても気管支を拡げるお薬を処方されることもあります。

あの頃、どちらかというと弟の方が気管支が弱く、咳が出るとすぐ気管支炎になっていたのでお兄ちゃんの喘息は予想外でした。もっと早く病院へ行っていれば喘息まで酷くならなかったと思います。お兄ちゃんには申し訳ないことをしたと、後悔しています。

咳が出たら病院へ

現在6年生のお兄ちゃんは、得意ではないですが運動が大好きです。部活でバスケをしたり、陸上をしたり1年を通して動いています。
走ったりしているときに喘息の症状が出ることはありません。
ただ、風邪を引いたとき等、咳が出たときに病院へ行くと喘息のお薬も一緒に処方されるので気管支が狭くなりやすいのだと思います。
アレルギーのお薬を1年を通して飲み続けているので、アレルギーが原因での咳は出ないようになりました。

もっと早く病院へ行っていれば…と私の後悔はなくなりません。咳喘息は鼻水が出ないとありますが、お兄ちゃんのように鼻炎があり鼻水がいつも出てると分かりにくいです。
子どもの咳が続くようなら早めの受診を心がけてください。

生まれたその日から元気いっぱい泣いてばかり

我が家には小学6年生と2年生の男の子がいます。

お兄ちゃんは小さい頃から人が大好きで、人見知りをするどころか、買い物で商品を取るために手を離した隙に、知らないおばあちゃんと手を繋いでいたり、店員さんとお話ししていたりしていました。

ところが、弟は穏やかなお兄ちゃんとは性格が全く違いました。
37週で生まれた弟。2260gと小さめで出てきたものの、とても元気で分娩室でも抱っこされてないと泣き止みません。なので、助産師さんに、あら、この子抱っこしてると泣き止むからパパ抱っこしててと言われるほど、自分を主張していました。小さいながらも保育器にも入らず、元気にその日から母子同室で過ごしました。
新生児の頃、おっぱいを飲んで、おむつを替えたらすやすや寝てくれていたお兄ちゃんに比べて、弟はすぐには寝ません。入院中もなかなか寝ない弟は退院してもやっぱり元気に泣くのです。

おっぱいを飲みながら抱っこされているうちはいいのですが、寝たかな?と思っておっぱいを離すと起きてグズる赤ちゃんでした。それでも生後2ヶ月くらいまでは私の母に抱っこしてもらっているうちに、私もお風呂に入ることができていました。

生後2ヶ月で人見知りが始まる

弟が生後2ヶ月の頃、建物続きのメゾネットのアパートを1部屋挟んだ所に母が住んでいたのですが、弟を預けてお風呂に入っていたら外から泣き声が聞こえてきました。
急いで迎えに行くと、弟が母に抱っこされながらのけぞって泣いていました。その日からママ意外の抱っこはしばらくの間受け付けなくなりました。早くも人見知りが始まったようでした。

3,4ヶ月頃に始まる人見知りは、ママの匂いや愛着によるもので認識ができるようになったとも言われています。私がいなくなると、不安になって泣いている弟に可愛らしさも感じますが、それにしても早すぎる人見知りに、お風呂に入るのも大変でした。

ママセンサー発動中!

生後2ヶ月で始まった人見知りに加え、夜も中々寝てはくれない弟。2階でパパとお兄ちゃんが寝ているので、起こさないように1階をぐるぐると歩き回ったりしていました。
やっと寝てくれてもおっぱいを吸ったまま離さない弟。仕方がないのでそのままベッドへ運び、添い乳をしつつ寝ていました。

ところが夜中、弟を起こさないようにそーっと抜け出してトイレに行くと、数分で泣き出してしまうのです。1度や2度ではなく、毎回毎回必ず起きてしまいます。ママセンサーが発動してしまうのです。
泣き出してしまうとゆっくりトイレもできません。パパやお兄ちゃんを起こさないように急いで弟の元へ戻らなくてはいけません。あまりに我慢できないときは抱っこしたままトイレに入っていました。

ママ大好きな男の子

あまりにも寝てくれない弟を抱っこしながら、何で寝てくれないの~ママは眠いよ~と言っていた赤ちゃん時代。愚痴りたくもなりますよね。眠いな~寝たいな~と、何度も弟に話しかけていました。疲れて泣きながら抱っこしていた日もありました。

人見知りは段々とおさまりましたが、お風呂だけは2歳くらいまで私がほとんど入れていました。

ベビーカーも嫌がり、抱っこのしすぎで肩と首が動かなくなり整骨院へ通ったこともありました。整骨院で、今日のワースト3に入るね!と言われるほど毎日抱っこをしていました。

そんな、ママしか受け付けなかった弟の現在は、やはりママ大好きです。
学校で、ママと結婚はできないんだよと言われるまでずっとママと結婚する!と言ってくれていました。結婚できないとわかった今でももちろんママが1番と言ってくれます。

寝てくれない日はとても大変でした。それ以上に赤ちゃんの時のかわいいしぐさや、いつまでも嗅いでいたくなるような匂いを思うと、もっと小さい子どものままでいてほしかったとついつい思ってしまいます。

男の子がママにべったりしてくれるのなんて、あと少しだろうなと思います。甘えてくれるうちは私も一緒にべったりしていたいと思います。
もちろん、悪いことをしたら叱りながら…。

参観日の成長

我が家の兄弟の、小学2年生になる弟が年少さんの頃、ママがいることが嬉しすぎて座っていられなかった参観日。

年中になり、初めての参観日もどうなることかとドキドキしながら見に行きました。

目が合うと嬉しそうにする弟。何度も何度も振り返ります。ただ、走ってくることもなくきちんと先生のお話が聞けるようになっていました。

プレ幼稚園から2年。ちゃんと落ち着いて座れるようになった弟の成長にほっとしました。

個人面談

夏休みに入り、個人面談がありました。

幼稚園での様子はやはり声が大きく元気なようです。年少さんの頃、全然食べられなかった給食も、1学期の途中からモリモリ頑張って全部食べられるようになりました。

お友達は、1人とても仲の良い子がいて毎日ずっと一緒に遊んでいると聞きました。弟からも、幼稚園で何をしたか聞くと、毎日そのお友達の名前が出てくるほどいつも一緒にいるようでした。

そして、迎えた2学期。弟にとって大事件が起きました。

お友達のお引越しと弟の涙

夏休みを終え、運動会が終わった頃、弟の仲良しのお友達が幼稚園を休むようになりました。
今日もお休みだったー。遠足にも来なかったー。としょんぼり帰ってくる日が続いたある日、先生からお友達のお引越しが伝えられました。

その日はお友達が最後に登園して、荷物等を持ち帰る日でした。朝から、「少し遊べるかな?話せるかな?」と言っていた弟でしたがお迎えに行くと悲しい顔をしています。

家に帰って、ソファーに座るとポロポロと泣き始める弟。「遊べなかった…。話せなかった…。お友達、いなくなっちゃった…。」ただただ、ポロポロと泣いていたのです。

夜になっても元気がなく、思い出してはしくしく泣き出す弟。大好きなテレビを見ても笑うことはなく、ベッドに入って私に抱きつき、泣きながら眠りにつきました。

その後の様子と気持ちの整理

幼稚園の先生にその後の様子を聞いてみると、やはり元気がなく、先生と遊ぶ機会が多いと言っていました。話せるお友達がいないわけではなく、仲良しのお友達の時のように話す内容に盛り上がれないようでした。

仲良しのお友達のことは、「何してるかな?遊びたいな。」とよく話していました。

そんな中、仲良しのお友達が写った最後の行事の写真が幼稚園にはり出されました。きっと、仲良しのお友達のママも写真があれば欲しいだろうな、と思い連絡を取りました。
その後、子どもたちの様子を話し合ううちに、冬休みに会えることとなりました。

弟も大喜びで、話した後は元気に幼稚園に通うようになりました。

朝からソワソワした弟。いざお友達に会えると2人とも大喜び。ずっと遊びたくて、お引越しの時に上手にさようならもできなくて消化不良だった気持ちも、お友達に会えて落ち着けることができました。

最後は笑顔でバイバイをして帰りました。

幼稚園の先生も周りのママも、年中さんでそんなにお友達のお引越しを重く受け止めてしまう弟に驚いていました。

全てに全力。大人しいわけではなく、元気すぎるくらい元気な弟。それでも神経質で頑固な弟。
アンテナが色々なものを拾ってしまうのか、流すことのできない性格は親としてもかわいそうに思うこともあります。

2年生になった今も、「お友達元気にしてるかな?」ふと思い出しては言うときがあります。弟にとって、お友達のお引越しはとても寂しく、切ない経験となりました。