房総のむらとは

房総のむらは成田国際空港、成田山新勝寺にほど近い印旛群栄町にあります。参加体験型の博物館で里山環境の中で原始、古代から近代現代までの衣・食・住・技の移り変わりを体験できます。

房総のむらに一歩入ると昔の建物が並ぶ道に、タイムスリップしたような気持ちになります。左右に並ぶ1つ1つの建物は派手ではないものの、その造りは各々異なり見ているだけでも楽しめます。

体験できるもの毎に料金がかかりますが、物によってはそれほど高くなく、記念になるものが多いのも特徴です。

我が家では2年連続で新年房総のむらへ出掛けています。そして来年も行きたいと、6年生と2年生の兄弟も楽しみにしています。

お正月に行く訳は

もちろん、普通の日に行っても十分楽しめる房総のむらですが、我が家ではお正月ならではのイベントを目的としているため、むらのお正月へ朝早くからから出向いています。

1月2日3日の先着500名に干支の絵馬がプレゼントされます。私もパパも、家族皆で貰い、4人でかわいらしい絵馬に新年の目標を書きます。

また、なかなか近所では見ることの出来ない昔ながらのお正月飾りや獅子舞、鳥追い、猿まわしなどの大道芸など、物珍しさに子どもたちも興味津々です。建物が左右に並ぶ道で獅子舞が練り歩き、弟は少しの近寄るのに勇気がいるようでしたが、お兄ちゃんは楽しそうに寄っていき頭が良くなるように食べてもらっていました。

体験コーナーでは泥めんこを作ったり、干支のストラップや張り子を作ったり、次から次へ楽しそうなものを選んで子どもも足早に動き回ります。

各々の建物で体験時間の予約をして、その時間を待つ間に他の体験をすることもできます。

ハサミを使ったり、絵の具を使ったり、細かい作業が多いのですが子ども達はとても真剣です。同じものを作っていても、デザインが違うと個性が出て見ていても楽しめます。

去年までは物を作るのに少しお手伝いが必要だった弟が、次の年には親の手を借りずに最後まで作りきることが出きるようになったりと、その成長も見ることができます。

普段とは違う経験ができる

竹トンボを飛ばしたり、竹馬に乗ってみたり。日常では体験できないことが、房総のむらに行くとそのにあるのが当たり前のように溶け込んでいます。

竹トンボは販売もしていて、おじいさんが丁寧に、楽しそうに飛ばしかたを教えてくれました。なかなか上手に飛ばすことができず、何度も何度も挑戦していました。

和太鼓を叩ける場所では、兄弟そろってリズムをとりながらノリノリに叩いていました。

昔ながらの家屋に入って物珍しさに興奮して見て回ったり、今時の家には見られない縁側に座ってみたり。昔を知らない子どもが、興味深く見ている姿に微笑ましい気持ちになります。

私が小さい頃、田舎の祖父母の家にはその当時でも珍しく、まだ五右衛門風呂がありました。祖父母にとっては日常であった、薪をくべてお湯を沸かす行為が当時とても楽しく、たまに行く祖父母の家での1つの遊びの様な感覚でした。

今はもうなかなか気軽にそのような経験ができるところはありません。

昔の人が当たり前に過ごしていた文化に触れ、体験することのできる房総のむらは、何度行っても飽きない素敵な場所だと思います。

お時間がある時は、年のはじめの記念に是非足を運んでみてください。

感覚としてあれ?と思うこと

HSC、ひといちばい敏感な子は子ども全体の15%~20%の割合で存在しているといわれています。ママも、育てていて何かと育てにくいと感じたり、先生からも他の子どもと少し違うと思われることもあるそうです。

5人に1人と聞くと少なくは感じません。たとえば幼稚園でママと離れたくないとよく泣く子どもだったり、何か注意をすると物凄く落ち込んでしまう子どもだったり。又は、他の子どもが学校で怒られているのを見て、自分が怒られているかのように感じてしまったり。その子どもの持つ性格なのです。

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。弟は、医師に相談をしてつい最近HSCだとわかりました。

赤ちゃんの頃から何かと手がかかる子どもではあったものの、自分の意思もはっきりしていて、発達に関してもしっかりしすぎているほどしていたのでただ単に気難しい、神経質な子どもだと思っていました。

今思い返すとあんなことが気になったな。こんなことも気になったなと思うことがあるので少し紹介をしていきたいと思います。

赤ちゃんの頃

弟は37週、2260gで少し小さく生まれました。それでもとても元気ですぐに母子同室となりました。

私の新生児のイメージは、お兄ちゃんのものしかなかったのですが、弟はまったく異なりました。まず、寝ないのです。生まれてすぐの赤ちゃんはおっぱいを飲んだらすぐ寝てしまうと思っていたのに寝ないのです。
病室は個室でトイレがついていたのですが、トイレに行くと気配で感じるのか泣いてしまうのです。帰宅してからの事を思うと不安を感じました。

帰宅してもまるでおっぱいからはえているかのように、寝ている時もずっとおっぱいに吸い付いました。離すと起きてしまうので身動きがとれませんでした。その間お兄ちゃんは私の母が面倒をみてくれていたのでとても助かりました。

そして、生後2ヶ月にもならない時でした。寝ているときに大きな音がして、びっくりしたのか弟が大きな声で「わあ!」と言ったのです。新生児のわあ!と言う声を初めて聞いたので私も主人もびっくりしました。今でも突然の物音にはびっくりしてしまいしゃっくりが出ることがよくあります。

弟は音にも光にも敏感でした。また、ママを認識するのがとても早く、そのため人見知りも生後2ヶ月辺りから始まりました。

哺乳瓶はどれも受け付けず、おしゃぶりも嫌がり、ベビーカーにも乗りません。哺乳類を嫌がるので母乳を冷凍しても全く意味がなくお兄ちゃんの幼稚園行事で母に任せても数時間が限度でした。

また、卒乳が4歳6ヶ月だったのですが、3歳を過ぎても夜中何度も起きておっぱいを飲んでいました。9時には就寝していたのですが、朝までぐっすり寝るようになったのは5歳になる少し前でした。

幼児期

冬の日、弟が朝起きてきて、床暖房がついていないと泣くのです。寒い~と…。こたつがついていなくても泣いてしまいます。朝なので暗くて電気をつけていても起きてきた途端、眩しい~と目を閉じてぐずりだします。
朝からなんだかとても疲れます。知らない人から見たらわがままに見えてしまいます。これもHSCによくあることで光や温度に敏感なのです。

決して大袈裟に言っている訳ではなく、本人にとっては寒さや眩しさはストレスになってしまうのです。

物に対してのこだわりもあり、あの服が着たい、と主張する子どもでした。今日は違う服を着ようと言うと不機嫌になりますが、昨日洗っちゃって今濡れてるから今日は着れないんだよ、と説明をすると納得してくれました。

細かいことにもよく気がついていました。リビングの物の配置を変えると、何か違うと気がついたり、私が弟の見たことのない服を着てると、ママの服かわいい~と言ってくれたり。幼稚園でも先生から、「前髪を切ったの誰も気がついてくれなかったのに弟君は気がついてかわいいと言ってくれました~」と言われました。

また、他人に対しての警戒心が強く、普段は元気いっぱいなのですが、私が知らない人に話かけられたり、ママ友と話をしているだけでどんどん不機嫌になりもう行こう、行こう!となります。

HSCの子どもは視覚や聴覚等、多くの情報が本人も気がつかないうちに入ってきてしまいます。なので、とても疲れやすく、お出掛けをして楽しく遊んでいても突然スイッチが切れて、もう帰りたい…となってしまいます。

また、凄いと思ったところは、小さな頃から何かをするときは黙々と長い時間真剣になるのです。どんぐり拾いをしていても、とにかく袋がいっぱいになるまで拾い続けます。これは幼稚園の頃にもあり、幼稚園のお散歩で公園に行ったときもママ友のどの子どもたちよりもどんぐりを、ママにお土産と、持って帰ってきてくれました。

小さい頃から親の話を良く聞いているのでユーモアもありました。お兄ちゃんが通う小学校の前を自転車で通ったとき、お兄ちゃん頑張ってお勉強してるかな?と後ろに乗ってる弟に聞くと、「勉強苦手だからしてないんじゃない?」と言われました。3歳の時のことでした。

常に感じていたことは、お兄ちゃんはとにかく毎日楽しそうでニコニコしていたのですが、弟は何かにつけてイライラしてしていることが多い子どもだということでした。

上から押し付けないことで信頼関係を作る

HSCの事を知り、調べてみると、子どもの気持ちに寄り添うことありました。HSCの子どもは自己肯定感が低くなりがちです。

弟が年長さんの時、何人かのクラスの女の子とトラブルになり、帰って来て、女の子皆に嫌われちゃったと言っていました。その時はそんな事ないから、何かしちゃったのなら明日謝ってみたら?と言いました。先生に聞いてみたら嫌われているということはなかったのですが。

また、2年生の今も、テストで100点を取ると皆の前で名前を呼ばれるのですが、先生に聞こえないように、本当にとったの?嘘じゃないの?と毎回言ってくるお友だちがいます。弟は帰ってから私に、「僕のくせにって思うんじゃない?」話していました。

このように弟からは自己肯定感が低い言葉が出てくることは結構あります。

国語のテストをした日、書けなかった問題があったらしく、点数よくないかもと言って帰ってきました。お兄ちゃんは書けない問題があってもできた!と言って帰ってくる子どもで、結果を見て、ん?と思うことが多くありました。なのでどんな点数が帰ってくるのかと思えば間違っていたのはその1問だけでした。
できてなくてもできたよ!と言うのも考えものですが、弟のように心配性すぎるのも今後が心配になります。

弟は決して大人しい子どもではありません。HSCではありますが、気になることを言われると沈むのではなく怒りになってしまうタイプなのです。ですが、私に否定をされることにはとても敏感です。なので、嫌だったことでトラブルになっても、弟の嫌だった気持ちは否定をしないで何が悪かったかを伝えるようにしています。伝え方を間違うと、ママは僕のことが嫌いだからそんな事を言うんだ…となってしまうので気を付けないといけません。

卒乳が4歳になったのも、弟は不安に思うと甘えておっぱいを飲んでいたのでやめさせたら心のバランスがとれなくなると感じ本人に任せていました。

かといって、甘やかしていいわけではありません。駄目なものは何故駄目なのかわかるまで何度も何度も話し合います。泣かれても、わめかれても、最後納得するまで1時間でも話し合います。納得をしたらちゃんとわかったことをほめてあげることも、忘れずにしています。

幼児期、何でこんなに怒りやすいんだろうと思っていましたが、そこを本人に理解させるにはまだ小さかったので不機嫌の原因は何なのかを知ることで回避するようにしていたことも、後からHSCを調べてみて間違っていなかったとほっとしました。

HSCの子どもは小さいからと説明をしないで勝手に決めるより、きちんと説明をして納得をさせると比較的落ち着いて行動してくれるように思います。ママはちゃんとあなたの事を見ているよ、と思わせることで言いたいことが言えるようになるのかな?とも感じました。

 

 

 

子どもの頃の記憶

子どもの頃の記憶っていつからある?と聞かれると、私は2歳頃からあると答えています。外で遊んだりしている日常の事。母と家でお昼寝をしようと言われ、母が先に寝てしまい、母の顔を触っていた事。台所で切ったきゅうりをもらいポリポリ食べた事。当時は和式のトイレなので、膝裏を持たれ用を足していた事。姉の幼稚園の運動会に何人かのママたちと向かう時、私と同じ年の男の子が先に歩いていて道に小さな蛇がいて、母が逃げたこと…。

もちもん会話も覚えています。

自分が覚えているということは子どもたちも覚えているかも知れないと、子どもの話には適当にではなく難しくても真剣に応えるように心がけています。

質問の少ない子どもと多い子ども

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。
お兄ちゃんは小さい頃から疑問を持たない性格なのか言われたことに何で?となることはありせんでした。
例えば公園に行き、そろそろ帰ろうかな?という場面。いつも小さなラムネを持ち歩き、それを見せると自分からベビーカーに乗り込みます。楽しかったねーと、ニコニコ終われるなんとも扱いやすい子どもでした。

弟は、小さい頃から自分の思うようにいかないことに怒り出す子どもでした。公園に行っても遊び足りなければテコでも動きません。帰る少し前から、もう少ししたら帰るよ。滑り台したら帰るよ。お腹すいたね、帰ったら一緒にごはん食べようね。と、何回かに分けて声かけをして、帰るよことを意識させると納得して帰ります。
しゃべれるようになってからは口癖が「何でー?」「見てー!」で、1日中ずーっと構って欲しい子どもでした。
弟の何で攻撃は凄まじいものでした。
外に出て蟻を見て、蟻がいる、何でー?今日寒い。何でもー?等、見たものを全部聞いてくるのです。正直面倒に思うときもありました。ただ、親が適当に返すことで聞くことを諦めてしまうようになる方が嫌だったのでできるだけ真剣に応えるようにしました。
応えてもらえるとわかった弟はどんどん質問をしてきます。日常のどうでもいい質問もあれば、赤ちゃんはお腹の中でどうやって大きくなるの?雨はどうして降るの?等の質問もあります。雨の質問は難しい思いながらも空気中の水蒸気がね…と説明をします。すると、水蒸気って何?となるので、水をもっともっと小さくしたものの集まりだよ、と教えます。
弟が色々質問することで、お兄ちゃんも興味を持つようになるのか、なぜ?の図鑑で自分で調べるようにもまりました。

小さい頃の記憶

さて、うちの子どもたちはどのくらい小さい頃の事を覚えているのか聞いてみました。
お兄ちゃんは、幼稚園の年中さんの頃の記憶が所々あるものの、3歳以前の記憶はないかな?と思います。幼いと言われ続けて、最近やっと会話らしい会話ができるようになったかな?というお兄ちゃん。予想通りでした。

弟はプレ幼稚園の頃の記憶が場面としてではなく話した内容も覚えていました。自転車で走っているとき、あそこの水溜まりですずめさん水浴びしてたねーと突然言い出したりします。年少さんの頃のことは結構覚えているみたいです。

子どもの何で?見てー!って、本当に休まなく続きます。料理をしててもママ見てー!テレビを見ていても知らない言葉はどんな意味?と。

1つ1つに応えるのは大変ですが出来る限り応えることで子どもとの信頼関係もできていくのかな?と感じました。

子どもって、ママとの時間を結構覚えています。上手にしゃべることができない頃でも覚えていたりします。

子どもが大きくなって、お母さんあのとき話聞いてくれなかった、と言われないように、これからも子どもの話に耳を傾けていきたいと思います。

最後の砦となるように

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。毎日がドタバタで、大きな声で注意、注意の繰り返しです。

男の子だから元気な方がいい、とは言っても異性の私からみたらその生体はわからないことばかりです。何で何度注意されても同じことをするのか。今、お兄ちゃんに注意したことを、見ていたはずの弟が真似をする、または逆もしかり。

いちいち目について怒っての繰り返しに、いつしか子ども達も慣れてしまい私が何度言っても直らないことが出てきます。そんな時はパパの出番です。

鶴の一声ならぬパパの一声。普段は学校のことには一切口を出さないパパからのお怒りの言葉は子どもにとっては恐いらしく、そこでやっと自分の甘さに気がつくようです。

そんなパパの一声ですが、普段から子どもに接していなくては何の効果もありません。子どもからの信頼を得ているからこそ、その言葉が怖いだけでなく、ちゃんとしなくてはという気持ちに繋がるのだと思います。

家族サービスを忘れない

月曜日から土曜日、私たちが朝起きると、すでにパパは出社しています。そして15時頃帰宅をして18時には就寝するためなかなか子どもと関わることはできません。その短い時間でタイミングを見て、わらわらと子どもがパパに群がり、ジャレ合ったりすることはありますがゆっくり話をするわけでもなく土曜日まで過ぎていきます。

貴重な休みの日曜日。本当に疲れている日以外は、さて、今日は何をする?と、お出掛けする気満々なパパ。もちろん毎回行楽地へ行くわけではありませんが、それでも近場のスーパーではなく、子どもも遊べるように大型スーパーに連れていってくれます。

月に1回は大きな公園に行ったり動物園へ行ったり、パパ自身も家にいることよりお出掛けが好きなので色々連れていってくれます。

公園へ行けば子どもと一緒に走り回ったり、キャッチボールをしたり。私では体力が持たない遊びをしてくれるパパに、子ども達も喜んで普段のパパ不足を解消しています。

次の日の、また深夜に起きて仕事に行くパパですが、面倒くさがる訳でもなく家族サービスをしてくれるパパだから、子どももパパの言うことに反感を持つこともなく聞く耳を持つことができるなだと思います。

母親の役割。最後の砦。

普段は学校の事から家でのことまで、把握できるすべてのことを注意するのは私の役割です。叱り方としても子どもの性格を理解した上でお兄ちゃんに対しての言い方、弟に対しての言い方を変えることができるのも、普段を知っている母親ならではだと思っています。

何がどういけないかをしっかり説明しながら、あなた達のことをどうでも良く考えているならこんなに言わないんだよ、と気持ちを伝えながらじっくり叱ることも普段を見ているから言えることです。

ただ、母親の怖さに慣れてしまうのも毎日一緒にいるから仕方がありません。そこで我が家には絶対的な父親の存在は重要不可欠なのです。

怒りかたとしては、ガツン、と言う言葉がしっくりきます。やるべき事はやらなきゃいけないんだ、という正論をガツンと父親から怒られながら言われると子どももこれはヤバい、と聞くしかありません。

勿論、怒る父親が怖いからですが、絶対的存在はあってもいいように思います。それが日々怯えるほどでは問題ですが、間違ったことをしなければ普段は遊んでくれる父親だからこそ信頼関係もでき、怒られたときの効果も絶大なのだと思います。

ただ、なるべくなら私で事を終わらせたい気持ちもあるので、あまりにもひどいときは、パパに言うからね!と存在をちらつかせることもあります。とたんに、子どもは言わないで~!と焦りだします。

普段会社で忙しく働くパパ。たまの休みに疲れた~と寝ている父親だったら、子どももその時は怒られてもただ怖いだけで、大きくなるにつれて反感も持ち始めていたかも知れません。

これから反抗期が始まると子ども達にとっての親の存在がどう変わっていくか全く予想もできません。その時々の母親の役割、父親の役割を見つけながら対応していきたいと思います。

子どもと一緒に気軽に行ける山

だんだんと寒くなり、空気が清んできました。思い立ったが吉日と、週末突然「紅葉を見に行こう!」と、パパの一言により早起きをして筑波山へ向かいました。

とは言っても山なんて登ったことのない小学2年生の弟と、普段自転車に乗るばかりで歩くこともない私。6年生のお兄ちゃんや弟は良しとしても、私の体力では次の日の筋肉痛を恐れる前に山なんて登れる気がしません。なのでそこは少し楽をすることにしました。

ケーブルカー様々

さて、ケーブルカーに乗るにもできるだけ近い駐車場が望ましいところです。11月の休日のケーブルカーは、8時40分が始発です。なので、1時間前には着けるように出発しました。

目的時間通りケーブルカーまで15分ほどの場所にある駐車場に着き、あと何台かしか空いていなかったものの無事に駐車できました。パパは一足先にケーブルカーに並びに行き、私は案内所が開くのを待ち、料金を支払い子ども達と車で待機。8時頃に車を出てケーブルカーに向かいました。

ケーブルカー乗り場までは階段、階段

ケーブルカー乗り場までは筑波山神社を通ります。その道のりは坂道と階段です。子どもは元気に…と言いたいところですが疲れた~と言いながら頑張って登っていました。

すごいね~と言いながら、手水舎で手を清めたり単身の旅行者の方に写真を頼まれたりしながらパパの待つ場所まで向かいました。

小さな階段から大きな階段までとにかく階段です。ケーブルカー入り口まで着いて、最後の階段を登りやっと乗り場に到着しました。

山頂目指して15分

筑波山のケーブルカーは中腹の宮脇駅から筑波山頂駅(標高800m)までの1634mを約8分で結んでいます。紅葉は宮脇駅の付近が1番綺麗でした。

途中、下りのケーブルカーとすれ違ったりトンネルがあったりもして、あっという間に筑波山頂駅に着きました。

ここからは少しのハイキングです。緩やかな女体山頂を目指すか、険しい男体山頂を目指すか…と考えるまでもなく当たり前のように男体山頂を目指すこととなりました。

とはいってもハイキングコースと軽く思っていた私。道を進むにつれ、次の日の筋肉痛を真剣に覚悟することとなりました。

整備されている道はいいのですが、整備されていても岩場にしか見えない場所は気合いも必要です。子どもはサバイバル、サバイバル、と楽しそうに登っています。そんな様子を見ていると楽しそうで微笑ましいのですが、写真を撮る前にどんどん進む子ども達についていくので精一杯。なんとか山頂についた頃には足が疲れきっていました。

山頂からの景色は清々しく、岩場を登った後の火照った体に気温の低さも気にならないほどでした。

登ったら下らなくては帰れません。下りも楽しそうにサバイバル、サバイバル!とはしゃぐ子どもの後をゆっくり気を付けてー!と言いながら下りました。

気軽さの中にも注意を忘れず!

筑波山頂駅まで下り、登る前にめざとく見つけたソフトクリームを美味しく頂いた後、男子川の源流を見た後ケーブルカーで下山しました。

筑波山はケーブルカーもロープウェイもあるので、比較的気軽に、手軽に行ける山です。ですが、山なのでおしゃれな靴より運動靴がおすすめですし、軽装なりにも山は寒いのでそれなりの服装が良いでしょう。

舗装されているとはいえ、道はゴツゴツ、岩場もあります。普段岩場なんて見ない子どもは怖いもの知らずにぴょんぴょん下ります。転んだりしたら小さな怪我ではすみません。小さな岩は揺れることもあるので走らないで!気を付けて!と何度も注意をしました。

どこへ出掛けても怪我もなく笑顔で帰れることが、1番重要なことだと思います。笑顔で帰れるように少しの注意を忘れずに気軽に登山を楽しんでみてはいかがでしょうか。

空っぽの筆箱

新しい筆箱に、キャラクターの鉛筆や消しゴム。新しく始まる小学校生活を少しでも楽しく過ごしてもらえるように、そんな気持ちを込めて入学準備をしました。

小学6年生と2年生の兄弟がいる我が家。初めての小学校生活を迎えた頃のお兄ちゃんは、早生まれなこともありまだまだ幼くとても心配していました。

そんなある日、学校の先生から連絡帳に、筆箱が空っぽなので入れてきてくださいと書かれてきました。全部揃えていたはずなのに、見てみたら鉛筆1本ありません。
ランドセルや手提げ袋に直接入っているものもありましたが全然足りません。お兄ちゃんに、なくさないで、と注意しながら新しいものを入れました。

1学期が終わり小学校で使った物を次々持ち帰って来たときも、今度は色鉛筆がほとんど入っていませんでした。

もちろん、絵の具もひどいものでした。絵の具はバラバラに入っていて蓋がしてないものや、足りないものもあります。パレットは洗われていない状態です。絵の具ケースにも絵の具がたくさんついています。

こんなことが何年も続いていました。

忘れ物やなくし物

たまに教科書を忘れる、なんてことは誰でもあると思います。それでも、学校で気がついて焦ったりするものですが、お兄ちゃんは違います。

忘れ物をして、先生に注意をされてもまた、同じものを忘れていきます。それも、何度も何度も…。先生になくしたの?と聞かれると家にあると言い、私には学校にあると言っていました。こんなことを続けると、先生から連絡がきます。

お兄ちゃんがなくしそうなところを探すと大体見つかります。音楽バックの中であったり、習い事の鞄であったり、ソファの下ということもありました。

あまりの忘れ物に、4年生の頃、2階のお兄ちゃんの部屋に置いてあった教科書をリビングの横の部屋で管理をして私も気がついたら一緒に用意をできる環境を作りました。

また、連絡がくるまで一切わからなかったこともあります。習字の筆がなく1ヶ月近く授業で何も書けていないと…。習字バッグは持っていっていたのでまさかと思いましたがどこを探してもなく、きっと新聞紙と一緒に捨ててしまったのでしょう。

1番驚いたのは、新聞のスクラップの宿題があったのですが、その存在すらお兄ちゃんは聞いていなくて学期丸々やらずに終わるところだったことです。
忘れ物、なくし物以前に話を理解して聞いていなかったのです。
お兄ちゃんと同じクラスのママ友から話を聞いて先生に確認したところ、先生も気がついていなかったらしく、最後の1ヶ月で毎日続けさせることでなんとか1人やらずにすむことは避けられました。

漢字に対する拒否反応

お兄ちゃんは、お勉強が物凄く苦手ということはありません。飛び抜けて出来ることもありませんが、算数に関しても苦手な子どもが受ける特別授業に呼ばれることはありません。
が、しかし、漢字はまったくできません。漢字と言うより字を書くことが苦手です。

漢字のドリルで上の漢字を見ながら練習をするのですが、見ながら書いても線が1本多かったり、点が足りなかったりといったことも良くあります。

学期の最後に校内で行われる漢字のテストでは見たこともないような点数を取ってくることもしばしばありました。その一方算数では満点を取ってくることもありました。

あまりの漢字のできなさに、夏休み毎日漢字練習をさせてみても、休み明けのテストは散々な結果です。漢字の勉強をしすぎて、次の日熱を出したこともありました。

漢字が苦手なせいで、問題に書いてあるものでさえ答えを書く時にひらがなにしてしまい、減点になることもあります。

1つ1つが不安でした

何でこんなに当たり前のことができないのだろうと散々悩み、ママ友にも相談をしていました。
ママ友から見たお兄ちゃんは礼儀正しく素直な良い子という印象で、全然大丈夫だよと言われます。
ただ、毎年担任の先生とは学習についての相談をしていて、お母さんが心配なら1度検査に言ってみるのもいいかもと言われていました。

度重なる不安に、学習障害も取り扱うメンタルクリニックに予約を取り言ってみると、座ってすぐに「この子は大丈夫」と言われました。一応お兄ちゃんのノートを持っていったのですが、先生も少し目にしたものの気にした様子はありません。

先生が言うには、落ち着きがない子は診察室の回る椅子に座ったとたんにぐるぐる回り出すよ。この子は全然そんなことないから問題ない。漢字なんてできなくても大丈夫、と言うことでした。

学習障害もそうですが、注意力がない点でも心配をしていました。今回専門の先生が言うからには何か治療が必要なものではないのかも知れませんが、親としては違和感がぬぐえませんでした。

現在、忘れ物に関しては少しずつ良くはなってきました。もちろん声掛けは欠かせません。鉛筆や三角定規はちょこちょこなくなりますが、低学年の頃ほどではありません。

漢字は相変わらず苦手ですが、これは運動ができない子どもと同じように、ただただ苦手なものとして捉えることにしました。それでも苦手を克服しようと毎日頑張っている姿が見られるようになったことは、大きな前進だと思います。

6年生にしては字が乱れすぎていたり、手先の不器用さなど気になるところは多々あります。最近やっとできるようになりましたが、リボン結びを何回練習してもずっとできなかったこともその1つです。
年齢があがるにつれできることは少しずつ増えてきましたが、参観日に学校へ行き、壁に貼られている子どもたちの新聞を見ているとお兄ちゃんのそれに、不安になることもあります。定規をつかっていなかったり、使っていても曲がっていたり、字の大きさやバランスがおかしかったり。全てが雑だったり。

それでも家でのお兄ちゃんは、よくお手伝いもしてくれるとても優しい子どもです。嫌な顔1つせずにお使いに行ってくれたり、洗濯物を干してくれたりもします。幼さはありますが、自覚を持つことで少しずつ成長はみられます。

これから中学生になり、提出物や宿題などますます大変になります。残り短い小学校生活の間に今より少しでもしっかりできるようにサポートしていきたいと思います。

そして、お兄ちゃんの良いところを褒めつつ、今より少しでもできることが増えるように応援してあげたいと思います。

塾も通信教育も何にもしてません

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。
小学2年生になると、みんなかけ算の九九を習います。お兄ちゃんも学校で習いました。元々字を書くのはものすごく苦手なお兄ちゃんですが、興味を持ったこことを覚えるのは早く、九九も私が教えることもなくいつの間にかできるようになりました。

学校で習うことなので焦ることはないと思いつつ、弟が年中の頃小さい子どもが九九を言えたらおもしろそうと思いたち、嫌がらなければ教えてみることにしました。
この頃の弟は、ひらがなは全然読めませんし書けません。数字も書けません。通信教育も習い事もしてません。
そんな弟が、幼稚園を卒園する頃にはすべての九九を覚えることができました。

3の段と4の段から、そのわけは…

弟は無理やりしなさいと言われても素直にする性格ではありません。もちろん、お勉強だよ、と言って大人しく座っている子どもでもありません。
私が始めたのはママの言った後を繰り返し言うこと。これだけです。ただし、楽しくしなくてはいけません。

先ずは「ねえねえ、年中さんで九九が言えたらかっこよくない?」と持ちかけ、「ママの後言ってみて~」と誘いました。1の段2の段5の段は、小学校で習えばすぐに覚えられるだろうと思い、とりあえず3の段からリズムに乗って言うことから始めました。弟も楽しそうにふざけながら繰り返します。
これを毎日繰り返し、今度は私は答えを言わず「3×1が~」とだけ言い弟に答えを言ってもらいます。答えが言えたらとにかくほめます。「凄いじゃーん!かっこいい~!」とお兄ちゃんと一緒にほめまくりました。
これを毎日繰り返しているといつの間にか3の段を覚えることができました。
この調子で4の段を覚えたあと、他の段はどうしようかと考え言えるなら覚えてもらおうかと思い、6の段を私の後に繰り返して言ってもらったところ、どうにもこうにも口が回らず言えません。思った以上に言えなくて、それがおかしくてお兄ちゃんも交えて皆で笑ってしまいました。
無理やりさせるものではないので年中の時は3の段と4の段を言えたところで終わりました。

残りの九九

残りの九九も覚えていて損はないと、弟と一緒にお風呂に入るときなど繰り返し呪文のように唱えてはいました。

年長になってもひらがなには興味がなく、それならばと数字のドリルを買ってみました。それがとても楽しかったらしく毎日夢中でドリルをするようになりました。

だんだんと口も回るようになり九九の再開です。その頃には簡単な足し算もできるようになっていたので九九の意味を教えながら進めました。

何度も何度も私の後を繰り返すことで、リズムや音の響きとして耳に入っていきます。気分が乗らないときは無理やりやらせないこと、嫌にならせないことに気を付けて卒園までに九九を覚えることができました。

幼稚園から九九を覚えさせるためには、できなくて当たり前。できたら儲けもの。
ほめてほめてほめまくることで自信もつき、楽しく覚えていけました。焦るものでもなく覚えていたら楽だろうなと、気楽な気持ちで始めることが成功への近道だと思います。

2年生の授業で勉強として覚えなくてはいけないときに、お兄ちゃんはたまたま興味を持って覚えてくれましたが苦手な子どももいます。そんな時、親も何でできないの?と焦ってしまいます。

なので、余裕を持ってリズムや遊びとして覚えられるうちに覚えてしまうのも1つの手かもしれません。

溶連菌感染症

お母さん、喉が痛い。と言われて熱が出たら迷わず病院に行きます。何故なら、私は小さい時繰り返し溶連菌感染症にかかっていたからです。

溶連菌感染症は喉が痛むことと、高熱が出るのが特徴です。また、手足に赤い発疹が出たり舌にイチゴのようなツブツブが出ることもあります。

溶連菌感染症はお薬を飲み始めると熱はすぐに下がります。下がってしまえば人に感染ることはないと言われ、病院の先生からも通園、通学の許可が出ます。

ただし、抗生物質を一定期間(5日~10日)飲み続けなくてはいけません。リウマチ熱や急性糸球体腎炎等の合併症を発症する場合があるので、きちんと最後までお薬を飲み続けることがとても大切です。

そんな溶連菌感染症に私は小さい頃よくかかっていたので、母は私が喉が痛いと言い出すと不安になり、毎回病院へ連れて行ったと言っていました。3種類ほどの大きさの違う錠剤の薬をよく飲んでいた記憶があります。

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。お兄ちゃんが溶連菌感染症にかかった時と、私の時の症状を比べてみたいと思います。

実際の症状は

お兄ちゃんが4年生の時に、夜、喉が痛いと言い出しました。普段風邪はひかないもののアレルギー性鼻炎持ちのお兄ちゃん。鼻がぐずぐずすることはあっても喉が痛いと言うことはめったにありせん。珍しくお兄ちゃんから喉が痛いと聞き、溶連菌感染症を視野に入れ、まだ熱がなかったのでその日は就寝させました。
次の日の朝、まだ痛いか聞いてみると凄く痛いと訴えます。熱も出てきたので学校を休ませて弟を幼稚園に送った後病院へ行きました。
診察をしてもらうと、予想通り喉が真っ赤に腫れていると言われ溶連菌感染症の検査をすることに。結果は陽性でした。
これだけ腫れてたら食べるときも痛いでしょ、と言われましたが、いつもよりは食欲がなかったものの全然食べられなかったわけでもないお兄ちゃんに、私の方がびっくりしました。

と、言うのも私が小さい時溶連菌感染症にかかって1番辛かった事は、我慢できないほどの喉の痛みでした。つばを飲み込むことも苦痛なほどで、ティッシュを噛んでつばを吸わせて捨てていたほどでした。熱のだるさと喉の痛みで何かを食べたいなんで思いもしません。水も痛くて飲めず、唯一口にできたのはイチゴミルクの飴だけでした。

その一方ママ友の子どもは喉は少ししか痛くなかったものの、兄弟が溶連菌感染症になり検査を受けたら陽性だった、ということもあったようです。同じ溶連菌感染症でも程度は様々なことを知りました。

お兄ちゃんの熱や喉の痛みは処方薬の抗生物質を飲んで次の日には治まっていました。

その後

その後10日間程薬を飲み続け、2週間後に合併症の検査をするため病院へ行きました。溶連菌感染症はすっかり治っていて、採尿をして結果を1週間後、お兄ちゃんはいなくても大丈夫なので聞きに来てくださいと言われました。

ところが検査結果を聞きに行く前日またもやお兄ちゃんから喉が痛いと言われました。半分諦めながら次の日病院へ向かいました。

前回の結果は全て陰性で治っていますと言われました。でも残念なことにまた新たに溶連菌感染症にかかっていることを伝えられました。

その後、また10日程抗生物質を飲み続け、2週間後に検査へ行き、1週間後の検査結果でやっと通院が終わりました。

2回目の溶連菌感染症でも、何も食べられないほど喉を痛がることもなくすみました。

お兄ちゃんは普段痛みに弱いので我慢して痛くないと言っていたわけではなく、本当にそこまでひどい痛みではなかったようです。私の時と比べるとその症状の軽さを軽視せず、見落とさなくて良かったなと安堵しました。

これからの季節は色々な感染症が出てきます。自己判断をせずに、すぐに病院に連れていくことが大切だと実感した出来事でした。

子どもはかわいい、だけじゃない!

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。

今は母が遠くの県から引っ越しをして近くに住んでいます。偶然にも姉も車で30分の所に家族を持っています。そうなる前の、弟が生まれるまでの3年半、寝ても覚めても私の生活のすべてはお兄ちゃん一色でした。

意思表示を激しくするようになって来た魔の2歳児。ただ泣くのならまだいいのですが、声が元々高いお兄ちゃんは超音波のように泣いていました。
どんなにかわいい我が子でも、魔の2歳児のわがままと超音波の泣き声には静かにして!となってしまいます。
余りにもイライラしてしまうときは、1度冷静にならなくてはと2人きりの空間から逃げ出しトイレへ移動したり、2階へ登ってみたり…。でも2歳を長い間1人にはできません。

子どもはもちろん大好きなのに、常に向き合っているとかわいいだけじゃいられないですよね。

朝も外へ。お昼寝後も外へ。

お兄ちゃんが歩き出す前から朝は公園へ連れていっていました。お砂場でちょこんと座らせ一緒に遊ぶことくらいしかできませんが、お兄ちゃんの楽しそうな顔を見るだけで幸せでした。

そんな小さな頃から毎日公園へ行っていたのでお兄ちゃんは日課のように公園へ行きたがります。魔の2歳児になっても遊べば満足で帰る時もすんなり素直に帰ります。
朝いっぱい遊んだお兄ちゃんはお昼を食べたらぐっすり2時間は寝てくれました。

このお昼寝の2時間がゆっくり1人になれるとても大切な時間でした。コーヒーを飲んでゆったりと本を読んだり邪魔をされずにテレビを見たり。なるべくお兄ちゃんを起こさないように静かに過ごす、私のストレス発散の時間でした。

なので、このお昼寝をいかに1人で家で過ごせるかが勝負でした。いっぱい遊んで疲れてベビーカーで寝てしまっては大変。寝ないように声をかけながら急いで帰ることもありました。

お昼寝の後はよく機嫌が悪くなるのでまた外へ連れ出します。外へ行くことでお兄ちゃんのストレスもなくなり、私もイライラしないですみました。

毎日外へ行くことでスーパーの店員さんや薬局のお姉さん。個人商店の人など声をかけてくれる人も増えました。

お昼寝後もまた外に出るので、夜も早い時間に寝る習慣もつきました。

子どもが好きでもストレスは別物。

お兄ちゃんが歩けるようになった時に知り合ったママは、本当に小さいうちから思い通りにいかない子どもにストレスを感じていたと話していました。

魔の2歳児の頃に撮った写真を見返すと、寝ている写真が多くありました。日中、話の通じない泣きまくり怪獣のお兄ちゃんに怒ってしまった夜、その寝顔を見て反省して、寝ているときは無条件でかわいいのにと撮っていたものです。お昼寝の写真もいつくもありました。

子どもと1対1で向き合っているとかわいいところは物凄くかわいく見えますが、わがままなところも物凄くわがままに感じてしまいます。

そのわがままに対してイライラしてしまう小さな自分にまたストレスを感じてしまうのです。

お兄ちゃんがイライラしなければ私もイライラしなくてすむので、その最善策が外へ行くことでした。そしてお昼寝の短い時間でも1人になれる時間を持つことで心をリセットすることができました。

子育てのストレス発散法は、自分に合った方法を見受けることが大切です。子どもと一緒に通うヨガなどもありますが、人見知りな私に必要なのは1人になれる時間なのでそれは当てはまりません。

子育てのストレスは本当に辛いです。いっぱいいっぱいで泣きたくなることもあります。どうしてこんなにわがままばかり言うんだろうと思うことばかりです。なんで周りのママのように上手に笑ってあげられないんだろうと反省することもよくあります。それでも、どんなに怒っても子どもたちはママが1番好きと言ってくれます。

怒らないことは難しいです。なので、なるべく怒らない環境を作ることでストレス回避できるようにしていきたいです。

雨だけど…

我が家には小学6年生と2年生の兄弟がいます。お兄ちゃんは歩けるようになる前からほぼ毎日朝から公園へ遊びに行っていました。

雨の日、公園へ行けないお兄ちゃん。家でおもちゃで遊んだり、テレビを見ては見たものの、だんだんお外へ行きたくてソワソワしてきます。
このままではお外へ行きたい思いが爆発してお家怪獣が出てきてしまいます。
そんな時は、雨の日のお散歩へ出掛けます。

レインコートでトコトコと

まだ2歳前のお兄ちゃん。傘は重くて上手にさせません。なのでレインコートを着せます。家の中で黄色いレインコートを見せるとお兄ちゃんも嬉しくてニコニコご機嫌になります。カサカサと音のなるレインコートと長靴にとっても満足顔のお兄ちゃん。いざ外へいくとレインコートにあたる雨の音にテンションがどんどん上がっていきます。

近くの緑道へ行く道をトコトコト。少し歩いては立ち止まり、水溜まりを見つけてパシャパシャ入っていきます。
夏には毎日水遊びをした水の流れていた溝にも楽しそうに入ります。濡れちゃいけないなんて、そんなのお構いなしにしゃがんだり座ったり自由に動き回ります。

帰る頃には自由に座ったお尻は濡れて、パシャパシャ水溜まりに入った長靴の中も濡れています。それでも1時間ほど歩くと大満足で大人しく帰ります。

傘がさせるようになったら

少し大きくなったら、雨の日は傘をさす練習をするチャンスです。長い時間は上手にさせないので、お散歩をしながら近くのスーパーに向かいます。
2階の薬局で買い物がてら仲良くなったお姉さんとお話をしたり、売り場を邪魔にならないように歩きます。開店直後のスーパーの2階はまだ人がそれほどいないので色々な商品を見ながらこんなのもあるね、あんなのもあるね、とお話をしながら見て回ります。

一通り2階を見終わったら薬局のお姉さんにまた来るね、と挨拶をして1階のスーパーへ。お買い物をしてからここでも知り合いの店員さんに挨拶をして帰ります。

帰宅までの短い道を傘をさして、前向いてね、傘まっすぐさしてね!といいながら歩きます。途中立ち止まり傘にあたる雨の音を聞いたり、雨が弱くなっていたら傘をたたんで、傘を引っ張りながら道路に擦れる音を楽しんだり。簡単には帰りませんがそんな雨の日も楽しい思い出です。

雨の日の外

雨の日はママも子どもも楽しくお外で遊べないのでストレスが溜まります。 車があればいいのですが、運転ができない私は、当時の移動手段がベビーカーか歩きのみでした。なので雨の日のお出かけは歩くしかありません。

普段から毎日外へ行き、お散歩も大好きなお兄ちゃんなので安全な道を選んであげることで、私もいちいち注意をするストレスもなく見ていられました。

レインコートを着ても、長靴を履いていても、傘をさしていても小さな子どもなので自由に歩けば濡れてしまいます。雨の日なのに洗濯物も増えて大変ですが、嬉しそうにしている姿を見ると、まあいっか、と思えます。

時にはカタツムリを見つけたり、アメンボを見つけたりと楽しい発見もありました。

現在はお兄ちゃんと一緒にお出かけをしても当たり前のように普通に傘をさして歩きます。もう、小さい頃のようにニコニコ雨の音を聞いたりすることもありません。
少し大変ですが、小さい子どもとの雨の日のお散歩は、私にとっても楽しい思い出となりました。