すべて手作りの離乳食

離乳食が始まって、できるだけ手作りでやっていけたらなと思っていました。
絶対離乳食は手作り!市販なんてダメ!なんてことはなく、必要であれば市販も使ってみようとやんわりな育児方針でした。結果的に2人の息子たちはすべて手作りの離乳食で成長しました。

この話をすると、全部手作りなんてすごい!偉いねー!なんて言われますが、全然偉くありません。今は市販の離乳食のほうがいろんな栄養素が含まれているとか、衛生的にも良いという見方もあります。

なぜ料理嫌いでズボラな私が手作り離乳食で育てることができたのか。

大量生産、大量冷凍

初めのころは育児書やママ芸能人のブログを見て1回分ずつ作れるヘラ、こしき、すり鉢などがセットになった離乳食セットを使っていましたが、毎回作るのは面倒!早々に1回に何週間分も作って製氷皿やジップ袋、小さめのタッパーに小分けして冷凍。裏ごしは面倒なのでミキサーで一発!離乳食のステップアップするたびに具材をかみやすいような大きさにしたり、食材を増やしたりして冷凍しまくっていました。

おかげで冷凍庫はパンパンでしたが、毎回電子レンジでチンするだけ。水分量が多いときはとろみちゃんを入れて再加熱。そうすれば食べやすい硬さになりました。

手づかみ食べも大量冷凍

手づかみ食べが始まると、汚さず自分で食べられるものを研究して作り置きしていました。

小さなおにぎりよりもパンのほうが汚れないので、ホットケーキミックスや蒸しパンに野菜ペーストやそぼろ、しらすを入れたり。野菜はおやきにしたり。卵焼きにも具材を入れ込んで焼いたら、一口サイズに切って残りは冷凍。外出するときはすべてチンしてタッパーにつめれば準備も楽ですし、出先でも汚しにくい。
市販よりも食べさせやすいですし、買いに行く手間も無いので楽でした。

野菜ペーストが無いときはコープで売っている野菜がペースト状になって冷凍してある野菜キューブが便利でした。野菜は時期で価格が変動しますが、野菜キューブはいろいろな野菜が入っているので経済的にも良く手間無し。特に2人目が産まれてからは出かけざるを得なかったので、この方法で乗り切りました。

無理をしないことが1番

私は結果的に離乳食をすべて手作りすることができましたが、幼稚園に入園したとき特別うちの子が大きいというわけでもなかったですし、給食を残さず食べるというわけでもなかったです。

むしろ野菜が大嫌いで給食はいつも居残り。家でもかなりの偏食です。
頑張って手作りして、いろんな食材食べさせたのになと思うこともありますが…。アレルギーや命に係わる誤飲など最低限のことさえ気をつけていればそんな肩に力が入っていなくとも大丈夫だと思います。

何よりお母さんが離乳食をこの時間に絶対に食べさせなきゃ!と怖い顔して構えているほうが疲れてしまいます。

母性を産み落とした出産

初めての妊娠で葉酸サプリメントを飲む、腹帯をつける、アルコールやなまものを控えるなど。
妊娠して初めて知ることばかりでかなり戸惑いました。自分の人生の中でこんな自分自身に制限を課したのは初めてです。

もちろんつわりも人並みに苦しみましたし、お腹が大きくなって足がつったり動きにくくなったり。今まで普通に過ごせていたことが全くできなくなって、早く妊娠期を終えたい!早く赤ちゃんを産みたい!と早く産むことを考えていました。
いざ出産になると陣痛はめちゃくちゃ痛いし鼻からスイカどころの話じゃない・・・。そう思いながら何時間も痛みに耐えて無事出産することができました。

赤ちゃんは宇宙人

いろいろな不便や苦しみを乗り越えて、最後の最後で最大の痛みを伴って産んだ赤ちゃん。
友達からダンプに轢かれた時の痛みと言われていましたが、きっとダンプに轢かれて生きていたらこれだけ心身ともにダメージを受けるのだなと思いました。そしてなぜか私は産んだ瞬間、もうこれで痛い思いをしなくていい、お腹に赤ちゃんがいないから自由だという気持ちでいっぱいで、我が子のことなんてこれっぽっちも考えていませんでした。

それからが地獄の日々の始まりでした。
おっぱいが張って鋼鉄のように固くなり痛みで一睡もできず、母子同室で泣くか寝てるかの赤ちゃんに戸惑い、何もできないまま退院。母乳は自然と出ると思っていたのに全く出ず、ほぼミルクで育てることになりました。

暗黒の育児

母乳がでないことに母親失格だと自分を責め、人に大きいねーと言われればミルクのあげすぎだと落ち込んだり。離乳食は全部手作りしなければ!と育児本通りのスケジュール、レシピを守り・・・。
起こす時間、寝る時間、ご飯の時間を毎日同じにして生活リズムをつけてあげなくちゃと、外出することも億劫になりました。

何もかもちゃんとやらなければ母親失格だと自分を追い込み、少しでも上手くいかないと落ち込んだり主人に八つ当たりしたりしました。
日中2人きりで赤ちゃんが泣き止まないとき、ベランダから2人で飛び降りたら終わるのかなとふとよぎったことがあります。

このとき私は産後うつだったのだと思います。それ以来、死ぬことだけは考えてはいけない!と毎日必死に頑張りました。

周りの協力が必要

私の場合、義両親との関係は良くないので頼れませんでしたし、実母は精神的な病を患っていた為、助けてほしいと言えませんでした。

すべてが初めての育児で誰にも頼ることができず、新生児相手にどうすればいいのか分からず毎日暗黒の育児をおくっていました。

当時は本当に本当に苦しかったです。
その時は我が子を愛せず、ただ母親の義務として育てていたのでいつしか笑うことも忘れ、寝ているわが子を見ながら毎日自分が泣いていました。

きっとあと少しで虐待や育児放棄、無理心中など悲しい結末になっていたのかもしれません。
これから出産をする妊婦さんたちは私がやらなきゃと1人で抱え込まず、どうにかして周りの人に頼ってほしいです。市町村のサポートや助産師外来など、身内以外にも助けを求めることができますからね。

待ち時間がつらい

子どもがいると病院の待ち時間や手続きの待ち時間、外食した際の食後の時間など。
たった少しの時間でも子どもは待っていられません。キッズスペースや子ども用に塗り絵や絵本などが準備してあればまだ何とかなるときもあるのですが、無いところでは?子どもが2人いたら1台のスマホを取り合うし、相手をしていると自分のやりたいことが終わらない。

しかも出先でそんなことが起こると用事を済ますこともできない、イライラして大変です。

手帳+ペン+シール

子どもが1人の時は手帳に予防接種や園庭開放のスケジュールを書き込んで管理していました。
あるとき子どもに、大事なスケジュールが書いてある手帳に落書きされてスマホでスケジュールを管理することにしたのですが、子どもって大人が使っている物を使いたがりますよね。
こっちに白い紙があるからこっちに書いてよ!とか、なんでわざわざママの物で書きたがるの!とか。最初はイライラして取り上げていましたが、最終的にあきらめてスケジュール帳は子どもの落書き帳に。しかも外出先限定で使わせることにしました。

また、病院やいろんなところで無料でもらえるシールをためて、待ち時間には手帳に絵を描いてこれなーんだ?とか、枠をたくさん書いてここにシールを貼ってねとか、自由にお絵かきしていいよと使わせていました。

市町村で行われる集団健康診断で息子とシール遊びをして待ち時間を過ごしていたら、隣の子もやりたいと言って一緒に遊んでいました。

折り紙+クレヨン+シール

手帳にはページ数に限界がありますし、範囲が小さい。
最近はジップロック袋に折り紙数枚、クレヨン、シールを入れて持ち歩くようにしました。折り紙は折って遊べる、裏に落書きして遊べる。
クレヨンは先をしまったり出したりできるもので、ペンだとどこかに落書きしてしまわないかとかペン先でケガしないか心配だったのでクレヨンにしました。
シールは相変わらず無料でもらえるものをコツコツためて、時間をつぶしたいときに「さー!好きなだけシール遊びしていいよー!」と使わせます。

3歳ぐらいまではシールを貼ったり落書きしたり、大きくなると自分で折り紙折って見せてくれたり、お手紙を書いたりしています。

初めての旅行で助かった

4歳と2歳の子どもを連れて1泊2日の初めての泊りで旅行へ行ったのですが、古風な温泉旅館で子ども用のおもちゃやキッズスペースがないところで、しかも部屋は障子がある和室。
多少のおもちゃは準備していったのですが、おもちゃはすぐ飽きてしまって部屋の中を走り回る子どもたち。

料理はお部屋食にしていたのですが、少し食べては走り回って遊び、部屋の備品に興味津々。とても冷や冷やしたのですが、こんなとき折り紙とクレヨンが役立ちました。

紙飛行機を折って飛ばしたり、旅行の思い出を話しながら絵を描いたり。おもちゃよりも時間がつぶせました。子どもの性格によっては折り紙やお絵かきのような細かい作業が得意ではない子がいると思いますが、我が家にとってはマストアイテムです。

幼稚園選び

私の地域では幼稚園の選択肢は3つしかなく、同じ系列の私立幼稚園が2つ、公立幼稚園が1つになります。
公立幼稚園は定員数が少なく遠いので、私立幼稚園のどちらかしか選択肢はありません。私は体験や見学に行って、施設がきれいで先生方の印象が良い地域一番人気の私立幼稚園に決めました。

この時は願書のことを全く気にせずに・・・。まずはどうやって入園するのか、入園願書をもらう方法、時期を調べました。テレビやネットの記事で都会は有名私立幼稚園に我が子を入園させるために習い事をしたり、面接をしたり、親が情報収集をしたりしているようなことを聞いたことはありましたが、まさかこんな田舎はないだろと軽く考えていました。

(あくまでも私の地域でのお話しです)

どんどん不安になる願書

しかし、一番人気の私立幼稚園は入学願書をもらうために前日の深夜から並ばなくてはいけないことがわかりました。

これで願書が貰えなかったら幼稚園に入れないのかな?とか、第一希望の幼稚園が入れなくて次の幼稚園の空きはあるのか?とか不安でいっぱいでした。どの幼稚園も入れなかったら一体どうしたらいいのか・・・わからないことだらけです。
当時ママ友なんていなかったので、習い事で一緒になったママに何時に並ぶ?とか前年はどうだった?とか、いろんな人に聞きました。幼稚園無償化の影響もあり、満3歳児クラスは願書だけでも事前に定員の3倍以上の配布をしたそうです。我が家も希望は満3歳児クラスです。

早朝から並んだ願書受付

願書受付開始当日、早朝主人に1人で並びに行ってもらいました。朝5時の時点で主人の前には50人ほど並んでいて、後ろには10人ほど並んでぞくぞくと人がやってきます。

暫く経つと満3歳児クラス希望か年少希望かの確認を職員の方が聞きに来て、満3歳児クラス希望の人は旦那の少し後ろで締め切られ、入れなかった人は帰っていきました。
9時ごろに私と子どもは主人と合流しました。整理券番号がラストから二番目だったのでだいぶ待ち時間はありましたが、無事に願書を提出することができました。

ちなみに先頭に並んでいた人は深夜ではなく前日の夜から並んでいたそうです。お受験なんて都会の話だと思っていましたが、こんな田舎でもそんなことがあるんだなとびっくりしました。

初めましての言葉

妊娠するまで読み方も言葉も全く分からなかった言葉、会陰切開。
妊娠して出産ってどんなことをするんだろ、どれだけ痛いんだろうと調べていくと会陰切開という言葉が何度も登場しました。

会陰切開とは出産の際、赤ちゃんが出てこれるよう会陰を切ること。

聞いただけでも絶対痛い!と恐怖でいっぱいでした。むしろ個人的には出産の恐怖よりも、会陰切開の方が怖くて仕方なかったです。出産が近づくにつれ、会陰切開の恐怖はどんどん大きくなり、バースプランにできれば帝王切開と会陰切開は避けたいと書き、助産師さんのカウンセリングでも会陰切開はしたくないですと訴えました。

いざ出産!会陰切開するのか!?

とうとう陣痛がきて、病院へ。
陣痛の感覚も短くなりすぐに分娩室へ移動しました。その時も私の頭の中は会陰切開のことで頭がいっぱい。
事前に切開を避ける方法として会陰にオイルを塗ってマッサージするとか、会陰を自分で伸ばして柔らかくするとか調べましたが、会陰部分を見るのも怖くて何もできませんでした。

いよいよ助産師さんから産まれますよとの言葉が。そのとき私の陣痛の痛みがピークで頭が真っ白でした。産科の先生が登場し、周りが急に慌ただしくなりました。痛すぎで会陰切開のことを忘れていたら、先生が「じゃあ切りまーす」と一言。

その瞬間、会陰切開だ!と我に返ったのですが、一瞬のことすぎて怖い!痛い!と感じる余裕がありませんでした。それよりもその前の麻酔のほうが痛かった・・・。

私の会陰が・・・

切った瞬間、音はしなかったもののジョキっと切られた感覚はありました。でも麻酔が効いていたので痛みは無く、陣痛といきみのほうでいっぱいいっぱいだったので、会陰切開自体は平気でした。

それよりも産まれた後の会陰切開を縫う作業のほうが、出産という大役を終えた自分の体に追い打ちをかける地獄の時間でした。

1か月ほどは会陰切開の傷がヒリヒリしてトイレに行くことや座ることがつらかったです。そして産後1か月検診で先生から陰部にばい菌が入って腫れて化膿していると言われ、処置をされました。
結局その件もあって会陰の痛みは産後2か月ほど続いたのですが、なぜばい菌が入ってしまったのか私には心当たりがあります。

真冬に出産したのでどうしもお風呂にゆっくりつかりたかった私、産後1か月は湯船に入ってはいけないと書いてあったのに退院後から普通にお風呂に入ってしまったのです。反省しています・・・・。

うちの子だけ?

子どもが2歳半になったころ、トイトレを始めました。まずは形から入ろうと思って、おしゃれな踏み台を買ってみたり、補助用便座をリサーチして選んだり、トイトレが成功したらシールを貼れるよう張り切って準備しました。

まあ、幼稚園に入るまでには取れるだろう。ほかの子と同じように・・・。初めは安易に考えていましたが、後に私を精神的に追い込むことになります。

一度も成功しないトイトレ

習い事でスイミングに行っていたのですが、周りの同じ歳の子たちはみんなパンツ。
スイミングが始まる前にトイレに行ったり、スイミングの途中でもトイレに行きたいと言える子ばかりでした。

そんな子どもたちの横でオムツを変える惨めさ。とにかく私はみんながパンツなのにうちの子だけオムツで母親失格だと毎回落ち込むようになりました。トイトレの本を買ってみたり、家でパンツの練習をしたり。一度も成功したことないのに失敗したら怒る。

当時はみんなと同じようにパンツにしなきゃ、幼稚園入るまでに絶対取らなきゃという焦りでいっぱいいっぱいでした。

先生任せのトイトレ

とうとうトイトレが一度も成功しないまま幼稚園に入園しました。

うちの子だけオムツで恥ずかしい、ちゃんと育ててない親だと思われる。担任の先生にオムツのことを話すのすら申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
年少入園時、クラスでオムツをつけているのが我が子を含めて数人のみ。不安でいっぱいでした。先生に言われた通り、オムツ、パンツ、ズボンを毎日何枚も持たせ、間に合わないときは幼稚園の着替えを借りて帰ってくることも多々ありました。

しかし、1か月もするともうオムツと着替えは必要ありませんよと先生から言われました。気づいたら1か月ほどでトイトレ完了、しかも夜中のおねしょも無し。

あっけなく先生の手を借りてオムツを卒業できたのです。

無理をしない

先生に任せっきりでトイトレを卒業したことに罪悪感を感じています。
もちろん家でできることはやりました。でも、幼稚園までにオムツを外さなきゃ、周りの子はみんなパンツでうちの子だけ恥ずかしい、オムツが取れないのは母親のせいだと自分を追い込んでいたときは精神的に苦しかったです。

人の子ばかりがよく見えて自分の子に強く当たってしまった。反省しています。

今にして思えばオムツが取れるタイミングなんて人それぞれで、いつまでに!絶対に!と思い込まないことが必要だったんだと思います。

そんな私だから言えるのですが、どうしてもダメならプロに任せるというのも一つの手ではないでしょうか。

2回目の出産にして初めての破水

私は3回の出産を経験しています。1人目は陣痛からの自然分娩、3人目は無痛分娩。中でも、2人目の急な破水は一番焦りました。
予定日の2週間前、産科の先生から計画分娩を勧められました。主人は出張や残業で家にいないことが多く、私と当時2歳の息子と2人きり。
実家や義実家の助けがないので陣痛タクシーしか頼りがなかったのです。そんな私の事情をくんで、先生は計画分娩を提案してくれました。
まずは子宮口をぐりぐり刺激して陣痛を促し、それがダメなら陣痛促進剤を投与して産むというもの。当日、すべての準備を万端にして病院へ行きました。

破水をしたら?

病院の待合で名前が呼ばれ、ドアを開けた瞬間におしりからバシャっと何か出た感じが。尿漏れにしては多いなくらいに思っていたら・・・。一歩ずつ歩くたびにおしりから何か出てる!それもものずごい量。自分の意志ではコントロールできない!なんとか診察室に入ると下半身はびしょびしょでした。

先生に「破水したみたいです」と言って内診すると、「破水してますので入院です」と、すぐに入院する部屋へ。分娩室の準備もバタバタと行われ、入院着に着替えて分娩台へ。
陣痛促進剤を投与され、最初は全然平気だったのですが、促進剤の量を増やした途端ものすごい痛い陣痛が。促進剤は点滴で体の中に入っていくので、痛くて痛くて点滴の管を引き千切りたいぐらい辛かったです。

いろんな出産

破水が先の場合、羊水が出てしまうとお腹の赤ちゃんが危険な状態になることもあるので即入院して早めに産まなければなりません。

促進剤のおかげで陣痛がきて、マックスな状態で数回いきんで出産できました。
経産婦だったので初産よりも早くでてきてくれました。ただ、何回出産してもお産は痛い!1人目を出産したときは産まれる直前で先生が破水させますねと言って風船が割れたようなパシャ!という感覚が体の中にあって、それからいきんで出産しました。

破水が先になるなんてこと思っても無かったのですが、他の方の出産体験を読んでいると思わぬところで破水してしまったという人が結構いて、運良く病院で破水して良かったなと思いました。

27歳、初めての出産

情報はほぼネット

結婚して数か月後、初めての妊娠が発覚。
そもそも生理が遅れてもしかしたら?と思ったらどうすればいいのかも分かりませんでした。それからはとにかくネットで検索する日々。妊娠検査薬はいつから使えるのか、どんな種類があるのか。妊娠が判明したらどんな生活をすればいいのか、母子手帳ってどうやって貰うのか。

周りに出産経験がある親族や友達がいなかったので、ネットの情報だけが頼りでした。出産準備品もネットで予習してから赤ちゃん用品店に通ってチェックして、予定日の何か月も前から少しずつ買い揃えました。

これが陣痛?

いよいよ臨月に突入。産婦人科で全く赤ちゃんが下がってきていないので、運動してくださいと注意されてしまいました。なので週2でこんな激しい運動してもいいのか?と不安になりながらもマタニティビクスに通いました。

予定日の3日前にマタニティビクスを行った夕方、お腹がチクチクするなという感覚が。おなかの調子が悪いのかな?と夕飯の準備をしていると、だんだんチクチクする感じが定期的にくる。しかも強くなってる?まさかこれが陣痛?不安でパニックになりました
。とりあえず紙になんとなくお腹に違和感を感じた時間を書き出すようにして、荷物を準備したり、お風呂に入ったり。旦那の帰宅を待ちました。

安産でした

お腹にチクチクした痛みを感じてから12時間。事前にネットで陣痛が弱いと一旦帰宅させられるという情報を見ていたので、ものすごく家で耐えました。陣痛ってこんなに痛いの!?じゃあ出産ってどれだけ痛いんだという恐怖と、陣痛が痛すぎて早く解放されたいという思いで一睡もできず、とにかく時計を見ていました。
13時間が経ち、感覚が短く安定してきたので病院に電話をかけて朝方産院へ。助産師さんにはいい感じの痛みだねとお褒めの言葉をいただきました。
そこからはもうバタバタで。着替えて、いろんなものをつながれてベットに横たわり、陣痛の痛みで野垂れまわり、いきんで、いきんで、はいおめでとうございますー。病院に着いて4時間ほどで産まれました。会陰切開は絶対したくないと怯えていたのですが、陣痛が痛すぎて「はい切りまーす」なんて言われても嫌だ!なんて思う余裕すらありませんでした。
ネットの膨大な情報ばかりに支配されていた私ですが、産むときはすべてが流れ作業で過ぎていく。産院におまかせするしかないんだなと思いました。

出産を終えて

初めての出産で周りに相談できる人がほとんどいない状態で、ネットの膨大な情報ばかりに支配されていた私ですが。いざ産むときはすべてが流れ作業で過ぎていく。産院におまかせするしかないんだなと思いました。

妊娠、出産は本当に大変で怖いし、痛いし、辛い。でも案ずるより産むが易しで、信頼できる産院で身を任せれば大丈夫でした。

小さい子はなかなかマスクをつけてくれない

私には3人の子どもがいますが、年長の長男はマスク嫌だーと言いながらマスクをちゃんと毎日つけて幼稚園へ行ってくれます。2歳の次男は全くダメ。一瞬つけてくれるものの、耳の違和感が嫌ですぐ外してしまいます。保育園でもクラスの1~2人程度しかマスクをしていません。むしろこんな小さい子がマスクをできるなんてすごいなと思います。

年少さんのマスク事情

長男も年少さんのときはマスクを嫌がりました。最初は百均で買ったキャラクター柄の使い捨てマスク。当時大好きなキャラクターだったので、これだったら日中もつけてくれるだろうと朝装着して幼稚園へ。
しかし、帰ってくるときにはカバンの中やポケットの中。しかもほとんど汚れやしわのないきれいな状態で持って帰ってきました。

インフルエンザが猛威を振るっていたのでどうしてもマスクをつけていてほしい!いろんなキャラクター柄の使い捨て市販のマスクを試したけどダメでした。ちなみにコロナウイルスが存在していないときの冬、年少さんでマスクをしているのは半数以下でした。

最終的にいきついたのは

市販のマスクは毛羽立ってたり、肌へのアタリがちくっとしたりして大人でも嫌な時ありますよね。

そこで私はガーゼ生地とマスク用の紐を買ってきて手作りすることに。形もただ四角いだけのマスクだとおしゃべりしたときにずれやすいと思い、立体マスクの型紙を購入しました。
すると、いままで全くしてくれなかったマスクを日中でもしてくれるようになりました。
立体マスクはずれにくく、息がしやすいですし、何より手作りだと洗うたびに布が柔らかくなって着けやすくなります。

今はコロナウイルスでなかなか材料が手に入りにくいと思いますが、ハンカチやガーゼで代用したり、紐はゴムではなく結ぶものや伸びる生地で代用して、ぜひ手作りマスクを子どもにつけさせてあげてほしいです。

作るのは難しい人は通販やマルシェ、裁縫の得意な人にお願いするなど検討してみましょう。

3人目にして初の無痛分娩

1人目、2人目を普通分娩で出産。3人目は無痛分娩を選びました。

3人目にして無痛分娩を選んだわけ

Photo AC

1人目、2人目は普通分娩で産みました。

そこの産院では無痛分娩をやっていないので、3人目妊娠発覚時に転院しました。
無痛分娩にした1番の理由は楽に産みたい!ってこと。
命かけて産むのに楽したいなんて言語道断でしょうけど。
海外の先進国はほとんど無痛だし、痛くてなんぼなんて古いと思います。

今回の産院の先生も、「産院の周りは土地柄外国人の患者さんが多く、海外は無痛分娩が当たり前だし、日本は仏教文化だから痛みを伴って産むと言う考えが一般的だからね。」と言っていました。

もちろん不安要素もあります。
無痛分娩で障害が残ったとか、亡くなってしまったというニュースをいくつか見たことがあるので怖いことは怖いです。
実母も本当に大丈夫なの?と心配はしていました。
普通分娩でも無痛分娩でも帝王切開でも万が一ってリスクは少なからずどこでもあると思っているので、病院を信じて覚悟を決めてます。

無痛分娩をしてみて

Photo AC

計画無痛分娩の予定でしたが、その日程よりも前に陣痛がきてしまい急遽病院に行きました。

その時は子宮口3センチぐらい。
ただ、経産婦はお産の進みが早いので、その時点で無痛分娩できるかどうかは先生のジャッジで決まります。
麻酔をしてもお産が早かったり、破水してしまえば麻酔が効く前に問答無用で分娩が始まります。

私の場合、赤ちゃんがスロースタイルで陣痛が何度も引っ込んでしまって進みが遅かったので無痛分娩できることに。

病院によりけりかもしれませんが、私は手術室に下の下着だつけて移動。
手術台に座った状態で顎を引いて背中を丸め、背中に消毒、麻酔、針、管を入れました。
かなりの恐怖でしたが後ろは全く見えないし、麻酔は点滴や採血と同じようなチクッとする痛みなので思ったより大丈夫でした。
それよりも麻酔を入れる管を入れる違和感の方が変な感じでした。

背中の管をテープで固定して再び分娩台へ。
約2時間半ぐらいかけて下半身の感覚が無くなっていき、後半それに合わせて促進剤を入れて陣痛を促す。
悶えるほどの陣痛の痛みは無かったです。
痛みはあるものの、普通に会話できるぐらいの余力はありました。

子宮口がほぼ全開になって、赤ちゃんがおしりの方にぐいぐい降りてくる感覚がきて、こっちもいきみたくなってきたら一気にお産!

やはりそこは痛い!
楽なお産なんて無いんです。

でも数回いきんでスルッとでてきたのは、今までのお産にない速さ。
かなり早かったです。
普通分娩に比べたら身体に余力があります。
今までで1番楽ではないけど、負担の少ないお産でした。

その後の胎盤を出したり縫ったりとか処置は同じですが、麻酔が効いてる分普通分娩より痛みはマシだと思いました。

陣痛の痛みで暴れすぎて汗びしょびしょになることもないし、産後疲れすぎて放心状態になることもないし。

ただ、麻酔が無くなるまで時間がかかるので、個人差もありますが私がベッドから自分の足で降りれたのは6時間後ぐらいです。
途中立つことにチャレンジしたら、全く足が言うことを聞かず膝から崩れ落ちました。
その時初めてこのまま下半身の感覚が戻らなかったらどうなるんだろうと、大きな不安に襲われました。

全く痛くないお産ではないけど、体力は温存できるという印象です。
普通分娩と無痛分娩両方体験して、どちらがいいかと言われたら無痛分娩かなと思います。

無痛分娩を終えて

退院後すぐに、上の子たちの世話があった私にとって無痛分娩は良い選択でした。

無痛分娩での事故とか怖いなって思ってましたけど、お産はどの方法にしろ命がけのことであって。
海外では無痛分娩は一般的で、日本でもちゃんとリサーチして信頼できる病院を選べば全然良いと思います。
私の場合、この病院で無痛分娩した友達にいろいろ聞いて納得した上で転院しました。

何より産前産後の母体の疲労感が全く違う!
個人差はあると思いますが、私は退院後すぐに家事と育児を開始できました。
無痛分娩が日本でも広まれば費用も抑えられ、実施する産院も増えると思います。
まだまだ日本では浸透してない方法なのでネガティブな印象も多いと思いますが、私はやって良かったです。