まさかの切迫早産体験談

順調だったはずの妊婦生活

こんにちは。ママライターbellです。
現在、鼻ほじりブーム真っ只中な1歳の娘と暮らしています。
そんな娘をお腹に迎えてから悪阻も軽かったため、妊娠前と変わらない生活を送っていました。

しかし、私には子宮外に小さな筋腫があり、妊娠には影響はないが異変を感じたら受診するよう言われていました。

ですが実際にこの筋腫が原因で、医師から「重症だよ」と言われるほどの切迫早産になります。

突然の入院

27週を迎えたある日、朝起きてからお腹に違和感を覚えました。
今までに経験のない、「痛い」と「痛くない」を繰り返す不思議な腹痛。
この日は外出していましたが、最終的には階段を上るのもスムーズに行かないほど。
帰宅後、横になっても治まらず、これが「お腹が張る」というものなのかとわかりました。
張り止めを貰いに行くくらい軽い気持ちで夜間診療へ向かいましたが、この後、この家に戻ることはありませんでした。

入院も初めてなうえ点滴に繋がれている自分の姿は本当にショックでした。
突然仕事にも行けなくなってしまったため、引継ぎでスマホ片手に脳内はバタバタです。

まずはかかりつけ病院でウテメリンという点滴を投与されました。
この点滴は慣れるまで激しい動悸、ほてり、手指の震えがあり寝付けないほど。
3日経っても点滴が効かず、少量の出血を確認し診察をしていただいたところ、「母体搬送!!!」と先生が叫び、周りがバタバタとし始めました。
子宮口が0.5㎝開いている(胎砲形成)、出血はおしるし、お腹の張りは陣痛、と聞きぞっとしました。

救急車へ乗り、大きな病院へ転院しました。
血液検査により、原因は子宮筋腫の変性だと判明します。
MFICU(母体退治集中治療室)へ入り、起き上がることすら禁止の生活が始まりました。
食事と排泄も同様な未知の世界。
お風呂は清拭は毎日、洗髪は3日おきにベッド上でしていただきました。

ウテメリンより強いマグセントという点滴も並行して繋がれました。
その他、子宮筋腫に対しての抗生剤の点滴も繋がれ、管人間状態です。
これで症状が一度落ち着きましたが、マグセントの副作用で肝臓の数値が悪くなり、先生と協議した結果、マグセントを抜くことになりました。
この点滴のおかげで症状が落ち着いたので非常に不安でしたが、張りは落ち着きを保ち、肝臓の数値も正常に戻りました。

1か月ほどでMFICUから一般病棟へ移り、ベッドから起き上がれる生活が送れるようになります。

私の場合、点滴が1番大変でした。
医者泣かせと言われる細く曲がった血管は、多い時で8回連続で刺さらず、ようやく刺さっても1日持てば良い方でした。
これは寝たままの排泄よりもずっとずっと辛かったです。

出産のとき

私も主人も立会い出産を望んでいましたが、叶いませんでした。
実は出産を機に地元北海道へ転勤願いを提出し、通ったところだったのです。
臨月に入った日に転勤になったため、退院後に帰る家もなくなり絶望的な状況。
結果、出産まで入院することになり、37週と1日で出産しました。
(家は同じ県内の端に住む叔母の家に1ヶ月、母と居候させてもらいました。)

出産当日、担当してくださった助産師さんは長くお世話になっている方で非常に安心できましたし、陣痛で苦しんでいる間は外来へ出ていた助産師さんがお昼休憩を使って様子を見に来てくださったことが本当に励みになりました。

出産自体は子宮口がもともと開いていたため、順調に進んでいました。
しかし、4cm開いてからなかなか進まず、本陣痛のなか助産師さんと病棟内を歩きました。
運動部時代の無限ダッシュの何百倍も辛かったものの、その後9cmまで一気に開き、無事に我が子と対面できました。

出産後はお世話になった助産師・看護師さんたちが、親戚の子が産まれたかのように我が子に会いに来てきてくださり、これは入院患者の特権だと思いました。

何よりも共に入院生活を戦った我が子は、ギャンギャン泣いているときも、白目を向いて寝ている姿も、本当に愛おしいです。
両家の家族にとっても特別な存在のようです。

コロナ禍での入院生活は私のとき以上に辛いものかと思います。
私の経験談が少しでも参考や励みになれば幸いです。
皆様が元気な赤ちゃんを産めますように。

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