私が経験した切迫早産
切迫早産とは
『切迫早産』とは、早産(37週未満)となる危険性が高い状態のことを指し、早産になる一歩手前だと考えられております。
症状としてはお腹の張りや痛み、破水や子宮口が開いてしまうなどが挙げられ、その中でも破水は最も心配な症状とされていますのですぐに受診するようにしましょう。
赤ちゃんはお母さんのお腹の中に40週前後いることで外に出てくる準備が整うため、37週未満で産まれてきた赤ちゃんは身体の機能が成熟していない場合があります。また、自覚症状がなくても妊婦検診で切迫早産の可能性があると診断されたお母さんはたくさんいます。
切迫早産と診断された
切迫早産だと診断された時、私は妊娠9ヶ月でした。大きいお腹にも慣れ安定期に入っていたことから気が緩んだのかもしれません。
その日なぜか急に模様替えをしたくなり、朝からせっせといろんな家具を移動させていた時です。下腹部に一瞬痛みが走ったと同時に「やばい!」と感じました。胎動でもないその痛みはすぐに治まりましたが下着に違和感があり、トイレに行くと出血、私は慌てて夫と出産予定の病院に電話し状況を説明「とりあえずは自宅安静で」との指示を守りました。
しかし、次に日になっても出血は止まらず、再度病院に電話すると、急いで来てください必ずタクシーでお願いしますと言われました。ついてすぐ診察してもらうと「切迫早産」だと診断され、その後一度も家に帰ることはなく入院、出産をしました。
地獄の入院生活
絶対安静である切迫早産はご飯はベッドの上、お風呂は3日に1回(それ以外はタオルで体を拭くのみ)動けるのは室内にあるトイレに行く時だけと、何もしてはいけない生活でした。何もしなくていいって楽だなと思っていたのですが数時間もすれば暇で仕方ありません。
なにより24時間点滴をしているので自由に寝返りもできない、副作用で手が震える体温が上がるなど苦痛でしかなかったです。唯一楽しみだった豪華だと評判のご飯。相部屋だとはいえカーテンで仕切られているので一人で黙々と食べるしかない何とも言えない時間でした。
点滴から飲み薬に変わる
入院から1週間経ったころ点滴から飲み薬に変わったのですが、それがとても嬉しかったのを覚えています。寝返りも自由にできお風呂も気を使わなくてよい、なにより副作用に悩まされることがなくなったのです。しかし、点滴よりもお腹の張りを抑える効果があまり強くない飲み薬は、産まれてしまうのではないかと心配でもあり、その心配が的中しました。
まさかまさかのその日に陣痛
点滴から飲み薬に変わったその日の夕方くらいから、お腹が頻繁に張りだし夜中になるにつれ痛みも増してきました。私は昔から痛みに強い方であまり感じにくいい体質だったのですが、それでも息ができないくらいの痛みが10分間隔で押し寄せついに、我慢できなくなりナースコールを押しました。すぐに看護師さんが来てくてれ、お腹に装置を付け陣痛の具合を測りました。
朝方、別室に移動し痛みに耐えながら夫に「産まれそう」と連絡、その日ちょうど面会に来る予定だった母と妹にも同じように連絡した後、食べる気力がない私に看護師さんはゼリーを食べさせてくれました。
LDRに移動してから
LDRとは簡単に言うと、陣痛室と出産室が一緒になった部屋のことです。子宮口が10センチにならないと産めないのですがLDRに移動した時点でまだ4センチしか開いていなく、妹にテニスボールをあててもらったり団扇であおいでもらったりして何とかやり切っていました。
言葉にならない痛みが続く中、やっとの思いで分娩台に座った10分後くらいに我が子は産まれてきました。分娩時間はトータルで13時間34分、人生で一番痛くてもう絶対産まないと陣痛中に誓ったはずなのに、産んだ瞬間に痛みは消え幸福感でいっぱいになりました。
しかし、予定日よりも1ヶ月早く産まれた子どもは未熟児としてNICUに入り、たくさんのチューブに繋がれていました。母子同室は叶いませんでしたし、一緒に退院できませんでした。
そして、今でこそ大きな病気もなくすくすく育っていますが、母子手帳の出生時またはその後の異常という欄に、一過性多呼吸、保育器収容、高ビリルビン血症、酸素2日、輸液3日、抗生剤2日投与、光線治療15.4時間、などたくさんの知らない名前が記載されています。